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「ゆーきちゃん! 一緒に帰ろう!」

 その日は係の仕事で辺りが薄暗くなるまで先生から雑用の仕事をさせられていた。部活動が終わるには早すぎるが、放課後すぐ下校するには遅すぎる。そんな時間だったからか、バス停に行くまでに同じ制服とはすれ違わなかったし、下駄箱にも誰もいなかった。にも拘わらず、小さなバス停のベンチに行儀よく座る影はどこから見ても汐だった。

「…お前、何してんの?」
「雪ちゃん待ってた」
「は? なんのために? キモ」

 引きつった顔で汐を見れば、紫色の空の下で汐が笑う。悪魔でも出てきそうな空の色だからか、いつもより汐の整った顔には凄みがあった。琥珀色の瞳が日の沈んだ辺りの色で鈍く光る。

 その目で見つめられ、なぜか目を逸らしてしまった。普段なら睨みつけて皮肉の一言二言言っているのに、どうにも調子が出ない。今日廊下で園田と話しているところを見られてから、なぜか汐に対して変な緊張感を一方的に持っていた。

「そういや今日、お昼に教室にいたね。珍しい」
「お前に関係ないだろ」
「……まね」
「ていうか、もう学校で俺に話しかけようとすんの、やめてくんない?」
「……そう。迷惑?」

 バスの時間はまだなのに、汐がすっくと立ちあがった。ベンチに座った俺は必然的に汐を見上げる形になる。逆光なのか、なんなのか、汐の背中が暗い。紫色の空にすらりとした長身のシルエットが黒く浮く。

 汐の声はいつもと変わらず穏やかな優しさを持っていたけれど、その声はいつもより、いくぶん暗く低く感じられた。それは俺が感じただけなのか、実際にそうだったのかは分からないけれど。

 そのとき、俺はすでに十分な不安や不穏さを感じていたはずだ。いつにも増して自分の気が立っていることも自覚していた。汐の様子がいつも以上に演じている風なことにも気がついていた。なのに、口をついて出る言葉は普段と変わらないひどいもの。

「当たり前だろ。お前みたいな奴と知り合いだって思われんの困るんだよ。普通に想像したら分からない? それとも自分が箱川たちに何されてどういう扱い受けてんのか分かってない?」
「わかってるよ」
「じゃあなんでいつもいつも、ああやって笑ってるんだよ! 気持ち悪いんだよお前! 嫌じゃないのかよ!」
「どうなんだろう。俺が何かされても、それは俺の感覚だよ。痛いとか苦しいとか。そこに他人は関係ないでしょ」
「じゃあなんで俺が、俺ばっかりが苛々して、胸くそ悪い思いをしなくちゃなんねぇんだよ!」

 震える口からは普段よりもずっと大きな声が出た。不安定に揺れ、聞くに堪えない不快な周波で揺れている。やけに苛立つ俺に対して、汐の声は落ち着いていて、それが余計に冷静さを奪っていった。尖った感情が剥き出しになって、口から出ていく。

 俺に汐は関係ない。けれどそれと同時に汐にとって俺も関係ない。他人でしかない。理解できない。

 無償に苛立つのはなぜだろう。苛立ちで隠された奥のほうには、淋しさやら悲しさが確かにあって、そこから目を逸らすように怒りをぶつける。

 汐の背中を睨みつけていると、ゆったりと汐が俺を見下ろすように振り返った。

 その口元には何とも言えない妖しい笑みが浮かんでいて――

 ゾッとする。何にって、そのあまりの美しさにだ。

 垂れ目で優しい目元は口元の不敵さとあまりに不釣り合いで、汐の笑顔をより凄惨なものにしていた。そんな笑顔で見下ろされれば、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。

 顔が熱くなるのを感じた。じわりじわりと汗が浮く。膝の上に置いた手の指先は急速に冷えていっていた。
汐の唇がゆっくりと動く。その艶やかで赤い唇が、意味を持って形をつくる。

「雪ちゃん、いい子だね」

 まるで熱に浮かされたような声音だった。


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