第2話


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晴久side

 バタンと人が倒れる音がした。体育でバスケをしている最中、転んだりぶつかったりとよく聞く音ではあったが、そのあとに聞こえるクラスメイトのざわめきは明らかに異常な事態に対するものだった。

 「先生、せっちゃんが倒れた!」

 もしかして、と反射的に隣のコートに目を向けてみたら案の定瀬津がぶっ倒れた音だった。何もないところでつまずいたり、授業中いすから突然転げ落ちたりするのが通常運転の瀬津とはいえ、さすがにこれは普通ではない。

 真っ青な顔で不自然なくらい大量の汗を流している瀬津を見たとき、ぞわぞわと鳥肌が立った。これはまずい、と。

 「天野!?…悪い、保健委員は誰だ?保健室まで運んでやってくれ」

 あ、と前にでた保健委員をさりげなく押しよけ、瀬津に駆け寄った。眉を寄せ苦しそうに肩で息をしている瀬津はぶるぶると震えていた。

 「俺が運びますよ」
 「ああ、悪い樋本。もう授業も終わるから、戻ってこなくていいぞ」

 瀬津を担ぎ上げると、思った以上に軽くてびっくりした。冷や汗なのか、じっとりとした瀬津の体からは、いつも部活後にむわっと立ち昇る、俺の好きな瀬津特有の汗の匂いが全くしなかった。

 「せっちゃん、やっぱりまだ全快じゃないじゃん」

 無理するなっていつも言ってるのに。

 一週間ぶりに学校に来た瀬津はまだ少し顔色は悪かったが、話しかければ「死ぬかと思ったー」と弱々しくヘラヘラ笑っていた。サボりでもなんでもなく本当に体調を崩していたことはそんな様子を見ればわかる。それを何でもないように誤魔化そうとするのもいつものことだったが。

 苦しそうに眉を寄せた瀬津の顔を見ていれば、ぎゅっと胸が締めつけられた。耳元では小さく呼吸する瀬津の息遣いが聞こえている。瀬津の体に触れるところが熱い。
 
 保健室に行くと、養護教諭が俺を見るなりびっくりしたように駆け寄ってきた。
 
 「天野くん!?」
 「体育でバスケの最中に倒れました」
 「うん、先週部活前に貧血起こしてからずっと休んでたみたいだから心配はしてたんだけど。また貧血かな」
 
 とりあえずベッドに瀬津を運んでいたら、職員室から呼び出しの電話がかかったらしい養護教諭が、しばらく見てやってくれと言い残し出て行った。どうすればいいのか分からずとりあえず水を持ってベッドに戻ったが、もう意識は戻っていたのか瀬津は両手で顔を覆い震えていた。その様子にまた見ているこっちの胸がキリキリと痛む。
 
 「瀬津…」
 
 声をかけると大袈裟なんじゃないかってくらい瀬津がビクッとした。ほら、まただ。俺が何かしてしまったのだろうか。瀬津の反応に無意識に唇をかみしめていた。

 「あ…は、晴久?」
 「うん。大丈夫?せっちゃん。まだきつかったなら無理して学校来なくてもよかったのに」

 相変わらず顔を覆ってしまっているから表情は見えないけど、口元はやっぱり震えててひょっとして泣いてるのかな、なんて思った。でもきっと俺には何も出来ないのだ。いつものように。

 「ハル……」
 「え?」

 震える声で瀬津が俺を呼んだ。

 「……して、」

 思わずびくりと体が震えた。掠れる声でうまく聞き取れなかったが、その時確かに瀬津はこう言ったのだ。殺して、と。俺の心臓は本当に自分のものなのか疑いたくなるくらい、バクバクと波打っていた。

 「瀬津、」
 「痛いんだ…もう、嫌だ」

 痛い…。何が、何が痛いの瀬津?俺はどうしたらいいの?

 「…っは、る」

 ギリギリとかみしめていた瀬津の唇が、震えながら何かを象った。なんて言っていたのか俺には分からず、ただ瀬津の頬に涙が流れていることに気づいてしまい半ばパニックになっていた。

 「瀬津、俺は」
 「樋本くんごめんね、天野君どう?」
 「っ…」

 はっと後ろを振り返れば、養護教諭がもどってきたところだった。扉を開ける音にも気づかなかった俺は、逃げるように会釈だけして保健室を飛び出していた。

 保健室を後にすると、動揺で叫びだしそうだった。どうにかなってしまいそうなこの気持ちに、勢いで屋上まで階段を駆け上る。当然屋上への扉は鍵が閉まっていたが、それがどうしようもないこの世界に閉じ込められているような気がして、余計にパニックを引き起こしてしまった。

 膝の力が抜けてうずくまっていると、埃臭い匂いを感じた。

 瀬津が発作を起こすのは年に2回から多いと6回ほどだった。期間や程度はまちまちで、1か月のうちに2回起こすこともあれば、半年以上何もない時もある。2、3日で治る時もあれば、今回みたいに一週間以上かかるときもあった。

 俺はどうすればいい。どうすればいい…。
だって今年は頻度が普通じゃない。俺が2月にケガをしてから半年も経ってないのに、もうこれで何回めだ?5回はいってるはずだ。

 体はどんどん痩せてくし痛々しいんだよ。瀬津が背負っている何かを俺が軽くするには、俺はどうしたらいい。俺がなんとかしないと、俺が…。

 弱っていく瀬津を見ているのがどれだけ怖いか、きっと瀬津には分からない。どうしたらいいんだよ、どうしたらお前を救ってやれるんだよ。なんで俺にはどうしようもないんだよ。どうしていつまでたっても縮まらない距離があるんだよ。どうして何も言わないんだ、一人で抱え込むんだ。

 頼むから、一人で抱え込まないで、一人にならないで。

 お前が消えたら俺は、俺はどうすればいい…?

 「……」

 はたと気づいた。俺にとって瀬津の存在はこれほどまでに大きいのか、と。

 瀬津がいなかったら…?瀬津が俺を切ったら…?

 「おーい、立ち入り禁止だからなーそこ」

 近づいてくる外界の音に苛々して顔を上げたが、きっと俺はどこまでも情けない顔をしていただろう。正直今にも泣きそうだった。

 「あ、樋本?なんだお前そこ開いてねえだろ。女でも連れ込もうとしてんのか?…樋本?おい、大丈夫か」

 たかが高校生だ。見栄を張らず大人に助けを求めたらいいのに。


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