5話 迷妄モラトリアム


← 29/33 →

「……だって、久世谷くん優しいんだもん…俺なんて、久世谷くんにとってオナホみたいなもんだろ」

 ふっと自嘲ぎみに唇を歪ませた先輩が呟いた。思わず反論しようと口を開いた時、先輩が苦しそうに笑って手を振って俺を制した。

「俺さ…セフレがいんの」

 静かで穏やかな声で、まるで子供に言い聞かせるみたいに先輩が言う。その言葉を聞いたとき、ずんと世界が遠くなったような気がした。

 先輩の視線は相変わらず窓の外に向けられていて、それはわざと俺の視線を避けているみたいだった。

「中学んときの同級生。あ、男だよ。別に友達ではないし、仲がいいわけでもないし、学校でも話す奴ではなかったし、本当にただのクラスメイト」

 先輩の目元が暗くなる。そのちょっとした変化にさえ、惹きつけられて目が離せない。


 先輩とそのクラスメイトは友達でも同じグループにいるわけでもなかった。ただ一つ共通していたのは、たびたび男子で話題に上がる下の話ついていけないところだったという。

 先輩は当時から好みの女は同年代の男とはまったく違っていたみたいだし、そもそも女じゃなくてもよかったみたいだ。

「みんなが清純派アイドルとかのグラビア写真なんかで盛り上がってるとするじゃん?俺は全然好みじゃないからなんも興奮とかないわけよ。代わりにドラマで雨に濡れた俳優なんかに欲情してたりする」

 そしてそのクラスメイトは、もともとその手の話題が苦手だったみたいだ。必然的に話についていけなくなった先輩とその同級生は、そういう時に一緒にいるようになった。そしてあるときに言われた。

「男でもセックスってできるらしいよってさ。俺たちも思春期真っ盛りの中学生だったからさ、単純に気持ちいいことには興味あるんだよ。あとは、そういうことって…まぁセックスって、そんくらいの年頃だとなんつーか、大人からいいこととしては見られてないわけじゃん」

 そりゃ中学生の不純異性交遊だとか、もしものことがあったら責任なんてとれない。推奨されるもんじゃないし、大人もその手の話題に触れられることを拒む。

「そうやって隠されれば、逆に好奇心持つもんじゃん?大人ぶりたい気持ちとかもあったと思う。…それで、そいつの家で…まぁお遊びみたいな抜き合いとか触り合いとかするようになったのよ」

 あまり想像はしたくなかった。複雑な気持ちが胸の内でごわごわとする。なんだか居心地の悪い。
でもこうやって先輩が自分から話してくれているのだ。それもおそらく、あまり言いたくないことを。どうにか気持ちを落ち着かせ聞くことに意識を集中させる。

「まだ知らないことばっかだったし。二人でゴム買いに行ったり、18禁コーナーに入ってみたり。今思えばそんだけ?ってことに俺たちすごいドキドキして興奮して遊んでたんだ」

 その時間は二人の秘密の時間となる。

 秘密の共有は快楽だ。

 ましては性の事情に敏感な中学生なのだ。二人だけの秘密は、皆が知りたくてやまない甘くて密な話題。
性に対する好奇心も、それを知る高揚感もよく分かる。

 そしてそのうち二人は抜き合いだけじゃなく、本番に手を出すようになってしまった。

「中学生のときは俺今よりもっと小さくて、細くて、体も鍛えてなかったし。よく揶揄われてたんだけど、そのせいで必然的に下になっちゃったんだよね」

 はは、と先輩が笑う。笑うことに失敗したみたいな、ひきつった笑顔だった。そんな笑顔すら痛々しく思える。

「最初のうちは好奇心が勝ってた。でもそのうち虚しくなってきて。そりゃヤってる時は気持ちいいよ。でも終わった途端なんか悲しくなって、同時にそんなこと繰り返してる自分に自己嫌悪して」

 窓の外をぼんやりと眺める先輩はしかたがないとでも言うように笑っている。その横顔が今にも泣きそうに見えて、なんだか無償に胸が痛くなった。

「俺も嫌なら嫌って言えればよかったんだけどね…中学生なんてくだらないことにこの世の終わりかってくらい悩むだろ?私生活も、部活も人間関係も、いろいろあったし、そういうので溜まるストレスだとか不安とかもヤってる最中は忘れられた」
「……」
「本当、今となってはくだらないんだけどさ。それでも自分を必要としてくれる人がいるってすごい嬉しいから。だから、断れなかった。あいつに彼女ができたとき、やっと終わったって思ったよ…でも、男はノーカンだからって言われて、体のいい穴を貸すボランティアを続けてたわけ」
「……今も、ですか…?」
「…まぁね。中学卒業してからも定期的に連絡が来たんだよ。俺も高校生になって思春期真っ只中の精神の不安定さがなくなったのか知らんけど、もう中学のときみたいにいつも何かを不安に思ってるとか、そういうのはなくなったんだけど。まぁでもやっぱり断れないんだよ」

 じゃあ俺に声をかけてからも、俺とそういうことをする仲になってからも、俺以外の誰かに先輩は抱かれていたというのか。先輩が断りきれないのはなぜなのか。

← 29/33 →
目次Top