第3話
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「瀬津!瀬津!」
昨日、不定期の土曜授業に来なかった瀬津は家にもいなかった。担任に家に寄ってみてほしいと言われるまでもなく、俺の足は瀬津の家に向かった。
土曜日どこにも見当たらなかったことに違和感を覚え、日曜日の今日も家を見に来たが、相変わらず反応はなく、そもそも人の気配もないままだった。
なんで、どうして。どうして急にいなくなる?
急速にそれた台風の進路により、今はもう風もなければ不気味な静けさもない。
それなのに、戻ってきた日常に瀬津はいない。ひっそりと静まり返った家は生活感があるだけに、天野瀬津という記憶だけが抜け落ちたようで恐ろしかった。
「なんで、いないんだよ」
別に瀬津だけがいなくなったわけじゃない。栄さんもいないのだ。何か大事な用事ができたとか、そういうことも考えられるだろ。今は瀬津のお父さんも帰ってきてるし、別に心配することはない。
瀬津には栄さんも、普段はいないお父さんも今はいるのだ。俺が心配することなんてないはずだ。
なのに、それが瀬津だというだけで不安でたまらない。もし何かあったとしたら、どうして俺が側にいてやれないのか。どうして俺に何も言わずに行ってしまったのか。
また日が暮れたら来てみよう。そう思って帰ろうにもなかなか足は動かない。仕方なく門のそばに座り込み悶々と地面を眺めていたとき、数人の足音が聞こえてきた。その足音が俺の前にとまり、影が俺を包んだ。逆光で見えない人影を見上げると同時に衝動的に立ち上がる。
「ハル?なんだよ、入ればいいだろ。いつも呼び鈴も鳴らさずに勝手に入ってくるじゃないか」
「瀬津」
「そんな怖い顔してどうしたの」
「お前どこ行ってたんだよ?!学校にも来ないで、」
ぽかんとした表情で俺を見る瀬津につかみかかるような勢いで捲し立ててしまった。瀬津はなにがなんだか分からないという顔をしていたが、やがて納得したように頷いた。
「俺、生徒手帳出すの忘れてたんだ」
「え、せっかく印鑑まで押してやったのに?」
瀬津の後ろから聞こえてきた声の主を思わずみやると、この辺りでは見たことのない、細身で長身の中年男性が立っていた。横には栄さんもいる。
それでようやく俺は、この人が今日本に帰ってきている海外赴任中の瀬津のお父さんなんだと気づいた。
あまり瀬津と顔は似ていないが、なんとなく雰囲気に似たものがある。決して愛想がいいわけではないのに、なぜかどこかしら人を惹きつけるところのある瀬津のお父さんがどんな人なのか、ずっと気になっていて聞いたことがある。その時は珍しく困ったように酒豪?と言っていたが。でもこの人の良さそうな彼が大酒のみだとは想像できない。
思わずまじまじと見てしまうと、眉を下げて笑った。
「はじめましてだね。瀬津の父です。いつも息子がお世話になってます。本当にありがとう。…君は、樋本のところの次男坊か」
「…はい」
久しく聞いてなかった家柄への話題に思わず身を固くしたが、瀬津のお父さんはふにゃりと笑うだけでそれ以上のことは何も言わなかった。そのことに少しありがたく思いながら、余所行きの笑顔で小さく会釈をする。
「そうかぁ。お父さんは元気?」
ずいぶん柔らかい雰囲気で笑う人だ。愛想のかけらもなく、馴れるまではにこりともしなかった瀬津とは大違いだ、なんて思うが、どこかふわふわとした力の抜けたしゃべり方は瀬津の天然なところと重なった。
「まあ…相変わらずやってます」
「はは、そっか。子供のころによく遊んでもらっててね、お世話になったものだから。ぜひよろしく伝えておいて」
「ええ…分かりました。…瀬津、どこか行ってたの」
改めて瀬津に向き直るとそう聞いたが、無意識に少し強い言い方になってしまった。
「あ、ああ、うん。大学のオープンキャンパスにちょっと。本当は休む連絡書いてもらってたんだけも、忘れてたみたいだ」
瀬津ももう進学について真剣に考えてる。一瞬ドキッとした。俺はこのままで大丈夫なんだろうか、と。俺は何をやってるんだろう、と。
「そ…か」
「俺、東京の大学に行こうと思うんだ」
「え」
地面の雑草に視線が向きかけたとき、さっぱりとした瀬津の声が聞こえて凍ったように動きが止まった。ギシギシといびつな動きでなんとか顔を上げると、日が沈みかけた夕焼けのなか、いつもよりはっきりとした存在感を放つ瀬津とまっすぐに目があった。
その目から目が離せない。目を背けたくても吸い寄せられているようで、どうしても離すことができない。
「東京に進学しようと思う」
もう一度はっきりと言った瀬津の頬は、夕日を受けてほのかに赤かった。いつもは透けるほどに白い肌に血色が着いたようでいきいきとして美しかった。
一メートルもないこの距離がどんどんと離れていく錯覚が見える。ゆるりと笑った瀬津がどん
どんと遠くなる。
東京に進学しようと思う。
そう言った瀬津の声が頭の中で何度もこだます。
どういうことだ?当たり前のように続いていくと思い込んでいた近い未来には、はっきりとわかれ道ができていた。別々の勉強をして就職して、別々の将来を歩んでいく。当たり前のことのに、分かりきったことなのにいつまでもこの関係が続いていくのだと、そう錯覚していた。
瀬津が俺の前からいなくなる。その時俺はどうしているのだろう。
瀬津のいない日常を考えてゾッとした。
その日常に。瀬津にそこまで依存していた自分自身に。
俺たちは、俺は、いったい何処へ向かっているのだろう。
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