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「最近、元気ないねー」

 ほんわりとした汐の声が耳に入る。俺はベッドに寝転んだまま、ゲーム画面から目を離さなかった。今日もまた、同じ部屋にいながら微妙な距離感が保たれている。
 
「なんかあったの?」
「なんもねぇけど」

 どちらかといえば、それはお前だろ。最近どこかおかしいのは汐のほうじゃないか。わざわざ聞こうとは思わないけど。だって汐だし。

 俺ならハッピーだよ。毎日充実してる。箱川と夜共闘して、昼に共闘して。すっごく楽しい。おまけに最近園田に会わない。変に調子を崩されることもないのだ。
なんて心の中で捲し立てていれば、汐の深みのあるテノールが空気を包み込むように響いた。

「……気にしてるの?」
「何を」

 ほんの少し語尾が荒くなった。顔を上げて汐を見れば、珍しくその顔に穏やかな微笑は浮かんでいない。汐は床に座ってたぬきの抱き枕を抱え、じっと俺を見つめている。彫像のような絶対比率の美しい容姿に、その不細工なたぬきがアンバランスだった。
 音もなく汐が動き、ベッドの端へ寄ってくると、俺の顔を覗き込んで口を開いた。
 
「園田柊だよ」

 形のよい唇が妙に艶っぽく予想通りの名前を口にする。薄赤い唇が一音一音を丁寧に象る様をぼんやりと見上げた。逆光になって顔に影を作る汐と、照りつける光を背に受けた園田が重なる。ぬめりと唇を舐めた園田の舌の感触が思い出された。
 
「……俺、ちゃんと嫌なことは嫌って言ったよ」

 枕元に置かれた汐の手がシーツをぎゅっと握った。小さく動いた口元は何かを言おうと迷いを見せた後、薄い唇を強く噛んだ。
 こうやって、いつにも増して汐の顔に感情が出る。それが悪いことだとは思わないけど、それは汐の心がひどく乱れている証拠だ。
 
「だいたいどうでもいいだろ、お前には」

 わかってるくせして、こうやって突き放すような物言いしか出来ない。自己嫌悪に陥りそうになったとき、ギシ、とベッドが音を立てた。俺が寝返りを打ったのと、汐が身を乗り出したのが同時だった。
 
「嘘」
「なんでだよ」
「最近、雪ちゃん寂しそう」
「……うるさい」
「雪巳」

 諭すような声とともに目の前に手がつかれた。体重がかけられ、ゆっくりとシーツが沈みこむ。顔を上げれば、汐の顔が触れそうになるほど間近にあった。眉がひそめられ、その険しい表情に息を飲む。
 
「寂しいなら、寂しいって言えばいいのに」

 どこか無機質なざらついた声だった。
 
「……な、なんで、そんな機嫌悪いの?」
 
 俺がなにかしたのか? なんでこんなに怒ってんの? こんなふうに感情的な汐なんてほとんど見たことがない。たいていは何があってもへらへらと笑っているような男だ。人に怒りの感情も、負の感情もぶつけない。それが不気味で、きっとどこか人として欠陥している汐だった。

 窺うように聞けば、驚いたようにぱちりと瞬きをした汐が、口元をまごつかせて離れていこうとした。ほら、どこかぎこちない。
 
「なぁ、なんで怒ってるの」

 根底にあるのは不安とさびしさだ。だからたいして興味のないはずのことを聞いてしまう。だって、この違和感を嘘だと言ってほしい。
 
「怒ってないよ」

 嘘吐け。ここ最近ずっと苛々してんだろ。何が原因だろう。俺かな。やっぱ俺なのかな。
 だって、言ってくれなかったし。汐には俺だけだって、そう言えよ。
 
「怒ってんだろ」
「俺が雪巳にそんなこと思うわけ」
「じゃあなんでっ」

 思わず口走って、冷静になった。なにヒステリー起こしてんだ。
一瞬おとずれた静寂に、外の雨音が耳に入る。風も強いのか、雨脚には不規則な強弱がついていた。そんな物悲しい音を聞いていれば、引きずられるように心にぽっかりと穴が開いたような感覚になっていく。

「……」

 思い出せよ。汐の体温、濡れた舌の感覚、大きな手に頭を撫でられて、唾液を嚥下した。どこが寂しい? 今だって汐は俺の目の前にいてくれる。
 一人は嫌いだ。不安で不安でしょうがなくなる。足が竦んで、息ができなくて、目の前が真っ暗になって、頭の中がパニックになる。

「……俺には、汐だけ……」

 ぽつり、と声が漏れ出た。重力が無いみたいに、ただ吐き出された二酸化炭素が口の先で重くとどまる。至近距離にいる汐の耳に届いたかさえ怪しい。

「雪には汐だけ……汐には雪だけ……」

 さびしい。なんでこんなにさびしいのか、わからない。だって、汐ならここにいる。俺はそれ以上に何を求める?

「雪巳」
「……さびしい」
「うん」
「さびしい」
「……そうだね」

 柔らかい声音で汐が頷き、温かい手が頭を撫でた。口に出せば汐は穏やかに笑って、俺の手に優しく手を重ねた。
 必死に違和感を探り出そうとしている自分がいる。どこか冷静な頭でさびしいを偽って、そうして汐の反応を試すかのようして。
 

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