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今から一か月ほど前のことだと思う。あの日の誠司くんはおかしかった。家に行くなり物凄い形相で追い出されたのだ。充血した目で頬を赤くする誠司くんはどう見ても体調を崩していた。
そういう時こそ俺のようなパシリを使うときだろうというのに。誠司くんの面倒を見るのが半ば義務だと思っていた俺は慌ててなにか買うもの食べたいものはないか、とそう聞いた。しかし返ってきた言葉はただの一言「帰れ」だった。その剣幕の異常さにすくんであの時は帰ってしまった。
ふと誠司くんの日ごろの様子を見ていて思ったのだ。この人は本当に俺がいないといつどこでのたれ死ぬか分からない。今誠司くんが連絡の取れる外と繋がった人は俺しかしない。俺がいなくなったら、誠司くんは一人であの狭い部屋をゴミ溜めにして生きていくのだ。ろくな食事もとらず誰とも話さずに、ただ一人ひっそりと。
「ね、だからたまには外に出てみない?」
「何回言ったら分かるんだよ。出ない」
「でも再会した時は外に出てたじゃん」
暖房の風が部屋を暖める。気持ちの悪い風が肌を熱くしていった。さっきから誠司くんの頬は薄くピンクに染まっている。単純に新鮮な空気が足りていない。
「あれは朝だったろ。めちゃくちゃ早朝だったろ」
「人がいない時間ならいいの?じゃあ深夜とか?」
「……別にもう亮がいるし、いまさら俺が外に出る必要なんてないじゃん」
顔を背けてそうぼそりと呟いた。膝を抱えて小さくうずくまった5歳も年上の男は実年齢よりもひどく幼く見えた。
「…俺のことどれだけパシリにしてもいいからさ、ね?だから今日は深夜でも早朝でもいいからちょっと外出てみよう?」
ますます顔を下に向けて真横を向いた誠司くんは、俺がしぶとく繰り返し顔を覗き込むと諦めたように小さく頷いた。
「……じゃあ夜がいい」
「うん」
やっぱり誠司くんがこれほど外出を拒むようになったことには何かしらの理由がある。誠司くんの判断なら俺は何も言うつもりはないが、それが誠司くんの健康を害するのなら、俺は止めなくてはいけない。
外に出る、それだけのことが決まっただけなのに、誠司くんはそわそわとしている。動きはぎこちなく、落ち着きがない。
「なに、大丈夫だよ。俺がいるじゃん」
試しに手を握ってみたら、ぎょっとしたように顔を上げる。
「んで年下の男を頼りにしなきゃいけないんだよ」
「それいつもパシっておいてよく言うよね」
緊張しているのか、本気で外へ出ることを怖がっているのか、誠司くんの手は汗ばんでいて熱かった。振り払うこともせず握られた手に、誰にむけてでもない優越感を感じる。
「…もう行くのか?」
「だってもう11時過ぎだよ。そう人なんていないって」
結局玄関を出てからも誠司くんは俺の手を握ったままだった。分厚いダウンジャケットを羽織りやたらと念入りにマフラーをぐるぐる巻きにした誠司くんはなんだか雪だるまを連想させた。
冷たい風が数少ない肌の露出部分にあたる。暖房で嫌に温まった体には気持ちがいい。カラッと乾燥した空気に唇がぴりぴりと痛んだ。隣の誠司くんは星を睨むように見上げていた。
「そういや昔、雪がつもった日に裏の坂でそり滑りとかやったよね」
「あー…亮ちゃんがゴミ置き場に突っ込んで頭にたんこぶ作ったやつな」
「そうそう。それで誠司くんが顔青くして、俺全然平気なのに家まで即行謝りに行って」
「そん時の俺はいい子だったんだなぁ」
「そん時ってなんだよ。誠司くんはいつもいい子だよ」
「…今の俺も?」
地面に目を向け自嘲するように笑った誠司くんの横を通り過ぎたサラリーマンが、弾かれたように後ろを振り返った。その化け物でも見たかのような顔が怪しく、思わず誠司くんの手を俺の体側に寄せた。抵抗なくくっついてきた誠司くんの手にはまったく力が入っていなかった。
「そう、今のアンタもちゃんといい子だよ」
「へぇ…そっか」
後ろから妙な視線を感じるのはさっきのリーマンだろうか。最近ここらでは変質者の情報など入っていないはずだが。
「そろそろ帰ろっか、誠司くん」
「ああ」
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