よだるい


愛は死よりも強し





L'amour est plus fort que la mort.


 愛が死よりも強い、という事実は何を以てこの世界で証明するのだろうか。抑々、人の愛を誰の物差しで測るのか。
 しかしこの愛の強さは不確定ながら実証されたのだ。


 自分が懇意にした若人も今は学び舎を離れ、社会の波に溶け込んだ。俺の机の隣で背を規則正しく伸ばして座っている。三年前では考えることもできなかったであろう。
 隣に座る彼の強かさといえば、あの激動の時期を耐え忍んだからであろうか、元来の彼の持つ性質なのかは定かではないが恐らくは後者なのだろう。

 1998年は激動だった。三年経った今も尚、失ったものを回顧しては身を震わせる人間を多く見てきた。俺自身もその例に含まれるが程度の差は人次第、といった処。
 そうした悲観に暮れる多くの者は家族や恋人を失っている。前提的に「悲しい」という感情の根源が愛情からくるものならば、つまり失う痛みは愛情によって比例するのではないだろうかと、考えずにはいられない。

 寮は違うが、隣に座る彼の旧友であり英雄とされた彼も、両親がいないという話はしばしば耳にしている。
 結果的に彼が勝利を納めたという事実は俺自身も理解をしている。死を象徴するような卿を討った。それに付随して彼の周囲の人間の霊魂の守護があったという話を後になって聞いた。
霊魂は彼の両親や名付け親と聞けば「愛は死を凌駕する」というのもおよそ実証されたのかもしれない。

「イヅルは、恋人よりも自分が先に死んだとして、彼の前に化けて出ようとか後ろで見守っていようとか思う?」

隣の漆の様な彼は驚いた声を上げてこちらを振り向けば、また正面に目線を戻して熟考の姿勢をとった。

「そうですね。化けて驚かせたいとは思いませんけど、前提的に彼が霊感のある方ではないと思いますし、影響を及ぼしたいとは思わないですね。でもそばで見守りたい気持ちは解りますよ」

 スーラさんも心配になるんですね、という微笑を付属して返事は返された。含みのある声には、YESとNOの隙間を与えれば、お互いを繋ぐ時間は切断された。




「どうしたの、随分難しそうな顔してる」
「……ああ、ごめん」
「いや、いいんだけど。どうしたの」
「英雄の話は君も聞いているだろ」
「ああ、ハリーのことか」

 彼はそれがどうしたと謂う態度でもって、続きを促すような表情を俺に向ける。機嫌を取ろうと思っていたのか両手にマグカップを持って俺の隣に腰掛ける。

「両親が彼を助けたことは、あれは愛故に、ってことだったのかな」
「ああ、それはそうなんじゃないかな。考えてみれば、彼は両親の愛って代償を犠牲に生を受けたようなものだろ」
「確かにね。だとした卿を討ちとめた物、君はそれが愛であると謂える?」
「それは否だな」

 フィクションならもちろんそうだろうが、あの結果は彼の技量、ということで満場一致。話題を振る前から分かり切った解である。
 だとしてもその是非を直接本人に聞いておかなければならなかったのだ。これは不安や焦燥と謂うらしく(・・・)ない(・・)一抹の感情に外ならない。ロジックを欠いた思考からくる質問であるのだから。

 曖昧にちぎられた会話に不完全燃焼の色をにじませ不服そうにこちらをうかがってくる彼は、未だ口を開いて追い打ちを掛ける非道には出てこないようだ。


 唯々胸中を占めるのは「俺が死んだ時、君はどれ程悲しんでくれるのだろうか」と謂う一言のみである。





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2019-10-28




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