第5話


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「あいつはせっちゃんより友達は少ないし、何より一人に執着しすぎてる。面白くないね。…いや、最高に面白いや」

 だんだんと詩悠さんの声は囁くようなものになり、こげ茶色の目は近づいてくる。無意識に唇を噛みしめ息を飲み込んだ。

 気づけば詩悠さんの片手は俺の膝に、もう片方は肩をゆるく押し付けてきていた。背中を預けるはずの背もたれは、詩悠さんの顔をのぞき込む姿勢により意味がない状態だ。押されるがままにバランスを崩し、ベンチの上に上半身が仰向けになる。その上に詩悠さんが覆いかぶさり、簡単に俺は逃げ場を失った。

 頼むから詩悠には近づかないで、と懇願するように言われたのはいつだっただろう。確かに詩悠さんはいろんな意味で怖い。それは分かっている。

 詩悠さんが俺の顔の横に腕をつき、空いた手で俺の頬をたどった。背筋にサァっと何かが駆ける。なんだこれ…

 いまや俺と詩悠さんの距離は3センチほどだ。もう視界には目を背けられないほどに澄んだこげ茶色が広がっている。いまにも雨のふりだしそうな危うい天気のなか、蛍光灯のないうす暗い待合所で一体俺は何に捕まってしまったんだろう。

「ねぇせっちゃん。俺のお願い、聞いてくれる?」

 吐息と一緒に吐き出された声は小さく、そして掠れていた。目を見開いて詩悠さんを見つめる。突拍子のない行動と見境のなさで、すべてが読めない。

「晴久のこと、捨てないでやってよ」
「は?」
「なんか怖くてね。我が弟ながらあそこまで不安定になられると」

 くす、と詩悠さんが笑う気配を感じた。唇が触れてしまいそうだ。吐息がくすぐったい。
晴久がどうしたって?

「ね?よろしくね、せっちゃん」

 情けなさそうに眉を下げて笑った詩悠さんの顔は、ハルが自分じゃどうしようもないときによく見せるあの困ったような笑顔と驚くほどよく似ていた。最後におでこをこつんとあてると、詩悠さんの体が離れていく。

 バスが来る音がする。詩悠さんは折りたたみ傘を取り出すと、バスには乗らずそのまま停留所を後にした。黒い髪に白いシャツ、すらりとした長身の見映えのいい後ろ姿が遠ざかっていく。

 あれは何だったのか、分からない。ぽつぽつと降り出した雨はまだ小さかったが、そのうち大粒になるだろうことが分かった。

 晴久のこと、捨てないでやって。

 詩悠さんの言葉を反芻した。

 やっぱりなんだかんだハルが大好きな詩悠さんは不安なんだ。俺がハルに対して思う不安と似たようで、違う。そして、詩悠さんにとってハルは大事な人。大切な人が壊れていくのを間近で見ていることほど怖いものはないだろう。今日ほど切羽詰まっている様子の詩悠さんは見たことがない。

 そしてそれほどまでに晴久は追い詰められていた。何に?…それがわかればどれだけいいか。壁を感じるのは俺も一緒なのに、詩悠さんがあんなことをしてしまうほどに晴久の様子がおかしいということだ。

夏頃から続く違和感は今は皮でも被っているかのよう。それでも傍から見ても何かがずれていることは、少なくとも詩悠さんには気づかれ、心配されていた。

 俺は今、晴久とこれからも友達でいるために、これから続く6年より長い時間をハルの友達でいるために、恋を終わらせる準備をしている。決意をしてから分かったことは、それは出来ないに等しいんじゃないか、ということだったが。

 捨てる、とかそういう話じゃない。

「いっそ壊れてくれないかな」

 ぼそっと呟くと、息で窓が白くくもった。何を考えているんだろう、勉強のしすぎかな。

詩悠さんの毒気にあてられたのか。纏うどことなく妖しい雰囲気がまだ鼻先に残っているかのようだった。


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