第2話
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保健室で貧血が治まるともぞもぞと帰る準備を始め、それを見た養護教諭をびっくりさせた。俺は相当ひどい顔をしていたらしい。それでも突っぱねて帰らせてもらうことにしたが、帰り道はひどいものだった。
締め切られた空間で電車に揺られ、バスに揺られ、家に着くころにはもはや生きてるのか死んでるのか分からないような状態だ。
這いつくばるようになんとか玄関をくぐると、よろけてドアにあたりすごい音がした。栄さんがびっくりしたように飛んできて、冷や汗にまみれた俺を見るとみるみるうちに顔を青くしていく。
「……せつ」
栄さんはしばらく固まっていたが、はっとして俺に駆け寄り肩を貸してくれた。
「薬とお水を持ってくるから」
制服のままの俺をベッドに投げると栄さんは急いで台所に消えていった。
重い体をベッドに預けると枕に顔を押し付ける。おかしくなりそうだ。もう自分が分からない。誰にも会いたくない、誰にも見られたくない。
気持ち悪い、と見透かされてしまった。ばれてるんだ、もう…。
「はは…」
ああ、そうだ。やっぱり無理じゃないか。いつの間に俺は気を抜いてたんだ。こんな自分を誰にも見られたくなくて、見られちゃ駄目だと思って、絶対に知られちゃ駄目だと思って、そう思ううちに他人に心を開けなくなったのはいつからだ。
いつもどこかで一種の緊張状態を保って生活してた。本当の自分を知られちゃいけない、と。でも最初から無理だったんだ。ハルに出会ってしまった。好きになってしまった。隠しようがない気持ちを持っている時点で無理な話だったんだ。
「ははは」
気持ち悪いんだよ。
「ふっ…ふっははは」
よく年中毎日一緒にいるのに今でも一緒にいられるな。
「あははは」
男同士の距離感じゃねえんだよ。
「あっはっはっははははっ」
枕に顔を押し付け、こみ上げてくる笑いを吐き出した。
滑稽だろ。そうだよ、俺は普通じゃない。どれだけみんなに交ろうとしても、やっぱり誤魔化せてなんてなかったんだ。おかしくてたまらない。俺は馬鹿だ。どこまでもバカだ。
「ははははっあっはは」
「ふふふ、はははっ!」
なんで、どうして。俺はどうして…。人を好きになるのはいけないことなのだろうか。
人に迷惑をかけちゃいけません。そうだろう。じゃあ恋愛は?それが誰かの迷惑になるなら、誰かを不幸にするなら、自分の幸せは捨てなくてはいけないのか。
怖い。怖い。誰か俺を理解して。救ってだなんて言わないから、そんな目で俺を見ないで。
「は、はは……」
昼間見た、風間の心底気味の悪いものを見るかのような目を思い出す。俺は何をうぬぼれてたんだろう。
笑いこけていたさっきまでの興奮状態は次第に冷め、俺の心は凍てついていった。もはや歯止めの効かない恐ろしいくらいの感情の起伏。
「ぅ、うぇ」
吐き気を感じて栄さんが置いて行ってくれた枕元にあったアルミバケツに胃液をぶちまけた。
「っは、はぁ…んぇ」
えずくがもう何も吐けるものはないことが分かると、寝台に置いてあったペットボトルの水をひっつかみ、俺は狂ったように水を飲み始めた。変に笑いすぎたせいで、喉はひりひりとして痛かった。しかし一リットルの水を一気に飲み干すと、それはそれで吐き出すこともできず、浅い呼吸を繰り返すだけだった。
徐々に落ちつく鼓動を聞いていると、荒れ狂っていた精神はもう考えることを停止したかのように無になっていく。
汗で張り付いた制服が気持ち悪くて、制服の上着を脱ぎ床に放りワイシャツのボタンを開けた。
仰向けに寝そべり天井の木目を見つめるも、何も浮かばない。そこにあるのはただの虚無だ。俺はそこに何かを見つけようと必死に目を見開いてその虚無を見つめた。穴が開くほど、見つめた。
「…っふ」
自分の行動が狂っていることくらい分かっている。あきれたような笑いが漏れた。さっきまでの狂ったような笑いではなく、ただ惨めな自分を笑うような笑いだ。
涙が頬を伝って耳に入っていく。その気持ち悪い感覚は、物理的に俺の耳を塞ぎ音をかき消していった。
俺以外の人が、世界が、俺を隔離する。わかっているはずなのに、ほだされて俺もその世界にいていいのかなと思ってしまう。
でも気づくのだ。俺はこちら側の人間じゃない、と。俺は誰かに受け入れてもらえるような人間じゃないのだ、と。
目を閉じるとまるで現実を拒絶するかのように俺の意識は途絶えた。
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