ネオンの微熱


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 大学生組が帰り、バーには俺と入間さんだけが残っていた。
 まさかこんなことになるとは思っていなかった。
 
「浩二…樋本って名字、珍しいよな」
「は?知らねーよ。少なくとも俺は聞いたことないけど」

 この人は能天気なのかなんなのか。意図的に空気を読まない面倒な人ではあるが、俺の頭は今それどころじゃねえ。
 
「あいつ…瀬津の片思い相手だぜ」
「あ、やっぱりそうだったの。またずいぶん綺麗な顔立ちの子だったね。木下くんも可愛かったけど」
「まあ…好きっていっても…昔のっていっていいのか分からないけど」
「今でも好きなんだろうね」

 遠い目をした先輩はぽそりと言った。

 かわいそうに。

 瀬津だって、ずいぶん苦しんだだろうに。やっとのことで、逃げ出す覚悟と向き合う勇気を持ったのだ。そこで本当に偶然、再開してしまった。誰も悪くない。

 もはや俺には瀬津のスマホが水没したのも、樋本晴久のインターン先が東京だったことも、木下くんとここのバーテンが同郷の知り合いだったことも、なんなら普段は金曜日に飲みに誘う先輩が日曜日に俺を誘ったのも、全てがそうなるように仕組まれていたように思えてしまった。
 
「でも思った以上に印象のいい子だったな。樋本くん」
「あれは心得てるよ。その手の印象を買う方法をさ」
「でも…」

 確かにそういう狡さも持った子なのだろう。瀬津も言う通り。
 でも瀬津を見た時の彼には、驚きの中に確かに安堵が見えた。
 
「あれはちゃんと瀬津のこと大事に思ってる子だよ」
「それがまた危ういな」
「でも知ってるはずだよ。瀬津がゲイだって」
「そうだったな」

 確かに彼には彼の危うさがある。今日だけで何度牽制するような目で見られたことか。全部瀬津が俺に頼り切ってるからだ。まったくあの野郎。頼りにされるのが嫌なわけではないが巻き込まれるのはごめんだ。
 
「瀬津もそろそろ俺から離れないと」
「浩二離れ?」
「そのキモイ言い方やめろ。だって瀬津、樋本くんが来週会いたいって言ったことに対しても俺に助け求めてくるし」

 樋本くんがそういう仕草に疎いタイプには思えない。これは最悪、俺と瀬津がデキてると思われた可能性がある。勘弁してくれよ。

 だいたいあの二人、友達にしてはどこかぎこちない距離感じゃなかったか?
 
「…なぁ、先輩。ノンケが友達の男を好きになることってあるか?」
「俺の経験上はねえよ」
「…だよな」

 勘違いか、思い込みか。お互いがお互いに縛られてどうすんだあいつらは。
 丸く収まる範囲はとうの昔に超えている気がした。

 微妙な沈黙が流れていく。先輩がグラスにわずかに残った酒を飲み干した。
 
「…今日、泊ってくか?」

 低くなった声に胸を押されたような痛みが広がった。結局はいつもこうなる。所詮俺が都合よく使われているだけなのだ。
 
「……いい、帰る」

 どれだけ瀬津と樋本晴久がこじれようと、少なくとも今の俺と入間さんとの関係よりはずっと健全であることには違いない。そう考えると嘲笑が漏れた。
 断れば先輩は残念そうに肩をすくめてマスターを呼んだ。

 やらせてくれなかったら用なしか?
 
 笑えるぜ、まったく。

 どこの誰だか分からない奴なんかより俺にしろ。なんて、あんただって俺にとってたかが他人に変わりないんだよ。何を信じればいい?どこに信用できる保証がある?

 ひねくれてるのは分かってる。それでも思わずにはいられない。自分勝手だなとは思う。俺は怖くて核心をつけないだけなのだ。確証がほしいのなら確かめればいい。
 先輩にとって俺は、ただヤるだけの人間なの?と。
 なのに、結局怖くて何も口に出せなくて。

 だってあんたは、別に付き合おうなんて一言も言ったことがない。体だけ縛ってるだけ。期待してしまうのは先輩が恋人を作らないから。
 それでも抜け出せないのはここが居場所だから。ここだけが、居場所だから。
 
「疲れてんだろ?遅くなりすぎるのも悪いし、今日はさっさと寝ろよ」

 あーやりてえ。

 大概欲に弱い俺も俺だが、乗せられてばかりは我慢ならない。俺が無駄に気を使わせたことを言うと、先輩は不機嫌そうにむっと眉間にしわを寄せた。
 
「…んで浩二がそういうこと気にするかな」
「怒ってんの?ま、また来週」

 言葉に出せないのなら突き放してしまえばいい。それで見限られたら所詮それだけの存在だったということだ。

 先輩よりも先に席を立った。入間さんはもう一杯飲んでいくようだ。
 俺は一人で店を出た。


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