ここ最近、太った気がする。理由なんてわかりきっている。というのも、ナマエは同僚であるアオキに餌付けされている。
初めの頃は「甘いものでも食べないと保ちませんよ」と飴ちゃん一粒とか、アルファベットのチョコレートぐらいのかわいらしいものだった。同じ部署ではあるが、あまり話したことのない同僚からのおやつ。特段イヤなわけではないし、口へ放りこむと飴玉がころころ転げ回っているのが癒しであった。代わりに、残業中のアオキへあたたかいコーヒーや新商品のお菓子を差し入れたこともある。
お互いに他意は、なかった。そう、そのときはなかったのだ。
そしてそのあともアオキからは出張土産のおまんじゅうを配られ、共に残業をしていたらデスクにお返しにとあったかいココアが置かれたこともあるし、ナマエとアオキは同僚としては仲の良いほうであった。
また、とある日にはどちらかともなく飲みに行くことになる。色気のない居酒屋のカウンターで横並びに座る二人が話すのは、仕事の愚痴半分、お互いのプライベート半分、といったところだった。個人でやっているこの店はあまり騒がしくなく、アオキとナマエにとっては落ち着いて話ができる場所として重宝していた。
「もうすぐ健康診断ですよ、どうしよ〜……」
と言いつつも、お猪口に注がれた酒をちびちびと飲むナマエ。それを横目に塩気の効いた枝豆を次々と放りこんでいくアオキ。つまみがずらりと並んだテーブルの上は豪華だ。二人前以上に量がある。
「一ヶ月でどうにかなる問題ではないので、諦めましょう」
「アオキさん、去年中性脂肪がどうとか言ってませんでした?」
「………………忘れました」
「あ、その顔は絶対覚えてる! 記憶力いいからアオキさんの前でヘタなこと言えないんですよねー」
ナマエは、健康診断が終わるまでお互いに差し入れはストップしましょうと言うつもりだったのに、話がそれてしまい、結局アルコールの抜けた翌日までそれを思い出せないのであった。
そしてまた、とある日。朝からあいにくの天気だったため外回りは別日にして、内勤業務に専念しようとアオキは自席についた。PCには前日まではなかった付箋が貼られており、そこにはナマエの字で「デリバードポーチ行ったら売ってました!」と書かれている。ふと目線を落とせば、新商品のラベルが貼られた手のひらサイズの菓子。「ノコッチのレモンケーキ」とある。土台のスポンジの上からレモンイエロー色のアイシングがかけられている。昼休憩のときにでも食べようと浮かれたアオキは、デスクの引き出しにそっと仕舞い込んだ。
「食べました?」
その日の彼女からの第一声はこれだった。他と時間をずらして入った休憩室にアオキ一人でいると、席は空いているのにナマエはわざわざアオキの隣に座った。
彼女の質問は先ほどデスクに置かれていたレモンケーキのことだと分かってはいたが、自分の手持ちを模した菓子はいかんせん食べづらかったと話した。おいしかったのは事実だったので、彼女には申し訳なさと共に伝える。
「アオキさんはかわいいもの見たらうわー! 食べたーい! ってならない?」
圧倒的にかわいいものを見ると食べたいだとか、めちゃくちゃ抱きしめたくなるとか、そういった衝動があることは心理学者の実験によっても証明されている。ただ、アオキは自分のポケモンに対してそのような感情を抱いたことはなかった。
しかし、目の前のナマエに対してはどうだろう。彼女がかわいいのは自分が一番知っている。そして、他の同僚より自分と仲が良いのは自覚している。そういった衝動が存在しますと改めて言葉にされると、自分がナマエに抱くそれはかけがえのない感情のような気がする。
自分はナマエさんを今すぐにきつく抱きしめたいのかもしれない。逃げられないように、逃がさないように、あるいは。
「……それは貴方に対してもですか? だとしたら自分は貴方を食べたいと思っています」
「え?」
その日から二人の風向きが変わった。
アオキはそれを失言だとは捉えておらず、むしろもっとストレートに本音を言えばよかったのかと後悔までしていた。自身が気づいていないだけで、以前からナマエに好意は抱いていたのだ。一方のナマエは遠回しに自分が“かわいい”と言われて普通に照れたし、食べたいの意味さえ理解していた。どうして自分が照れているのか気づいたときにはもう遅く、お互いの休憩時間は過ぎていた。
アオキは気づいてしまった。自分が年甲斐もなく、同僚の女性に焦がれていることを。そして同時にひどく自責の念に苛まれていた。どうしてあのとき、休憩室であんなことを言ってしまったのか。あの日は内勤だったにも関わらず一日中仕事が手につかなかったし、予定になかった外回りの仕事を無理やり入れて直帰にしてしまった。普段なら彼女の顔を見て安心するはずが、ナマエの姿を見るだけで、想像するだけで、こんなにも劣情に駆られるのか。
きっと自分はひどい男なのだろう。片道通行の身勝手な思いがナマエさんを困らせる。脳内で彼女への謝罪をシミュレーションし、本番へ臨んだ。
→お菓子ともども甘々ルート
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→何かに気づいてしまう不穏ルート
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お菓子ともども甘々ルート
「申し訳ありませんでした」
ナマエが休憩室で一人になる時間があることは知っていた。予想通り、彼女は自分と同じく他とは時間をずらして昼休憩をとっていた。まいどさんどのサンドイッチを口にしていた彼女に向かって、90°まで頭を下げる。
ナマエの表情はアオキにはわからないが、彼女は確かにこのとき動揺していた。数日間すれ違いで顔も合わせることがなかった同僚が、突然休憩室に入ってきたかと思えば謝罪の言葉を述べた。アオキは妄想上でさえもナマエへ失礼な態度をとってしまったことへ対しての謝罪を述べたつもりだったが、ナマエにとってはそれの意図が分からなかった。
……なんで“申し訳ありませんでした”? 何か謝られるようなこと、あったっけ。
ナマエは気づいていなかった。アオキがこの数日間、どれだけナマエへの感情を押し込めていたのかを。アオキの脳内のことなので言葉にしなければ自分自身しか知り得ないのだが、それでもアオキは後悔に後悔を重ねていた。
「あの、アオキさん、頭あげて……」
「いや、しかし自分は……」
「謝られるようなことアオキさんはしてないし……あ、ほら、今日も新商品あるんですよ。一緒に食べません?」
そう言って彼女はカバンの中からお菓子のパッケージを取り出した。商品名には“ネッコアラのバウムクーヘン ”とある。なるほど、ネッコアラの抱いている丸太を模してバウムクーヘンとはなかなか考えられている。ナマエは空いた隣の席をぽんぽんと叩き、アオキに座るよう促した。仕方なく腰を下ろすと、ぽつぽつとアオキが話し始めたので耳を傾ける。
「あの日からナマエさんと話さないと、って思っていたんです。ただ言い訳をすると、外回りとジム、四天王の業務が追いついていませんで、なかなかこっちに割く時間が……」
と言って続きを話さなくなったのでどうしたのかと隣を見れば、アオキは長考するように目を閉じていた。そのとき、ナマエは緊張感なくバウムクーヘンを頬張っていた。
「あ、すみません。どうぞ続けてください」
続けられるか。もそもそとおいしそうに食すナマエを目の前にして、話を続けられるほどアオキに積極性がなかった。アオキは一瞬だけ眉間に皺を寄せたが、すぐさま彼女のやわらかい両手をとり視線を合わせる。バウムクーヘン は、テーブルの上へ置いておく。
「……鈍感ですよね。こうでもしないと分かりませんか?」
「わたしをヤドンか何かだと勘違いしてます?」
「……してません。先日も言ったように、自分は貴方に好意を持っています」
ナマエは大きく目を見開いた。好きだとか嫌いだとか、アオキにそういったことを伝えられたことはなかった為、思わずびっくりしてしまった。
「え、それは聞いてません……! あの、わたしのことを
食べたいとは言ってましたが……」
「…………言いましたね、そんなこと」
記憶力がいいのはナマエも同じだった。アオキの発した言葉を事細かに覚えており、特にあの日の“食べたい”発言に関しては嬉しい反面どうも恥ずかしい気持ちもあった為、頭の奥底に仕舞っておいたのである。そして、今日それを改めて取り出し、アオキに感情としてぶつけた。
「ナマエさんとの、今の関係が壊れてしまうことが怖かったんです」
だから一歩が踏み出せなかったとアオキは目を伏せて言う。
「……ナマエさん、付き合いましょう」
その瞬間、アオキの何年も仕舞い込んでいた感情があふれて、思わずナマエの身体をきつく抱きしめた。そしてそれに応えるかのようにナマエもアオキの背中に手を回した。
何かに気づいてしまう不穏ルート
あの日から、アオキとナマエは顔を合わせていない。かれこれ一週間、いや、そろそろ二週間にもなるか。きっと営業以外のところで忙しなく仕事しているに違いない。どこかで一目でも会えればいいのに。そう思うほどにはナマエの中でアオキの存在は大きくなっていた。
アオキに“食べたい”と言われた日から、なんとなく他の人とは時間をずらして休憩室を訪れていた。一昨日も、昨日も、今日だって。おそらくアオキは自分に好意を持ってくれている。それはナマエも同じだった。せっかく何年も押し込めていた感情がアオキのたった一言によって心をかき乱されている。今の関係が壊れてしまうのではないかとナマエは気が気ではなかった。
アオキのおいしそうに食べる顔が見たいからと購入した“ネッコアラのバウムクーヘン”は、そろそろ賞味期限が切れてしまう。彼の手持ちポケモンであるネッコアラが抱く丸太を模して、バウムクーヘンとしている菓子だ。早く彼に会いたい。ナマエの中で、お菓子はアオキのついでであった。
今日も一緒にバウムクーヘンを食べることができなかった。仕事の帰り道、とぼとぼと歩いていると、前から黒い人影が視界の端に見えた。
「ナマエさん……」
「あ、アオキさん!?」
家で一人夕飯を食べるのもなあと思い、どこか寄り道して帰ろうと思っていた矢先だった。いつも以上にくたびれた様子のアオキに、思わず心配して駆け寄る。
「ナマエさん、夕飯まだですか? まだなら一緒に、」
そう誘われて来たのがいつもの居酒屋だった。赤提灯の目立つお店で、庶民的な雰囲気が二人の好みだった。またカウンター席に横並びに座り、適当に注文をする。
「アオキさんと会えないから寂しかったですよ」
「そうですか。自分もです」
本当か嘘か分からない表情でアオキが呟く。お互いに話したいことは溜まっていた。仕事のこと、自分のこと、あるいはお互いのこと。酒が進み、ほんのりと赤くなった顔でナマエはアオキとの会話を楽しんでいた。そらとぶタクシーの営業時間もそろそろ終わりそうな頃合いに、まだ話し足りない二人は店を出た。
まったく酔いが顔に出ていないアオキは、手慣れた様子でそらとぶタクシーを呼んだ。スマホロトムを操作する肉付きのない男性的な手に、ナマエは少しだけくらくらした。
「……あまり見んでください」
「なんで? アオキさんの手、わたしは好きですけどね……」
しまった、と思ったときにはもう遅かった。お互いに今の関係性を壊したくないため、好きとか嫌いとか、自らの感情をオモテには出さないことにしていたのだった。どうか酔っ払いの戯言だと流してはくれないだろうか。
「手、だけですか?」
「あ、え……っと」
流してくれなかった。そしてその手でナマエの両手を包みこむようにぎゅっと握りしめる。
「自分は、以前も言いましたがナマエさんのこと食べたいと思うくらい、好きです」
確かに食べたいとは言われたが、好きだとは聞いていない。どさくさに紛れて自分の感情をナマエにぶつけたものの、あいにくタクシーという邪魔が入ってしまった。
「さて、では帰りましょうかナマエさん」
「あの、帰るってどこに」
「自分の家に連れて帰ります」
アオキの言う自分の家とは文字通り、アオキの家である。タクシーに行き先を告げるアオキは、案の定ナマエの自宅がある街の名前ではなく、チャンプルタウンまでと伝えた。
気づいたときには、もう朝だった。カーテンの隙間から光が差し込むほどに朝日は登っているようだ。ナマエはアオキと飲んだあと、シラフであろうアオキに手を絡ませられ、積もり積もった思いを打ち明けられた。そして、帰宅。シャワーを借りた記憶はうっすらとあるが、そのあとはまったく覚えていない。いつのまにか寝ており、アオキの匂いのする寝具に包まれていた。
「ナマエさん、おはようございます」
耳元で囁くような低い声。身体ごとアオキのほうを向くが、何やら足が重く、冷たい金属のようなものが足首に触れている。どうやら手は自由がきく。自分にかけられたシーツを剥がすと、丸い輪が両足首に掛けられ、まるで拘束されているかのようだった。
「なにこれ……」
「ナマエさんにとても似合いますよ」
アオキは愛おしそうに目を細めてナマエの爪先に口付けた。普段なら口数少ないアオキが、つらつらとナマエに呟きだした。
「ナマエさん、好きです。今すぐにでも食べたい。…………ほら、ここなんて前よりふっくらしてますね」
ふいに肌の薄い脇腹を摘まれる。以前より太ったことはアオキに話したかもしれない。ただ、実際に肌を見せたことはないのに、比較しようがないのではないか。
もしかして、この人の言う“食べたい“は普通と違っているのではないだろうか。じゃあ出張土産だと言って渡されたあれは。残業で疲れたときに渡されたあれは。すべては自分をおいしくいただくための準備であった。そう思うと急にえも言われぬ恐怖におそわれ、ナマエの瞳には涙があふれた。
「やめて、おねがい、アオキさん……」
「ナマエさん、泣かないでください。涙の分、貴方が減ってしまう」
アオキはもったいない、と言うとナマエの涙を自らの舌で拭い、満足そうに薄く笑った。そしてベッドサイドから小さな壺を持って来たかと思うと、それに自身の手を突っ込んだ。
「ではナマエさん、手始めにこのミルクのクリームを塗りましょうか」
白くなったアオキの手からは甘い匂いがした。