第3話
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「ぎゃぁあああああ瀬津ぅ〜〜〜!!!大きくなったなぁ〜〜〜〜!!!」
「ああもう、酒臭い!ちょっとこっち寄るな。だいたい身長も伸びてねーから!」
「心が!心が!大きくなったな!」
「見えねえだろ!」
大量の段ボール(中身は全て酒)に山積みの大学案内(ちゃんと心配していたらしい)と俺への小遣い(純粋に嬉しい)を抱えて無事帰国した父さんは、帰るなり昼間にも関わらず酒盛りを始めていたらしい。一人で。
それは別にいいのだが、普段会えない分こうして愛情表現が大袈裟というか、鬱陶しいというか。正直父さんがいるときハルに家に来てほしくないのは、ハルを見た父さんがまた大袈裟にあることないこと言うだろうからだ。
「あああ…!せつぅ〜〜〜おっきくなったなぁ!」
「だから何っ回目だよ!」
顔を赤くしてでろでろと俺にへばりついてくる父さんを肘でよけながら助けを求めるように顔を上げると、流石に栄さんもあきれた顔をしていた。まあ今回は一か月くらいいてくれるらしいから、帰った直後くらいこんなんでもいいと思うけど。
まだほんのりと赤い程度の父さんの顔を見ながら思う。ここに来るとタガが外れたように飲みまくる父さんだけど、二人で暮らしてた時よりずっと余裕が見えて俺は好きだった。
きっとあの頃は俺も父さんも少し気負いすぎてたんじゃないかなと思う。きっと俺たち家族には今のこのスタイルがあっているんじゃないか、と。
「え!?これ瀬津が作ってくれたのか?」
「そうよ。ここに来てから瀬津は私に代わって洗濯物はしてくれるわ、お風呂掃除はしてくれるわ、高校生になってからは料理までするようになっちゃって」
テキトーに作って出しておいたお酒のつまみを食べながら栄さんと話していた父さんがぎょっとしたようにまた俺を見る。その目がまた、みるみるうちに潤んでいく。
そりゃ栄さんも腰悪くしてるし、俺ができることはしてやりたいと思っているし。今のうちに料理を覚えればこの先きっと役に立つだろうとは思っているけれど。
「うう…瀬津…お袋の味を感じる…」
「あぁ…もう」
お袋の味も何も、俺の料理はそもそも父さんのお袋である栄さん仕込みだ。酔って涙まで浮かべ始めた父さんを見てると、正直まんざらでもない気分でもあったがこの年でお袋の味といわれるのも複雑である。
「はぁ……そろそろ本題に入るか。瀬津」
急にかしこまったように座りなおすと、父さんは相変わらず潤んでいる目で俺と真剣な表情で目を合わせた。俺もなにか大事な話が始まることを察して姿勢を正す。
「瀬津、俺はお前がこの年になるまで本当にほったらかしにしてきたわけだけど」
「ほんっとにその通りね」
「口を挟まないで、母さん。…だから大学くらいは好きなように選んでほしいと思ってる。好きな道に進んでほしいと思ってる。地方の私立でも、地元の公立でも、行きたいところなら何浪だってしていい。模試の結果は送ってもらってるが、」
「え、俺の模試の結果見てたの!?」
思わず栄さんをぱっと見ると、栄さんは知らぬ顔で澄ましていた。
今のところ、部活しかしてなかったせいでいろいろまずい結果なんだけど。あれを父さんに見られてたのか…。
「まあ、まだ6月だ。俺の息子なんだ、いくらでも上を目指せるさ」
自信満々にうなずく父さんだが、平々凡々な俺と一流商社勤めの父さんの頭を一緒にしないでほしい。
「瀬津はやればできるよ。大学の希望なんかはないのか」
「明確には…決まってないけど」
今までろくに調べてこなかったせいで一から調べている始末なのだ。この時期の高校三年生にしてはかなり危機的な答えにも、父さんはゆっくりとうなずいた。
「学部は…工学部のつもり」
おどおどと反応を窺いながらそう言うと、父さんはまた満足そうにうなずいた。
「だろうと思ったよ。昔から好きだったもんな、機械いじり。でも工学部となるとこの辺りにはないだろう、大学」
「あ…うん」
「別に家を出るなとは一言も言ってないんだ。とりあえずぼちぼち実際に見に行ってみなさい」
そう言うと父さんは山積みになっている大学の資料を指さした。普通こういうのって俺が自分で調べるもんなんだろうけど、正直勉強と並列していると調べる時間すら惜しかったので相当ありがたかった。
「ありがとう……いやこれほとんどドイツの大学じゃん!」
「あ、ばれた?これを機に俺も瀬津と暮らせないかなー…なんて」
言いかけた父さんは栄さんに睨まれて尻すぼみになっていったが。
それでも日本の大学の資料も結構探してくれたようだった。それをパラパラと眺めながら、本当に大学進学でクラスのみんなバラバラになるんだなと実感する。
見慣れた顔と別れることは初めてではないが、晴久とももうあまり会えなくなるのだ。ハルの家は農家だからか、大学は農学系だと言っていた。おそらく地元の県立大学が第一志望になるのだろう。
地元校には俺の行きたい工学部はないし、県内にしても何時間もかけて通うのはきっと大変だ。必然的にこの家を出ることになるだろうな、とは思っていたけれど、県外の大学に行くという選択肢もあると思うと途端に寂しくなった。それほど俺はこの場所に愛着を持っていたらしい。
「…東京に行ってみないか?」
「東京?」
パンフレットから目を上げると同じく大学のパンフレットに目を通していた父さんがぽつりと呟いた。
「前に住んでた家、まだ引き払ってないんだ」
あの家…今となっては思い出そうとしてもぐちゃぐちゃに散らかりガラスの破片が飛び散った様子だけが目に浮かぶ。
東京…。いつも近くに人の気配があって、誰かに見られているような気分になる。誰も見ているはずないのに、冷めた人との距離はなぜだか物理的に近い。
俺がそこで落ち着けなくなったのは他人が怖くなったからだ。いつ俺がゲイだとばれてしまうのか、と。
「……行ってみようかな」
そんな風にしか思っていなかったのに、なぜ俺がその時そんな答えをだしたのか。後々思い出しても分からなかった。
でも何かを変えなくてはならない、という使命的なものを俺は感じていた。それはきっと晴久と離れなければというものだったり、漠然と抱く東京への期待だったり、何かしらアクションをとらなければいうものだった。
不定期に体を壊しては自己嫌悪と罪悪感に泣く泥沼のような状態から俺を引き上げてくれるきっかけがほしかったのかもしれない。それがハルを忘れるということではなく。
「この大学、見てみようかな」
父さんの見ていたパンフレットの研究室の紹介に興味のある単語が並んでいることに気づいて、俺はちょうど今週の土日に行われる東京の大学へオープンキャンパスに行くことを決めた。
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