5時45分のフーガ

 うちのボスはナンバーワンヒーローだ。
 満身創痍であることを隠し、笑顔で戦うスーパーヒーロー。
 弱いものに優しく、強いものに厳しい。そしてきっと自分に一番厳しい人。
 なまえはそんなボスに、密かに思いを寄せている。


 オールマイトの専属秘書は仕事ができる。
 活動時間が限られているオールマイトのスケジュールを完璧に組み、把握し、そして滞りなく進めていく。
 オールマイトはそんな彼女に、実は思いを寄せている。


 この職場は働きやすい職場だ。給料も立地条件もいい。なによりボスがカッコいい。
 だからなまえはこの職場を失うわけにはいかないと思っている。
 よって自分の想いを、ボスに伝えることはできない。
 きまずくなるのは困るもの。ずっとそう思ってきた。


 オールマイトの秘書は頭脳明晰、容姿端麗、才色兼備を地で行く女。
 ビジネス上でオールマイトが阿といえば彼女は吽と言う。実に心地よい関係。
 だから彼女を失うわけにはいかない。
 よって自分の想いを、彼女に伝えるわけにはいかない。
 気まずくなるのは困るんだ。


 けれど募る思いを諦めきれず、なまえは先月行動をおこした。
 毎年バレンタインに渡してきたのは有名ショコラティエ作のチョコレート。
 けれど今年はカフリンクスを送ってしまった。
 ボスは一瞬戸惑った顔をしていたが、すぐにそれをいつもの笑顔で押し隠し、ありがとうと言ってくれた。


 しかし募る思いは諦めきれない。オールマイトはそろそろ行動をおこそうと考えている。
 先月のバレンタインに、彼女はカフリンクスを送ってくれた。
 これは期待してもいいのだろうか。
 こみ上げる期待を笑顔の下に押し隠し、ありがとうとだけ告げたけれども。


 今日はホワイトデーなのに、ボスからは何のアプローチもない。
 他の女性スタッフに、お礼だとマカロンを配っていたのは知っている。
 どうしてわたしにだけはなにもないのだろう、なまえは涙が出そうになった。
 忘れるような人ではないのに。
 カフリンクスに込めた想いが伝わり、お返しを送らないことで無言の拒絶をされるのではというのが半分。
 それともその他大勢とは違う特別な対応をしてもらえるのではないかという、過剰な期待が半分。
 なまえは時計をちらりと盗み見る。終業まであと15分。


 今日のホワイトデー、オールマイトは考えた。
 一緒に食事はどうだろう。高級フレンチ、個室料亭、ダメだ気合が入りすぎてる。
 満漢全席……あり得ない。第一、今の私はそんなに食えない。オールマイトはため息をつく。
 なにかないか? 
 気張りすぎずに、ビジネスっぽさは皆無で、若い女性の受けが良い雰囲気のある店。
 やっぱりカジュアルなイタリアンが無難なところか。その後、ケヤキ坂にあるバカラ直営のバーにでも行こうか。
 さり気ないふりで時計をちらり。終業まであと少し。


 今夜、彼は誘ってくれるのだろうか。


 さてどうやって、今夜彼女を誘おうか。


 同じ気持ちが追いかけあって絡み合う、遁走曲のような、そんな午後5時45分。

2015.3.14

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