V


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「例えばさ。友達って、このくらいの近さで話す?」
「え、えー……俺、友達いたことないからわかんないや……」
「まあ、そうだよな。じゃあ箱川とかは?」

 思い出すように汐が斜め上に視線をずらした。そのなんてことない仕草すら優雅で美しい。すぃ、と汐の顔が数センチ遠くなった。

「箱川くんは……このくらい? そんで、」

 とん、と俺の腹に汐の手のひらが当てられる。じわりと温もりを感じた。
「……こう」

 つまり殴られる、ということだ。

 なんだかおもしろくなくなって、汐に背中を向けると、そのまま寄りかかった。細すぎず、かといって箱川のように厳ついわけでもない。体格さえ均整がとれて整っている。

 背中がじんわりと温かい。西日も相まって、お湯にでも浸かっているような心地よさだった。時間の感覚が奪われていく。ふわりと香ってくるのは汐の石鹸の匂い。

 もしもユートピアだとかいうものがあるのならば、きっとそれはこんな場所なのだろう。

 後ろで汐がぴくりと動いた。

「雪ちゃん……友達、できたの?」

 微かに震えた声だった。俺に友達なんてできるわけないと確信していたのか? そんな汐を呆れたように鼻で笑う。

「できるわけないじゃん」
「……本当は欲しいんでしょ」

 硬い声音に続いて、ザリっという鈍い音。振り返れば、汐が腕の傷にできたかさぶた強くひっかいていた。もろくはがれたかさぶたの下から血が覗く。

「……汐。その癖、もういい加減直しなよ」

 ハッと気づいたように汐が息を飲む。どうやら無意識だったらしい。

 こいつは昔から傷痕をえぐったり引っかいたりする癖がある。痕が残るからやめろって言われてるのに、なかなか直らない。よくばあちゃんが、古臭そうだけどよく効きそうな塗り薬を汐の傷に塗り込んでいる。もう最近は見ないから、てっきり直ったのだと思っていた。

 太陽はさっきまでより低くなり、もう西日は差し込まない。汐の瞳は、先ほどのようにキラキラとはしていなかった。かさぶたの剥がれた傷に触れると、どこか一点を見つめていた汐が瞬きをして俺の手に白い手を重ねた。

「治らないよ。きっと一生」

 普段は澄んだ声をしているのに、聞き取りにくい声だった。耳を寄せるようにぐっと顔を近づければ頬と頬が触れ合った。つるりとした肌は柔らかい。

「なんで?」
「治っても、きっとその時雪はいない」
「いないって、」
「どうでもよくなるんだよ、俺のこと」

 何を、言っているんだろう。
 
 頬を掠り、汐が俺を向いてへらりと笑った。

「今はまだ、俺が必要?」
「……俺には、汐だけ……」

 悲しいことを言わないでほしい。こんなに二人きりなのに、孤独に感じてしまう。

 ふふっと笑った汐の唇がわずかに俺の唇に掠った。

「本当かなぁ。雪ちゃんは昔から天邪鬼だからなぁ」

 頬を緩ませ、顔を崩した汐のへらへらした笑顔が嫌になる。相楽汐が大嫌いだ。異常なくらい、大嫌いだ。
暗くなった部屋のなかで、汐の瞳がちらりと光った。その瞳に吸い込まれそうになったとき、身動きが取れなくなる。

 荒い息が耳元で吐き出された。それはたったの一回だったが、応じるように体が熱くなり、背中にまわった腕がきつくなる。汐の胸から聞こえる、内側から叩かれているかのような激しい鼓動が俺の体にまで響いていた。

 ふわふわと汐が笑う。ただきつく痛いくらいに俺を抱きしめて、首元に顔を埋めて、スンスン匂いを嗅ぐ。くすぐったいし気持ち悪いからやめて欲しい。そして楽しそうに、嬉しそうに「ふふ、ふふ」と笑うのだ。気味が悪い。

 気味が悪くて、そして。

 抉り取られたように欠落した足りない何かが満たされる。

「友達が欲しいなら俺がなってあげるよ」
「お前は違う」
「友達と何がしたいの? 友達とどんな会話をしてどこに行って遊ぶの? 喧嘩とかもするのかな。雪ちゃんと喧嘩
なんてできないけど、いいよ。全部俺が代わりにやってあげる。恋人の話とかもしたいの? それなら俺がテキトーな女捕まえてあげるよ」

 嬉しそうに綺麗な声を弾ませて、首もとで汐が言う。呆れたようなため息しか出ない。どうして俺と違い、親にも愛情にも容姿にも恵まれた子どもがこんなになるんだ。

 普通だよ、と笑った園田の声が頭をよぎる。普通ってなんだろう。普通じゃないって何だろう。

 俺にとって相楽汐は異常だ。異常な汐が普通だった。



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