4話 シークレットダーリン


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 それなりに大きな心の変化も、それが徐々に起きたものであれば、気づかないものだ。

 俺はいつから先輩に対してこんな思いを持つようになったのだろう。こんな、なんて指示語で誤魔化したくなるくらいむずがゆくて、そわそわして、ふわふわして。

 先輩のことを考えると、ドキドキする。バクバクする。エナジードリンクでも一気飲みしたかのように、じっとしていられなくて、走り出しそうになってしまう。

「ねぇやっぱりおかしくない?俺、大丈夫かな。なんか叫びそうだよ、笑いだしそう、走り出しそう」
「走って来いよ。また転ぶなよ?」

 どうでもよさそうに答えたのは、鏡の前で眉毛を整えている兄貴だ。縋り付くように話しかければもちろん邪険に扱われたから、今はおとなしく隣に座っている。

 ブリーチして明るい髪色の兄は髪だけじゃなく、ファッションも身なりも美容もそれなりのこだわりがあるようで、なんか女子みたいな奴だ。生まれた頃から俺に圧倒的な上下関係を叩きこんできた奴で、俺が困った時に最初に泣きつくのはいつもこの兄貴なのだ。

 泣きつくなんて言いたくはないが、これは緊急事態ではないか。

「お前まゆげ伸びたなー。ほれ、こっち来い」

 しかし、こんな兄貴は俺の焦る心境なんて知りもしないで、のんびりとした声を掛けてくる。そんなとき、頭にちょっとした考えが沸いてきた。

 先輩が好きなのはイケメン。あの人はとにかく顔に弱い。それは俺じゃなくても全然よくて、あの人好みの美形さえいればホイホイついて行ってしまう。

 目の前には完璧なバランスの目鼻立ちに、肌荒れのない綺麗な肌を持った兄貴の顔。昔からよく似ていると言われ続けた兄貴。何が違うのか。

 ……そうだ!ファッション!眉毛もぼさぼさの俺に実は先輩も辟易してたことも考えられるじゃないか!

 そこまで考えて、制服のまま兄貴の前に正座した。

「あれ、いつも嫌がるのに素直じゃん」

 だって人から顔に刃物当てられるんだぜ?怖いだろ。うん、でも先輩に嫌われちゃうくらいなら、こんなの我慢する。

 そう思いながらカミソリが肌を滑る感覚に眉をひそめると、鼻をねじられた。

「つーか裕規、女嫌い治ってたのな」
「は?なんで?」
「え、だってその先輩のこと好きなんでしょ。百戦錬磨のお兄ちゃんにハジメテの恋愛相談してるんじゃなかったの?」

 女なんて毎週のようにとっかえひっかえしている兄貴が、気の抜けた顔で首を傾げる。そういえば、さっきから先輩の話はしていたけど、先輩が男であることを言ってない。

「………あ」

 ていうかなに、俺ってやっぱ先輩のこと好きなの?ライクじゃないくて?

 ちなみにけっこう前からライクではあった。ものすごくライクだった。かなり上位のライクだった。最初は瀬戸とか大和くらいのライクだったけど、どんどんあのゴリラどもとはかけ離れ、今や超ライクだ。

 ぶはっと兄貴が吹き出した。

「いやーん童貞裕規ちゃんきゃ〜わいい〜」

 童貞じゃねぇし。とは心の中で反論しておく。

「悪いけど、お兄ちゃん純粋な裕規にはろくなアドバイス出来ないから」
「いらねぇし」

 本当は欲しいけど!だって俺これからどうすればいいか全然わかんないし!

 先輩の掴みどころのない笑顔が浮かんで動悸がした。続いて今日見た先輩のはにかんだ笑顔が浮かんでヘドバンしそうになった。今までろくに人のこと好きになったことないから、まったくもって分からない。この感情さえもよく分からない。本当に好きなのかも分からない。

 でも、先輩には好かれたいと思う。俺が先輩を好きなのかは確信が持てないけれど、でも先輩には好かれたい。

 そうして出た結論はそう、

 優しくしよう!!

 の一択だった。

 結局自分でもやもやと考えていたのと同じ結果だった。

 しかし思えば、俺は自分のことばかり考えているから、先輩のことをちゃんと考えて何かをしたことはないような気がする。もはやお互いの性欲をぶつけるだけのような関係になっている今、俺は先輩をよくしようと思ってあの行為をしたことがあったか?恥ずかしいことにない。

 優しくしよう。先輩が好き。うん、たぶん。これは好きだ。なんかよくわかんないけど、好きだ。もうこの感情は好きってことにしよう!よくわかんないけど!

 漠然と先輩が好きだ!と思いながら、ろくに役に立たない兄貴からは何も得ることもなく、俺はただ、先輩に優しくすることをまた誓った。

 けれど、その判断が正しかったのかは分からない。


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