第4話
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晴久side
やみくもに勉強した。自分の目指している道が分からなくて。
雑音がうるさかった。未来について語っているおめでたい話が。
大学に行けるかなんてそんなに不安の種なのだろうか。未来が見えないことのほうがよっぽど不安だ。
「東京の大学に行こうと思う」
そうはっきりと言った瀬津の声はいつまでも耳に残って消えなかった。怖かった。
「うるさいな。関係ないだろ」
言うはずのなかった、思ってもない言葉が口から漏れたことに気がついたのは、凍り付いたように固まる瀬津の息を飲む音が聞こえたときだ。
俺ってこんな声出るんだ、なんて自分でも驚いた。興味深そうに詩悠がこっちを見ているのが分かる。瀬津の白い手が震えていた。
心臓が大きく音を立てている。動揺を知られたくなくて、目の前の作業に異常なくらい集中した。早くこの場から立ち去りたくて、たまらなく逃げだした。
心臓をえぐられるような後悔が押し寄せたのは、自室に戻ってからだった。瀬津の掠れた声が蘇る。
「何してんだよ、俺」
ベッドに身を投げ、頭を抱えた。泣きたい気持ちだ。八つ当たりにもほどがある。詩悠が帰ってきてからというものの、ずっと気が立っていた。心のなかではすべて詩悠のせいにしているが、言ってしまった言葉をなかったことには出来ない。
あの時の瀬津の殴られたような顔を思い出し、唇が震えた。最近はもうずっと口さえきいていなかった。瀬津と顔を合わせるのが怖かった。来年はもう隣に瀬津はいない。瀬津は自分の進路を自分で選び決めているのに、おれにはそれができていなくて。
なんだかんだいつも瀬津の選ぶ道に俺は付いて行っていただけだったのだ。置いていかれたようでどうしたらいいのか分からなかった。どこか吹っ切れた様子の瀬津を見るのが、変わっていく瀬津を見ているのが怖かった。
それと同時に俺と話す時に、不安そうな目をする瀬津を見ているのが辛かった。
何がなんだか、もう分からない。詩悠さえ帰ってこなければ、それもここまでひどい状態にはならなかったのに。
「あのやろ…」
兄になんの恨みがあるわけでもない。ただの八つ当たりであることはわかってるのに。
「晴久」
能天気な声が響いた。噂をすればなんとやら、というやつだ。だいたい声もかけずに部屋に入ってくる奴なんて一人しかいない。
「なにやさぐれてんだよ」
くすくすと笑う詩悠にただただ腹が立つ。
「別に俺が何をしたわけではあるまいし。でもせっちゃんもだーいぶショック受けてたなあ、あれ。今にも泣きそうだった」
「うるさいっ」
ばっと起き上がり兄貴を睨みつける。余裕しゃくしゃくの笑みを向ける詩悠はにこっと笑った。
「お前大好きだもんな、せっちゃん。そんなに怖い?何、大学までせっちゃんについて回るわけにはいかないよな、そりゃ」
「……」
「何思ってんのか知らないけど、それ高校生男児が悩むような問題じゃないと思うから、しかも受験生が」
何を思って口を出してきているのだ、コイツはいつも。
ぎゅっと唇を噛みしめる。
大切な存在なのだ瀬津は。俺にとって、少なくともこんな兄貴よりは。瀬津はそんなこと思ってないかもしれないけど、俺は瀬津に会って確かに救われた。あの時瀬津に会っていなければ、俺は今頃詩悠みたいになっていたんじゃないかと思う。そう器用じゃない俺はきっと詩悠のようにはうまくいかないだろう。
正直ぼろぼろだった。無責任な周囲の期待に自分でも気づかないうちに押しつぶされそうになっていた時、たまたま本心をこぼしてしまったあの時、瀬津がいなかったら俺は…。
大切なんだ。瀬津は。友達だとかそんな簡単な一言で済まされるような存在じゃないのだ。
「別にお前の交友関係に関しては首突っ込まないでおくけど、あまりにもせっちん見てて辛かったからさぁ。ま、進路くらいなら俺もなんかいってあげられるよ?」
遮光カーテンで日中なのに暗い部屋で、廊下からの光を受けながら扉にもたれかかって詩悠が言った。ちょうど雲に隠れていた太陽が出てきたせいで、逆光になって顔が見えない。
「ねぇ、晴久。助言でもしてやろうか」
聞いてもないのにそう言い笑う詩悠の目は笑っていない。この目が嫌いだ。思えば小さい頃から手加減を知らない詩悠には容赦なくしごかれてきた。それこそトラウマレベルだ。
そんな詩悠は意味ありげに笑うと、澄んだ声で言った。
「お前がどこの大学に行こうが落ちようが、誰も知ったこっちゃないんだよ。誰も興味なんてないんだから」
とんだ助言だった。
満足そうに去って行く兄貴の首筋に見える薄いキスマークに吐き気がする。
「…俺がどうしたいのかがわかんねぇんだよ」
ごめん瀬津、と小さく呟いた。この声が本人に届いてしまえばいいのに。
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