第4話
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「別に悪くないよ。お前と死にそうになりながらこんな作業をするのも」
そう言うと、樋本は目を瞬いて阿呆みたいな顔をした。次の瞬間ブッと吹き出すと、へにゃりと顔を崩しクスクスと笑った。
いつもクラスで見せる、俺の見慣れた爽やかに上品に、時に少年っぽく笑う樋本の笑顔のどれとも違うそれに、今度は俺が目を瞠った。
ひとしきり笑うと今度は悪そうな目をして、にやりとした笑みを向けてきた。まるでこれで俺たちは共犯者とでも言うような視線だ。
「そっか、悪くないな」
もくもくと作業をしていた時から打って変わって樋本は明るく笑った。そんな樋本を見ながら、心のざわめきはますます大きくなる一方だった。
さっきみたいなこと言うけど、それでもお前は俺に気を使っているじゃないか。おそらく素で。自分の苦労よりも、俺を巻き込んだことを気にしたじゃないか。
優しい奴がいい奴だとは思わない。でもコイツは、あまりに他人を優先しすぎている気がするのだ。まるで反射のように。さっきの大人への皮肉を抜きにしても、結局樋本は他人を一番に考えている。
「さっきのさ…」
作業に戻ってしばらくした時のことだった。どこか今までと違う、居心地の悪くない沈黙を破ったのはぼそりと呟いた樋本の声だった。
「大人だけじゃない。みんなそうだ。いつもいつも、おれが樋本の家の人間だってだけで無意味で無責任な期待を持って」
普段はゆったりとした口調でパキパキしゃべる樋本だったが、このときばかりは低い声でもそもそと話していた。
「うんざりなんだよね、正直。ああいう無条件で人任せな信頼って」
聞いたことがないくらい暗い声だった。完璧を装う樋本の不安定な部分が見えたのはその時が初めてだった。
ここへ来てまだ半年の俺には、樋本の苦労もここの土地に住む人が樋本家を特別視するのも正直よくわからない。でも、違うと思った。そのせいで樋本が体力と精神をすり減らすのは違う。
「俺、器用じゃないからさ。うまく逃げられないんだ。兄貴はそういう世渡りうまいのに。受け流し方が分からない。煩わしいと思うのも本当だけど、自分が何とかしないとって思う気持ちも実際あって。…はは、アホらし」
そうして自嘲的に笑うのだ。整った顔をゆがめて苦しそうに。
「…だからみんな甘えてるんだな、お前に。誰だって結局は自分のことしか考えてねーよ。みんなお前の優しさに甘えてるんだ」
それが楽だから。樋本のこの気持ちを知らずにいたら、きっと自分も例に漏れない。それが無償に恥ずかしく、コイツと同じ土俵に立てない自分が悔しかった。
「すごいよ、樋本は」
俺が言えたのはそんな薄っぺらい言葉だけだった。
おそらくそれからだったと思う。まだ微妙に浮いていた俺にハルがやたらと懐き、行動をともにするようになったのは。
ここへ来て一度目の夏だった。
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