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「うっわぁまた腫らしてんな〜」

 ホクホク顔で人の家に押しかけてきた後輩が自分家のようにソファに寝そべる。行き場がなくなった俺は床に胡坐をかいた。
 昨日まで世界の終わりのような顔をしていたのに、今日は目に見えて上機嫌だ。そのくせ目は真っ赤に腫れている。もとの肌が白いからか赤さが目立っていた。
 
「で?」
「ふははっあっははっうははははは」
「頭大丈夫か?」

 冷やしたタオルを瀬津に渡そうと思って頭をはたく。俺の手から冷えたタオルを奪い取った瀬津が目にタオルを乗せて鼻歌を歌った。格ゲーの勝ちBGMだな、これは。というかコイツはいつからこんなに暴君になっちまったんだ。昔は可愛かった後輩を眺めながら溜息をついた。
 
「晴久とね…付き合ってみる」

 目元をタオルで覆ったまま瀬津が呟く。あんなに上機嫌だったくせ、思いのほか落ち着いた声でそう言った。
 
「そ」

 入間さんもちゃんと樋本晴久の誤解を解いてくれたみたいだし。ノンケだった男の言うことなんて俺はあまり信用できないけど、樋本晴久と瀬津の関係ならそれも許されそうな気がした。
 
「ちょっと怖いけど」
「そうなのか?」
「うん。でも、必死なのが俺だけじゃなくなってた…からいいかなって。なんか昔の自分がかわいいや」

 今も昔もあまり自分の本心は表に出さないのが瀬津だ。知らず知らずのうちに自分で自分を苦しめて他人の侵入を許さない壁を作っている。
 ふと浮かんだ出来心で瀬津の目元を隠すタオルをめくってみた。閉じていた目を開いた瀬津が苦笑して俺の顔を押しのける。
 
「違うって浩二さん。これは…まだ現実認めらんなくて…なんかほんと」

 瀬津の目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
 
「いろいろ信じられないし…結局ハルとはなかなか会えないわけだし…でもいいのかな、俺こんな幸せで」
「それが普通だろ。よかったじゃねーか」
「……うん」
「好きなんだろ?」
「うん」
「向こうも好きなんだろ?」
「笑えるくらいね」

 ふへへ、と瀬津が笑う。惚気はいらん。
 目に入った薬指の指輪をなんとなく眺めた。いろいろ長かったけど、俺も瀬津も一周回って落ち着いてよかったな、なんて思う。今だに入間さんに恋人扱いされるのは慣れないけど。
 
「会いたいなぁ」

 瀬津が呟く。瀬津が欲をそのまま口に出すなんて、珍しい。丸くなったし、ほんとに雰囲気が変わったよなと思う。
 
「ほんとは馬鹿にしてんのかって思ったんだ。ハルは俺と友達でいたいだけで、俺と恋人になりたいわけじゃないと思って。俺を繋いでおくために付き合ってって言ってんのかなって。だから最初は腹が立ったんだ」

 両手を腹の上で組んで目元にタオルを置いたまま瀬津が呟く。聞いてやんないとな、と俺もソファに背中を預けた。
とはいえ床が硬くてケツが痛い。クッションでも買おうかな。前に敷いていたカーペットは酔った瀬津が盛大にワインを倒してオサラバした。入間さんがUFOキャッチャーでとった気持ち悪い深海魚のクッションは瀬津がやたらと気に入ったようだからあげてしまった。

 あれ?なんか俺めちゃくちゃ瀬津のこと甘やかしてないか?

「今までさんざんハルのことで辛い思いしてきたのに、いざ手に入るってなると急に不安になってさ」
「あ、お、おう」
「それにあそこで簡単に頷いちゃったら、もう今度こそ友達になんて戻れない。最初はノンケのハルが俺なんて好きになるわけないだろって信じられなかったけど、本当なのかなって思い始めて。嬉しかったけど…ほんとに嬉しかったけど、ノンケのあいつをこっちに引きずるなんて嫌だった」

 瀬津は淡々と言った。ただでさえそんな本音を言葉にして誰かに聞いてもらうなんてことをしない瀬津だ。なんだか聞いている俺もドキドキとしてしまった。
 俺はもとから男が好きだったけど、瀬津のように特定の誰かを好きになったり一途に誰かを思い続けたことがほぼない。というかあまりいい思い出がないのだ。入間さんが特殊なだけで。

 セックスなんて好きじゃなくてもできる。初っ端からそう知ってしまった俺は今思えばなかなかに悲しい青春時代を送ったなと思う。気持ち良ければいいと思っていた。だいたい相手だってそう思っていたし。ただお互い欲を発散させるだけのセフレしかいなかったのだ。

 だから初めて瀬津に会った時、いろいろ衝撃を受けたのを覚えている。自分の汚さが身に染みたと同時に、俺をこうした大人を呪った。瀬津に抱いたのは庇護欲の一種だろう。
 
「そう?俺だったら好きになった男がこっちに転ぶなんて万々歳な気がするけど」
「うん、そうなんだけど。どう頑張っても俺たちってあんま大っぴらにできないじゃん。申し訳ないよ」
「んな他人のこと考えんなよ。誰かに迷惑かけてるわけじゃないし。自分らがよければいいだろ」
「ははっ俺浩二さんのそういうとこ好き」
「そりゃどうも」

 あいにく俺がどうにも好きじゃない部分なんだがな。
 
「正直けっこう強がってたのかも。ハルが無理に答えをださなくてもいい、って言った時にこれ今を逃したらもう二度とチャンスないんだろうなって思って」
「ふーん」
「……よかったのかな」
「よかったんだよ」
「どこからその自信が湧いてくるんだよ」
「樋本晴久ってたぶんお前が思ってる以上に執念深いぞ」
「えーそう?」

 クスクスと笑う瀬津には起き上がる気配がまるでない。
 
「ヤったの?」

 口に出してからしまったと思う。
 
「いやー?」

 思いのほかふにゃふにゃとした口調で返ってくる。どうやら地雷ではなかったらしい。
 
「え、それ大丈夫なの?」
「だって晴久ただでさえあの顔だぜ。むりむり〜えっちとかしたら俺死んじゃう〜。顔面と色気に食い殺されるわぁ〜」

 ひと昔前のギャルのような口調でねっとりとそう言う。確かにめったに見ない美形だったけど。
 しかし俺にはノンケが男とやれるのかってことの方が不安だが…。

 まあいいか。コイツがいいならそれで。
 ふわふわと笑う瀬津を見て苦笑がもれる。
 そのかわり樋本晴久のことでまた瀬津が高校生の頃のように塞ぐことがあれば入間さんでも召喚しよう。

 ふいに着信音が鳴りスマホが震えた。
 
「うわ、電話!」

 飛び起きた瀬津がパタパタとベランダへ走っていった。

 了


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