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 今日も今日とて一人だ。寂しい。

 なんてことはおくびにも出さず、休み時間で賑やかな教室で俺は机の上に丸くなるように突っ伏していた。窓際の一番後ろの特等席。日当たりがよくて気持ちがいい。

 がやがやとうるさい教室に俺のように一人で縮こまっている人間なんて他にいなかった。害のないぼっちはまるで空気だ。でもきっとどのクラスにも俺みたいなぼっちが一人はいるんだろう。なぜか仲良くはなれないけど。ぼっち同士なんだから仲良くしてくれてもいいじゃん、なんて思うが、きっとそれは受け入れるのが下手な俺の問題なのだろう。人から話しかけられるだけで、緊張で相手を睨みつけてたりどもったりしてしまう。そんな奴と話して楽しいとか俺も思わない。大きなあくびをするとそろそろと教室を抜け出し、外のロッカーへ教科書を取りに行った。

「……あ、志島くん」

 びくりと肩が跳ねる。外すためにかちゃかちゃといじっていたナンバー式の鍵が鉄製のロッカーに勢いよく辺り、大きな音が廊下に響いた。

 声がかかったのは左隣からだ。若干の冷や汗をかきながら声の聞こえたほうを見ると、この間屋上で話しかけてきた男子生徒がちょうど隣のクラスに入るところだった。

 扉を開けかけた手をひっこめ、代わりに俺にひらひらと手を振る。

「やっほーあ、俺のこと覚えてる? 園芸部の園田だよ、園田」

 相変わらず散り際の花のような繊細で儚い顔で笑っている。見れば見るほど、自分だけが見つけてしまったような錯覚に陥る綺麗に整った顔だった。目立たないのに、それさえも魅力の一つのような淑やかさ。

 しかし覚えてるも何も、こいつが俺に名乗ったのは今が始めてだ。何て返せばいいのか分からなくて、ただ俺を見つめる切れ長の瞳をじっと見返した。こういうのがきっといけないんだろうな。俺も大概気味悪がられてる。ろくに話もしなければ、何も言わないのにじっと見つめる。しかも目つきの悪さから睨まれてると思われて。

「あれ、名前言ってなかったっけ?」
「……今初めて聞いたけど」
「あ、そっかぁごめんごめん。どうも、F組の園田です」

 柔らかい物腰でそう言うと、窺うように見てくる。催促だろうか。お前も名乗れよって? だいたいこいつはなんで俺の名前を知っていたのだろう。馬鹿みたいに緊張して鍵を握る手がぬるぬると汗ばんでいた。人恋しいくせに人に慣れていない。

「……G組の、志島…」
「うん、知ってる。下の名前は?」

 未亡人みたいな雰囲気しといて、こいつ以外とぐいぐい来る。俺と園田の間は軽く3メートル以上は空いている。こんなぼそぼそしゃべる俺の声がちゃんと聞こえているのだろうか。

「………雪巳」
「へぇー! ゆきみ。綺麗な響きだね」

 汐とばあちゃん以外の人に名前を呼ばれたのは久々だ。ただでさえバクバクと音を立てていた心臓がさらに激しくなる。俺の焦りなんていざ知らず、園田はまったく会話を打ち切る様子を見せなかった。

「志島くんはなんでいつも屋上来てるの?」

 随分おとなしそうな見た目をしているが、園田はその見た目からは想像できないくらい無邪気で活発な話し方をする。一見目立たないとはいえ、誰だって気づくくらい綺麗な顔をしているのだ。ましてやこんなにはきはきとしているのだから、間違っても汐みたいに虐められることはないだろう。そうなると、クラスのなかでも代表的な人間だったりするのかもしれない。俺の苦手な部類の人種だ。そうだとしたらやっぱりなぜ、園田は俺の名前を知っていたのだろう。

 気を抜けば園田を睨みつけるように見てしまう。ぎこちなく視線を窓のほうにそらした。

「……別に、誰も来ないから」
「あはっ居心地いいならそりゃよかった。今日も来る?」

 こいつは俺と話しいて楽しいのだろうか。むしろ嫌じゃないのか? ただでさえ陰キャで暗い地味な男でろくな会話もできないのに。だいたい今日も来るかってそれを聞いてどうするんだよ。自分の管轄には入ってくんなって、さりげなく牽制しているのか?

 それなら残念だけど、もうあそこには行かないほうがいいのかもしれない。

「今日は、行かない」
「えぇーなんで? あんなに毎日通ってくれてるのに」

 園田は小さく眉をしかめて首を傾げた。そんな仕草を見せられて、心臓が飛び跳ねる。今のは間違いだったのだろうか。分からない。なんて言ったら正解だったんだろう。

 俺が口を開こうと園田を見たのと、園田が何か言いかけたのが同時だった。園田は何か言いかけたまま視線を俺の後方にずらすと一瞬固まった。

「あ、じゃね志島くん。また」

 片手を上げてひらひら振ると、園田はそのまま教室へ入っていってしまった。急に話しかけてきたかと思えば急に終わらせる。変な奴。

 ふと気になって園田が見ていた後ろを振り返った。明らかに何かに気が付いたような顔をしていた園田は、何を見たのだろう。

「あ、」

 すぐさま目を逸らした。園田と話していたときより比べ物にならないくらい心拍数が上がっていく。後ろの階段を上がってきたのは汐だった。

 切れた唇の端から伝う血を、白い手の甲で拭っている。痛々しい見た目に関わらず、その顔に浮かぶのは相変わらず穏やかな表情だった。

 汐がおもむろに立ち止まった。いつもとおんなじ温度の瞳で、まっすぐに俺を見つめる。俺だけを見つめている。なぜだか動悸がした。何も見られておかしいことなんてしてないのに。むしろ睨み返してやりたいくらいなのに。

 普段学校で汐に話しかけるなんてことはしない。汐と話しているところを見られたくないし知られたくないし、そもそも話したくない。だけどどれだけ俺が避けていようが、汐はそんなこと気にもしない。つまり空気を読まない。

 廊下は無人じゃない。ちらほらと人が見える。汐とすれ違う瞬間、逃げるように教室に入り後ろ手に扉を閉めた。風に混じって石鹸の匂いが鼻に届く。ぶるりと身震いをしたが、爽やかで優しい匂いは纏わりつくように体から離れなかった。汐の透き通ったべっこう色の瞳にまだ見つめられているような気分だ。

 何も悪いことなんてしていない。なのに、どことなく腹のそこから悪寒を感じるのはなぜだろう。やっぱり汐に中指の一つでも立ててやったほうがよかったのかもしれない。

 肝心の教科書を取ってくるのを忘れていたことに気が付いたのは、授業が始まってからだった。


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