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◇
「汐、離れてくんない?」
「えぇ〜なんで?」
家に帰ったら汐が部屋にいた。部屋に入るなり、あのとびきりの笑顔で「おかえり」なんて言うんだ。軽くホラーだ。
怖かったから俺はまったくの無視で、ベッドに寝転がりながらソシャゲのログイン画面を開いた。やけにロードに時間がかかる。どうして苛ついてるときに限ってこういうのって長くなるのかな。
まだ画面の中央で丸がぐるぐると回っている。汐はベッドに入り込んできて面白そうに画面を覗いていた。
汐の髪から石鹸の香りがぶわっと広がる。きりきりと胸が痛い。
ときたまこいつはひょっとして馬鹿を演じてるんじゃないかって思う。宇宙人、なんて呼びたくなってしまうほど頭のねじの外れた野郎だ。気味が悪くなるほどおかしな奴だ。
それなのに、汐が人間らしい顔をしているところを偶然見てしまった。
この言い方はおかしいかもしれない。だって汐は人間だ。
俺が見たのはいつでもどこでも、アホみたいにへらへら笑っている汐じゃなくて、一人の人間をまるで慈しむかのような目で見る汐だった。
部室棟の屋上庭園で昼寝をしていた時だ。そこから見渡せるのは校舎裏だとか、体育館裏だとか、いわゆる告白スポットでもあり、汐のようないじめられっこがリンチにあう場所だ。
そこに今日、汐が来た。
汐が殴られるところを見ているのは清々しいから、この屋上庭園は特等席なのだ。俺はいつも見ている。今日もいじめっこにかわいそうなことでもされるのかな、なんて思いながら見ていた。
でも、そこにいたのはいつものいじめっこじゃなくて、どうやら後輩の一年生だったみたいだ。呼び出されたのか、日ごろからあの場で逢瀬をしてるのか、そんなことは知らないしどうでもいい。どうでもいいはずなのに。
誰だよ。誰だよ、あいつ。
「雪ちゃん、なにかあった?」
汐の綺麗な顔がこちらを向く。優し気なその表情からは綺麗に感情が抜き取られているようだった。人形のように容れ物の美しさだけを持って、ヒトらしさをどこかに置いてきたかのように、まるで汐が何を思って何を考えているのかが分からない。だから俺はこいつが嫌いなんだ。
「……なんも。どいてくんない? 邪魔なんだけど」
「うーん、そっかぁ。雪巳がそうしてほしいなら帰るね」
「なっ、」
ベッドから立ち上がった汐の腕を思わず掴んでいた。白くて細くて、ところどころガーゼの当てられた腕。
「……なんで、帰ん、の?」
「雪が邪魔だって言ったんじゃない」
「え……え……」
「雪ちゃんほんと、素直じゃないよね。一人は怖くなっちゃうんでしょ。寂しくていつも泣いてるよねぇ?」
にこりと笑った汐が俺の手を握り、子供と視線を合わせるようにしゃがんだ。ばくばくと心拍数が上がっていく。
「俺なら一緒にいてあげるのに。俺だけが一緒にいてあげるのに。雪巳のわがままに付き合える人が他にいる?」
「お前……だって、他の人」
俺は見た。汐が後輩の男と抱き合ってるところを今日、見た。
それがいったいどうした? なんだっていうんだよ。どうせ汐の顔につられた人間なんだろ? そしたら可哀そうにって笑うもんだろ。残念だったなって。こいつはそんな価値のある人間じゃねぇって。
「心配しなくても大丈夫だよ、雪巳」
汐の手が頬を包み込む。そんな綺麗な手で触れられることに嫌悪感が増していった。
ぼたぼたと目から水分が出ていく。
俺は人一倍寂しがりやだ。でもなんでだろうな。友達なんてできたことがない。いつも一人だ。目つきが悪いからかな。
クラス替えだとかで絶対にぼっちになる奴はいる。でもそういうやつらは大概ぼっち同士で固まるもんだ。それなのに俺は一向に誰とも話せないし話しかけられない。俺何かしたのかな。
さっきまで友達と笑って話してた奴が俺のことを呼びに来るときなんて笑えるぜ? 引きつった顔で小さな声で、目も合わせずに「志島くん…」って呼ぶ。
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