第5話


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「なんかなぁ。お兄さんは心配なんですよ」
「はぁ、何が」

 そう聞いた瞬間、着信音が口を開きかけた詩悠さんを遮った。細められていた目はそのまま、眉毛がぴくりと動き小さな舌打ちが聞こえる。ぞっとしたのは言うまでもない。

 鳴りやまない携帯にしびれを切らした詩悠さんからは、今度は隠すことなく表情が消えた。つまり、正真正銘の真顔だ。冷たい視線を画面に向け、「うっとおしいなぁ」と小さく呟けば迷うことなく通信拒否を押す。

 少し裾を折った紺の細身のパンツに白のシャツ、と相変わらず今日も詩悠さんは清楚なファッションだ。誰がこの人が自分に好意を寄せる女の子をたぶらかし期待をさせ遊ばせたのちに、振り落とす男だと思うだろう。ほどほどにしとけばいいのに、と他人事のように思ってしまう。

 面倒くさそうにポケットにスマホをしまうとくるっと顔の向きを変え、詩悠さんはこちらを振り返った。口には笑みが浮かんでいるものの、先ほどの名残か、詩悠さんの目からはいつもの余裕のある笑みが消えていた。

 その恐ろしいほどに綺麗な目が俺を射止めるように見据える。

「簡単に言うと、君たちの関係」

 どくりと心臓が跳ねた。

 ゆっくりと、形のいい薄い唇が動く。それはどうしてもハルと重なってしまって、半開きになった詩悠さんの唇を見ながらごくりと唾を飲み込んだ。

「昔から危ういなとは思ってたけど。ただの友達じゃないよね」

 この人は何を言っているんだ?

 “君たちの関係”。簡単に言うと俺とハルの仲だ。それのどこがおかしいと?何をもって疑っている?何を、疑っている?

 俺の心臓はどっきんどっきん震えていた。

 ぐいと詩悠さんがさらに顔を近づける。甘めの香水が包み込むように香った。まとわりついた匂いからはどうやっても逃げることができない。数秒も経っていないはずなのに、やけに時間を長く感じた。そう沈黙が広がったわけでもないのに、一瞬にしてじわりと浮いた汗が顔に熱をよこす。水に溺れ、酸素を求めてあえぐかのように息を飲み込んだ。詩悠さんは相変わらず、俺の体を透かして頭の中をのぞき込むように見つめてくる。

 何か言わなきゃ…。怪しまれる。誰が?俺が。ハルは俺のことをただの友達としてしか見ていないのだから。なんて言ったらいい?詩悠さんが聞きたい言葉は何だ?
頭の回路が今猛烈に動いているのが分かる。握りしめていた手をゆっくりと緩め、平静に震えないよう気を付けながら口を開いた。

「そうですか?俺そんな友達いないから普通が分からないですけど、強いて言うなら友達の中でも特別仲のいい友達なんじゃないですかね?」
「…そう。でも晴久は違うんじゃないかな」

 違うのは明らかに俺だ。俺のはずだ。脳に沁み込んでくるような声音は俺という意識を、存在を飲み込んでしまいそうな錯覚を与える。頭がじんじんとした。

 顔に浮いた汗のべたつきを微かに感じる。はやくここから出て行きたくてたまらなかった。
詩悠さんは俺から目を離すことなく、じっと見つめてくる。暗めの深いこげ茶色の目に吸い込まれそうになるが、目の前の見慣れた色の瞳は見慣れない温度を帯びていた。


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