第3話
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慣れない都会で上を見上げながら歩く。日はもう落ち始め駅の混雑は外からもうかがえた。父さんたちは今日は終電までには帰ると連絡がはいっていたからかなり遅くなるのだろう。
新宿駅の周辺を歩きながらこのまま帰るのもなんとなくできずにふらついていた。ポケットの中でゲームのキャラクターのストラップがついた使い慣れない鍵を持て余す。そのまま歩いていてもキャッチャーに声をかけられるだけだった。
「新宿か…」
一瞬頭に浮かんだ考えをあわてて打ち消す。やめておいたほうがいい、と思いながらもどうしてもその考えを打ち消すことができず、見るだけなら、と俺の足は二丁目に向かっていた。
人の多さ、大学でもらったサークルのチラシ。そりゃ母数が多ければ同性愛なんてきっと思っているより身近なもののはずだ。なるようになってしまえ。
新宿二丁目は世界でも有数のゲイタウン。考えるだけでも心臓がドクドクと早くなる。
違う、俺はただなんとなく観光程度に覗きに来ただけ。お酒も飲めないんだし、お店には入らない。物珍しさに見に来る人なんてたくさんいる。俺もそんな人たちの一人。
「あっはは、先に飲む?俺はもうホテル行きたいんだけど」
隣を小柄な金髪の男と仕事帰りらしいスーツの男が通り過ぎる。ドキッとする。男同士。本当にこの通りじゃこれが普通なのか、これがおかしいことじゃないのか。思わず二人を凝視した。
「さっき始めて会ったばかりなのに気が早くないか?俺まだ君の名前も知らないんだけど」
スーツの男がいやらしい手つきで金髪の男の腰に手を回す。
俺は後ろでごくりと唾を飲み込んだ。
「いいじゃん、お兄さんもやりたいんでしょ?」
…どこかで聞いたことのある声に違和感を覚え始める。
ふわっとした仕草で金髪の男が後ろを振り返った。
「…あ」
その男は紛れもなく今日の昼間、大学で俺にチラシを渡してきた男だった。男も俺に気づいたらしく、目を見開いてびっくりしている様子だった。急に固まった金髪の腕をスーツの男が不思議そうにひく。
「わりぃ。やっぱ今日なえたわ」
「え?」
俺から目を離さず、無表情になった金髪はそう言うとスーツの男の腕を振りほどきまっすぐに俺に向かってきた。後ろで呆気に取られているリーマンを置いて、まっすぐに。俺は何が起こっているのか分からず、ただぽかんとしていた。
ここに来たのは出会いを求めてではない。心のどこかではたしかにそういう思いもあったはずだが。誰か俺を見つけてよ、と。
「おい、何してんだよ?お前ここがどこだか分かってんのか?」
俺の耳元で声を潜めて、焦ったような口調で男は言う。そこには純粋に心配しているような響きがあった。
「いつも、なんですか…?」
いざ声をかけられて俺の口から出た言葉はそんな、むしろ煽るようなものだった。
「は?」
「いつもああやって男捕まえてるんですか?」
あたりはもう暗い。ネオンの明かりにチカチカと照らされる程度で顔色もろくにうかがえない。今なら何を聞かれても、何を聞いても誤魔化せるような気がしてしまった。今ならどんな告白をしても気の迷いにできそうな気がした。
「いつも行き釣りの男とヤってんの?」
「…冷やかしか?」
眉をひそめてさっきとは打って変わって低い声でそう聞いた金髪から思わず顔をそらした。きっとこの人は悪い人ではないんだ。
「あなたは…ゲイなんですか」
「…今の時間ここにいるってことで察するだろ」
徐々に早くなる鼓動を聞きながら声を絞り出す。怖がるな、自分。
「じゃあ察してください。…俺だって冷やかしでここに来るほどクズな人間じゃない」
俯いてそう言った。ずいぶんと早口で言った。それは俺が自分がゲイだと認めたのと一緒だ。男の顔は見えないが、息を飲むのが気配で分かった。
言ってしまった。始めて他の人間に俺がこんな人間なのだと言ってしまった。怖くて顔が上げられない。カタカタと体が震えているのが分かる。一瞬がどれだけ長く感じられたことか。豆腐メンタルの俺は早くも後悔しそうになってきている。このままじゃ虚しくて泣きそう、なんて励まし程度に心の中で自分を笑っていたら、俯いていた頭に温かい手が乗った。
「そ…っか。じゃあ一緒だな、俺と」
「…え?」
反射的に顔を上げようとすると強い力でなでられ、男の顔を見ることは出来なかった。
なんとも言えない感情がぶわっと広がり、さっきとは違う意味で涙が出そうになる。俺は一人じゃないと思っていいのだろうか、俺はここにいていいのだろうか。
頭の上に感じる人肌に温かい気持ちをじんと感じた。
しばらく俺は顔を上げようと踏ん張っていたが、顔を上げようとすると髪をもてあそんでいた手が急に激しく頭を撫でまわすせいでいつまでたっても頭を上げられなかった。
「すんません…あの?」
うかがうように声をかけると俺の頭をぐちゃぐちゃにしていた手がゆっくりと離れて行った。名残惜しい、というわけではないものの、やっぱり寂しさは少し残った。
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