第5話


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 今の時間、この区間でバスに乗っているのは俺とハルとおばあさんに何人かの小学生だ。沈黙が心臓にちくちくと針を刺すようだった。

 思い出すのは当然最後に会った時のハルの言葉。それを考えると、これから始まる日常に耐えられない。意識を無理矢理ハルから剥がすように俺は外に目を向けた。

 相変わらずの沈黙は、どこか意識して作られたようで落ち着かない。お互いがお互いを気にしてるのが痛いほど伝わってくる沈黙だ。

 「…瀬津」

 その沈黙を破ったのは囁くようにつぶやいたハルの声。思わず体が震えた。ゆっくりと前を向くと、光の加減からかハルの揺れる瞳と目が合った。

 「……ごめんな」

 何のことを言っているのかなんて言われなくても分かってる。ごめん、とそうつぶやいたハルの表情はどこかやっぱり不安定だった。

 「別に…気にしてねぇよ」

 そりゃ嘘だけど。おっかなびっくりな声になってしまった。俺の答えを聞いたハルはゆっくり首を横に振る。その仕草を見てどういう意味なのか、必死に探る。

 「ごめん…瀬津」

 ハルは自分を責めるようになお続ける。朝日は依然としてハルの横顔を照らしていた。ごめん、いいよ。それで終わりじゃ駄目なのか?

 いい加減にならされたコンクリートの凹凸に不意にバスがジャンプした。降りる駅までもうすぐだ。俺は立ち上がると、ぼんやりと心ここにあらずといった風のハルの頬を両手で包み込むようにパチンと叩いた。

 目を丸くしてハルが俺を見上げている。普段少しだけ高い位置に目線があるから、見上げられるのはかなり新鮮だ。それもこんな無防備な顔で。すぐにばっと手を離したと同時にバスが停まる。ポカンと俺を見上げるハルに俺はどんな顔を向ければいいのか分からず、ただぎこちなく笑った。

 「降りるぞ」

 慌てたように俺の後をついてくるハルが珍しくドタドタとあわただしい足音を立てている。

 俺たちの間には何もなかった。それでいい。俺たちの関係は気まずくもなんともなっていない。いままでと変わらず、これから変わることもない。変に何かを意識しなくていい。

 だから、どうかこのままでいて。

 何かが変わってきていた。それは糸の結び目がほどけ始め、新しい結び目ができ始めているような変化だ。ほどけきる前に何とかそれを保ちたくて、無駄にあがいている。暴れれば余計に絡まってくれるのだろうか。

 流れに逆らうようなその動きが、元の場所にとどめると引き換えにぎこちなさを生んでいく。何が大切なのか、自分は何を大事にしたいのか。この先何が変わって行ってしまうのか。未来は怖い。期待で溢れると同時に、予測できない先のことが恐ろしい。ちょっとでもほつれが見えたら、それは不安で仕方がなかった。

 それをもとに戻す方法を俺は知らない。


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