2話 慣れても馴れるな


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「付き合ってください」
「………え?」

 急にかしこまった口調で向き直った先輩が、Tシャツの裾をきゅっと握って、上目遣いに俺を見上げて言った。
これもいつもの悪ふざけ…だよな。

 ……あれ?先輩が目を逸らさない。いつもつかみどころのない笑顔でへらへら笑っているのに、こんなに目を合わせていれば赤くなって目を逸らすのに。
 
「……先輩?」

 心配になって首を傾げれば、次の瞬間、藤崎先輩は盛大に吹き出すと大爆笑を始めた。屋上の温まったコンクリートにへたり込んで笑い転げている。
 
「ひゃひゃひゃっあっは……んふ、ふふ」
「……おい」

 「ぐぴっ」だとか「ふがっ」と汚い笑い声を上げながら先輩は歯を食いしばって笑っている。
 いつまでたっても笑いやまない先輩にだんだん腹が立ってくる。

 そうだろう。俺のどこがおかしかった。
 
「何、笑ってんだよ」
「いや…ははっ」

 おもいっきりコンクリートの上に寝そべった先輩が、覗き込む俺に、それはおかしそうに笑った。いつも見ているような、あの底の知れない笑顔ではない。挑発するような不敵な笑みでもない。
 陸上部で短距離エースの健全な高校生の笑顔だった。
 
「久世谷くん、もう俺に慣れちゃってるでしょ。これでさぁ、もし俺が女の子だったら?初対面の男だったら?」
「……」
「ごめん無理、って。さっきみたいに言うんでしょ。嫌だった?寒気するくらい嫌なんだもんね。でも、俺ならいいんだ」

 ケラケラと笑う先輩の言葉に、どうにも複雑な気持ちになる。

 確かに真面目な顔した先輩に「好き」だと言われても、いつもなら思う嫌悪感なんてどこにも感じなかった。女子に言われれば身震いするほどゾッとする言葉に、ただ驚くだけで嫌じゃなかった。
 
「はぁ〜あ。ま、これでいかに久世谷くんが女嫌いか分かったしね。さぁ、巨乳とセックス目指して頑張るぞー。克服!女嫌い!」

 いつものようにへらへらと絶妙な棒読みで先輩が言う。起き上がるのに俺の膝の上に手を乗せ、ハッとしたように顔を近づけた。股間に、である。
 
「推しのちんこ!しゃぶっていい?」
「嫌だよ、なんでだよ」
「昼間はあんなに勃たせてたのにぃ」

 膝に抱きつき唇を尖らせる先輩を今度は容赦なく引っぺがした。昼間に勃たせてたのはお互い様だろ。少しくらい気まずく感じているのかと思っていたが、まったくそんなことはなかったみたいだ。気にしていた自分が馬鹿みたいだ。
 
「ああ、ちょっと!股間の匂いくらい嗅がせろよな!」
「うっせ来んな変態!さっさと部活行け!」
「怒ってる?怒ってる?あ、視線こっちにお願いシマース」
「スマホを下ろせ!」
「えぇー今の顔写真に収められたらなんか受験に受かる気がすんだよー」

 子どものようにきゃらきゃら笑う先輩が地面を転がる。めくれた薄いメッシュ生地のシャツから割れた腹筋が覗いた。昼には直に触れられなかった体だ。こんなにも無防備でなぜか心配になる。

 むくりと起き上がった先輩がくしゃくしゃになった髪の毛をさらにひっかきまわし、俺のネクタイを引っ張るとこめかみに軽く唇を当てた。
 
「はいはい、行ってくるねんダーリン」
「なんかやけにテンション高くないすか…」
「そこは愛してるよハニーで頼むわ」

 ぐしゃりと俺の髪をなでると、藤崎先輩はスキップでもしそうな勢いで屋上から降りて行った。

 なんだか先輩が去って行くところしか見ていないような気がする。いつだってあの人は突然現れて、急に帰っていく。部活のことだって、なんなら名前だって、瀬戸がいなかったら俺は知らなかった。

 先輩と知り合って1カ月も経っていない。それなのに、昼休みのことを思い出せば、どうしてこんな関係になったのかと思う。なんでもないようにキスをして、それで勃たせて。いつでも一方的で、人のパーソナルスペースなんて完全に無視をして。

「何が怖いって、俺慣れ始めてんじゃん。この距離感にこの日常…」

 思えば、俺の女嫌い克服の練習に付き合うことが、先輩にとって何の特になるのだろう。
 ふと感じた疑問がどうにも気になった。

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