第3話


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 まだ田植えをしたばかりの水を張った田んぼの脇道を並んで歩いていた。今年初の台風が近づいている。不気味なくらい、静かだった。いつも聞こえる虫の声も、騒がしいカラスの鳴き声も、何も聞こえない。

 生暖かい風がまとわりつくように吹いた。紫色に染まった奇妙な空があたりの水面に映っている。幻想的な空間が広がっていた。

 この時間が好きだ。瀬津と二人でこの道を歩く、この時間が。田んぼの水面に映った自分たちはまるで空を歩いているようだった。

 相変わらず今にも消えそうなくらい儚い顔をした斜め前を歩く瀬津に、俺は見惚れていた。沈む直前の紫色のほのかな夕日を受けた瀬津はぼんやりと遠くを眺めている。そうやって歩いているから側溝なんかにはまるというのに。

 夕暮れ時、瀬津の白い肌はどこか浮いて見える。それが一層瀬津を儚く見せ、同時に俺を不安にさせた。

 不意に、奇妙な風が水面を揺らした。さざ波でゆっくりとぼやけて消えていく瀬津を見たとき、心臓が大きくなった。はっと息を飲み、その場で水面を見つめる。

 やけに静かな今日は、台風前の緩やかに強い風の音くらいしか聞こえない。砂利の上を歩く一人分の足音が数歩進んで、ゆっくりと止まった。

 数歩先でとまった瀬津が振り返り、怪訝な顔で俺を伺っていることにしばらく気づかなかった。

「…せ、つ」
「何?」
「瀬津」
「…だから何」

 消えないで。俺の前から、いなくならないで。

 たった今水面で散っていった瀬津を見たときの心情は、馬鹿馬鹿しい夢に怯える子供のようだった。

 何も答えずただじっと瀬津を見つめる俺に瀬津はしびれを切らしたのか、俺の手をとるとそのまま歩きだす。日焼けした俺の手首を握る瀬津の手は白くて、細くて、それを見ていると変な汗が額に浮いた。ぞわぞわと胸騒ぎがしたのを俺はなんとも言えない気持ちで俯瞰していた。



 その次の日、瀬津は学校に来なかった。3年だから、と頑張ってはいるが体調もガタガタだったのかもしれない。いよいよ近づく台風は強風を引き起こし窓を揺らしている。俺はまた発作を起こしたのかと思っていたが、昼休みに担任に呼び出された時、いつもの心配は大きな不安に変わった。

「天野から何か聞いてないか?いつもは休むとき必ず連絡があるんだが、今日はお祖母さんからの連絡もないし家にも繋がらないんだ」


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