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 教室へ戻るついでに、自販機へ寄ったらちょうど箱川がいた。俺を見て一瞬眉を上げると、すぐに目だけで笑って見せる。そんな親し気な視線がなんだかこそばゆかった。俺も頑張って笑って見せたが、ちゃんと笑えた気はしない。

 案の定、箱川が歯を見せて笑ったから、やっぱり変な顔をしてたんだと思う。笑顔の練習でもしようかな。

「あ、志島。ちょうどいいからちょっと一戦しようぜ」
「対戦?」
「いや、チームで」
「やった」

 すぐ側のベンチに並んで座って画面を開く。顔を合わせてゲームするのは流石に初めてだった。ちらっと箱川を見てみたけど、画面に真剣に目を向けていて、目に入るのは耳の大量のピアスだけだった。

 よく見ると本当に穴だらけだな。なに、この耳たぶ、穴空いてるよ。俺の小指くらい入りそう。物理の実験で使ったおもりをつるしたくなるな。

 なんてじっと見すぎたからか、箱川がすっと顔を動かした。

「ん?」
「あっ、いや……ぴ、ピアス、すごいなぁって」
「あーね」

 耳のピアスを指させば、箱川は少し横を向いて耳を俺のほうに向けてくれた。箱川ともあろう男が、なんか律儀だ。俺はてっきり「はぁん? ぁあん?」とかメンチ切られんのかと思ってたぜ……
 
「何個空けてんの?」
「あー右と左合わせて12」
「ひゃ……」

 考えられん。ビビりの俺には一個でも空けるの怖いのに。
 
「えぇー……どうなってんの」
「どれが?」

 うっかり洩らした声はただの独り言のつもりだったけど、箱川はちゃんと拾ってくれた。
 
「ほら、これ。なんか繋がってる?」
「ああ、それ。インダス」
「いんだす」

 耳たぶとかじゃなくて、耳の上の軟骨部分二か所に空いた穴からつっかえ棒のような銀色の棒が刺さっている。これつけたまま寝たりできんのかな。朝起きたら耳千切れてそう。芳一かよ。

 なんて馬鹿なことを思っていたら、箱川が小刻みに揺れている。そっと顔に目を戻せば、明らかに笑いを堪えていた。ひくつく口元が抑えられていない。

 無意識の内に箱川の耳に顔を近づけて、食い入るようにピアスを見ていた。顔を熱くなるのを感じ、すぐにぱっと離れて俯く。
 
「……悪ぃ」
「いや、別に」

 若干震えた箱川の声は明らかに笑っていた。恥ずかしい。
 
「つーかもう言うほど時間なかったな」

 残念そうに箱川が呟く。そういえばもう予鈴が鳴って少し経っていた。早く戻らないとそこそこまずい時間だった。
 
「また……あ、放課後時間あるか?」
「え、何もないけど」
「おっしじゃあ放課後やろうぜ」
「お、おう……」

 にぱっと笑った箱川が眩しい。なんだよ、もう。箱川はこんな爽やかに笑ってないで汐でも殴ってろよ、心臓に悪い。

 立ち上がった箱川に続いて並んで教室へ戻る。誰かと並んで校内を歩いているなんて、友達のいない俺にはひどく新鮮だった。

 いや、園田は友達に入るんだろうか。思わず浮かんだ顔をさっと追い出す。さっきのことはあまり思い出したくなかった。ようやく箱川と話していて忘れかけたのに。

 一度思い出してしまえばげんなりする。園田だけじゃなくて、挙動がおかしかった汐のこととか。
 
「はぁ……出たくねぇな、5時間目」
「以外だな。真面目なタイプなのかと思ってた」
「う〜ん……今日はなんかそんな気分じゃない」

 正直今日はもう脳のキャパシティがオーバーしてる。園田のことはまだいい。きっとあんなのただの戯れだ。そう、きっと。重く受け止めるほうが馬鹿で阿呆なのだ。いつまでも気にしてるほうが意識してるみたいで嫌だ。どうせ園田はいつものように明日になれば、明日にならなくても、なんでもなかったように接するのだろうから。

 考えてしまうのは腹ただしいことに幼馴染のことだ。

 浮かない顔をしていたからだろうか。箱川が怪訝そうに俺の顔を覗き込んだ。
 
「……サボるか?」
「なんで簡単にそうなるんだよ」

 流石は不良だな。思わず吹き出して、声を上げて笑えば、箱川は一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに釣られたように笑った。
 
「あー癖で」

 本当に素で言っていたらしく、ぽりぽりと頭を掻きながら箱川が言う。箱川との会話は妙な緊張感もなければ、頭が真っ白になることもない。どこか心地よい空気だった。

 ふいに箱川が立ち止まる。見上げれば、さっきまで俺に向けられていた笑顔からは想像ができないほど険しい表情が浮かんでいる。目線を追った先には、後ろ姿だけでも均整が取れ整った容姿であることが伺える男子生徒が教室へ入っていくところだった。

 紛れもない、相楽汐だ。本当に箱川は汐が嫌いらしい。その眼差しにはぞっとした。

「……箱川?」
「ん? あー、なんでもない」

 表情を緩めた箱川が再び歩き出し、その背中を追う。

 ――雪には俺だけ……ね?

 最後に言い聞かせるようにそう言った汐の声が蘇った。あのとき感じた小さな違和感が、猜疑心が、心の片隅に残った不安と淋しさのせいでもくもくと大きくなっていく。

 いつか来る日がいつ来るかなんてわからない。俺がもういいって言うまで側にいるって、汐はそう言った。けれど、分かっている。分かっているはずだ。

 汐はずっとはいてくれない。

 それが怖くて、怖くて、死んでしまいたくなるほど寂しくて。だから園田に手を伸ばした。箱川が俺に踏み込むことを許した。

 守りたかったものはなんだろう。小さくて、狭くて、それでいて温かく優しい、唯一無二の世界だった。

 なぁ汐――なんで、あのとき言ってくれなかったの? 俺には汐だけ。でも汐には雪だけ。

 汐にはもう、俺だけじゃ、ない……?
 


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