V
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屋上へ出てしまえば、青空と太陽と、灰色の分厚い雲が頭上に見える。雨粒で濡れた葉っぱに光が反射し、視界がきらめいて眩しかった。俺は眩しさに目を細めながら、園田が機械を花壇の土に挿しているのを後ろから見ていた。
「うーん、まあこんくらいなら大丈夫か」
なにかぶつぶつ呟いていた園田が数値を見ながら唸っていたけど、俺にはさっぱりだ。
「うん、いいや」
「っ!」
パッと立ち上がった園田が俺の手を握る。びっくりするからせめて予備動作でもしてほしい。一瞬でガチガチに固まった俺を園田が可笑しそうに笑っていた。
「慣れないんだね。でも志島くん、これが普通だよ?」
きゅっと手に力がこもる。俺の手のひらには汗がたまり、指先は冷えていた。園田は一体俺の何に興味を持っているのだろう。仲良くなりたい、なんて思ってくれているのか? クラスメイトとの距離感を思い出す。誰も俺には興味ない。ただいるだけの人間だ。
「……園田、は友達いるでしょ」
「そうだね。志島くんはいないの?」
「……いねぇよ」
雲に半分隠れた太陽が、眩しかった光を和らげた。園田が一歩近づくのに合わせて後ずさる。そんな俺を園田は相変わらず可笑しそうに笑っていた。
「じゃあ、相楽くんは?」
「だから、あいつは…っ」
反論しようと園田を見上げたが、腕を引っ張られ背中が固いなにかに当たる。何が起きたか分からなかった。目の前に見えるのは花壇の向かいに設置してあるベンチだ。混乱する頭が状況を理解する前に、耳元に笑いを含んだ吐息がかかり、思わず肩が跳ねる。
俺の腰には園田の腕が巻き付いていた。雨上がりの匂いと共に、花のような香りが香ってくる。ようやく状況を理解したところで、今度は沸騰したように体が熱くなる。心臓は飛び出さんばかりにばくばくと鳴っていた。
「見間違いじゃないよねぇ?」
耳元で園田が言う。腰に回された腕がきつくなった。背中にあたる園田の体の熱を感じる。
「え……え?」
「相楽くんはいつだったか、君のことをこうやって抱きしめてたよね」
「あ、」
何か言おうにも言葉が出てこない。何を言われるのか、園田は何をしようと思っているのか、まったく分からない。怖くなるくらい園田の言動が変わらないのに、その声はいつもと変わらず、明るくて、はきはきとしていて、やっぱり好感の持てる話し方だ。
「あ、の……なに、」
ようやく口を開いたその時、園田が俺の肩を掴み正面に向き直るように回転させた。ただでさえ震えて立っているのもやっとだった足は、突然の動きに耐えられなかったみたいだ。支えきれずにふらふらと膝が地面に落ちてしまう。
座り込みそうになっただけだったのに、そんな俺に園田も倒れ込んできたせいで、濡れた芝生の感触を背中に感じた。頬を葉っぱについた雫が濡らす。覆いかぶさる園田を見上げればゆるりと笑っていた。
「そ、園田」
「ん? どうした?」
所々にマメができ、少し節くれだった園田の手が首元に伸びてくる。顔に影を落とした園田の後ろで、陽の光に当たった草がきらきらと輝いていた。起き上がることができない。すぅっと首筋を撫でられ、肌が一瞬で粟立った。
「ひっ……な、に」
閉められていた第二ボタンを園田が開ける。これはおかしい。絶対におかしい。こんなのは普通じゃないはずだ。
「志島くん、涙目になってる。かわいいね」
クスクス笑うと、はだけた鎖骨に園田が顔を近づけた。頭が真っ白だった。何が起こっているのだろう。どうすればいいのだろう。何も考えることなんて出来なかった。体が震え、うまく声も出せない。
「あっ……いだっ」
ガリっという音と共に、鎖骨にちりっとした痛みが走る。顔を上げた園田は満足気な顔をしていて、俺の鎖骨をなぞった親指の腹を赤い舌で舐め取った。
鎖骨の下は皮膚が赤くなり、血もにじんでいる。
「な、なに……?」
園田は今、何をした?
歯がかちかちと音を立てていた。わけも分からず園田を見上げると、園田は目を細めて笑い、控えめな仕草で俺の前髪をすいた。
「友達の証拠だよ」
「……なに、それ」
「大丈夫、友達ならみんなやるよ」
「え……?」
「びっくりさせちゃってごめんね?」
ふわりと笑うと園田が退き、俺の腕を引っ張って起こしてくれた。
「あ、やべ。肥料だしっぱにしてた!」
はっと思い出したように声を上げた園田がパタパタと走っていく。
「ごめんね、志島くん! またね!」
「あ……」
園田が備品室へ消えほっと肩を撫でおろすと、遅れて心臓がばくばくとしてくる。
なんだったんだ、なんだったんださっきのは。
鎖骨に指を当ててみると、うっすらと血がついていた。痛い。これが友達の証拠、だとか言っていたけど、それじゃあクラスで仲良さそうにしてる奴らはみんなこんなことしてるのか? 生きているうちに一体何人に鎖骨を噛まれるのだろう。そんなん皮膚は薄くなりそうだし、10人目くらいから跡も残りそうだ。
でも自分が人付き合いの常識を持っているとも知っているとも思えないし、少なくとも俺より園田のほうが世間の常識は分かるはずだ。
ぼーっと座り込んでいたが、備品室からがさがさと音が聞こえてきて、慌てて立ち上がる。このままここにいて、園田が出てきたら顔を合わせられる気がしない。
なんなんだよこれ、本当に。
走って逃げるようにして部室棟を後にした。
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