第6話


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 晴久の方は向かなかった。ただ目の前のどこか懐かしい景色をぼんやりと眺めた。心臓は笑えるくらいバクバクと胸を叩いている。体が心臓の動きで揺れそうなくらいだ。

「…昨日少し言ったこと、俺が中学に上がるまえにちょっといろいろあったって。あれさ、俺が…俺が、」

 ゆっくりとハルに向き直った。朱く照らされたハルの顔は本当に綺麗だった。オレンジ色の眩しい夕日がハルの整った顔に影を作る。長いまつげまで、小さな影を落としていた。

 小さく息を吸い込み、震える声を絞りだした。

「自分がゲイだって自覚したことなんだ」

 ハルが瞬き一つせず俺を見つめる。その目がだんだん大きく見開かれていくのをじっと見守った。

 心臓が口から飛び出していきそうだ。言葉は怖い。もうなかったことには出来ないのだ。膝を抱える手が小さく震えているのが自分でもわかった。頬が引くつく。恐ろしくてたまらない。それでも吸い寄せられるように視線はハルの目に釘付けになって離れなかった。

 言わなければ、これまで通りにあったはずの時間や会話がうらめしい。もう戻れない。戻ってこないんだ。これがハルの知りたかった真実であるはずがない。でもこれが現実なのだ。俺がずっと隠してきたことは、ハルを裏切るようなことなのだ。心臓をぎゅっと握られたように苦しかった。

 噛みしめた唇を開き息を吸い込むと、閉じた喉からひゅっと音が鳴った。

「俺は、女の人を好きになれない。男が、好きなんだ」

 駄目押しをするように繰り返した。

 ハルの絶句した顔を頭に刻み付ける。返ってこない反応に、訪れた沈黙にただ自分の心臓の音だけが聞こえる。たった数秒が逃げ出したくなるくらいに長かった。ああ、なんてことをしたんだ俺は。もう耐えられない、その寸前だ。

「そ、うか……瀬津、は」

 ハルが掠れた声を吐き出した。いまだに驚きを隠せていない表情で固まっている。見たこともない顔だ。俺は晴久にこんな顔をさせられたんだな。

「瀬津にとって、俺は…」

 ハルが震えている。掠れて、時折裏返る声で俺を呼んだ。沈む直前の太陽がハルに移す影の角度を瞬く間に変えていく。さっきよりも影が深い。

 俺はただ静かにハルの口から言葉が出てくるのを待った。もはや手足は千切れたように感覚がなかった。なんてことをしたんだ、ともはやどうにもならないことに貧血を起こしたように頭がくらくらとする。自分を殴り倒したい。

「瀬津にとって…俺は何、だったの?」

 さっきまで目を丸くして震えていたのに、今はとてつもなく苦しそうな顔だった。下がった眉は眉間で寄せられ、口元は引きつり震えている。そんなこらえるような表情を見て、俺はなんだか笑えてきてしまった。泣きたいのは俺もだよ。

 俺にとってハルがなんだったのか?一番に聞きたいのはそれか。やっぱり怖いのか?友達に恋愛対象と思われるのは迷惑か?そうだよな、そうなんだよな。俺にとってハルは何だったか、そんなの、そんなの決まってる。

「ハルは…ハルは、ただの、悪友だよ」


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