オールグリーン

 洗面所の小さな出窓に鎮座ましましているのは、ガラスの小瓶に挿した一枝のアイビー。レース越しの日差しを受けて短い根を伸ばし始めたグリーンに、毎日癒しをもらっている。
 そして我が家のグリーンはこれだけではない。キッチンのフラスコ型の三連フラワーベースにはポトス、寝室の窓近くの照明レールからつり下がるオキシカルディウム、玄関の入り口すぐには背の高いミリオンバンブー、リビングの窓の脇にはモンステラ……と、さまざまだ。

「なまえ、おはよう」

 と、背後から聞こえた声に振り向くと、そこには見慣れた長身痩躯。

「あ、おはよ」
「コーヒー淹れたけど、飲むかい?」
「わあ、ありがとう。いただきます」

 一緒に暮らし始めて知ったことだが、年の離れた彼は大変まめというか、丁寧な暮らしをするひとだった。

「そば粉のガレット仕込んでおいたんだけど、朝食にどう?」
「え、すごい。いただきます。サラダはわたし作ろうか」
「それももう用意しちゃった。あとはガレット焼くだけなんだ」
「……ありがとう」

 休日の朝とはいえ、すべてやってもらうのはさすがに申し訳ない。そう思っていると、こちらの考えていることを察したのだろう。俊典がちいさくウインクをした。

「じゃあさ、冷蔵庫からサラダを出して、小鍋に入ってるスープを温め直してもらえるかい?」
「はーい」

 言われた通りミッションをこなし、鉢とスープカップをセットする。と、俊典がちょうど焼き上がったガレットを持って来て、テーブルについた。
 そこにも小さな一輪挿しと、かわいいアイビーが一枝。

「おいしそう」
「だろ? 実際美味しいと思うよ」

 ほかほかと湯気をたてているそば粉のガレットの具は、卵とチーズとベーコンと、そしてしめじだ。サラダにはグリーンリーフとフルーツが盛られ、スープの中には角切りにされた野菜が沈んでいる。

 本当にまめなひとだ。家の中じゅうに飾られているグリーンも、すべて俊典が用意し、世話をしている。もともと俊典は鉢植えの観葉植物を欲しがっていたのだ。ヒーロー業に専念していたときには、世話ができなくて諦めていたからと。

 けれどわたしは虫が大の苦手ときている。だから土を家の中に置くのがどうしてもいやだった。
 俊典は優しいひとだから、そこで諦めてくれたのだけれど、ふらりと立ち寄ったカフェのテーブルに小さなアイビーが挿してあるのを見て、水耕栽培を思いついた。
 そうと決まれば早かった。行動派の俊典はカフェの帰り道に、いくつかのフラワーベースといくつかのグリーンを買い、そして、今に至る。

「なまえ、どうかした?」
「ううん。このガレットすごく美味しいね」
「だろう?」
「あと、アイビーかわいいね。おうちの中にグリーンがあると、癒される」

 すると俊典は、料理を褒めたときと同じくらい嬉しそうに、そうか、と言って目を細めた。

「よかった。君、鉢を置くの嫌がったから、水耕栽培も本当はいやなんじゃないか、無理をさせているかもしれないって、ってちょっと心配してたんだ」
「植物が嫌いなわけじゃないよ。嫌いなのは土につく虫」
「うん。それでもさ、我慢させていたら悪いなと思ってたから。でも、なまえが癒しを感じてくれているなら、私も嬉しいよ」
「ごめん、もっと早く言ってあげたらよかったね」
「いや、今知れただけで充分さ」

 そう告げて、ガレットにナイフを入れながら、太陽のように破顔した俊典。
 彼はお水をまめに替え、時に肥料を与え、時に話しかけ、窓辺のグリーンたちを丁寧に、そして大切に育てている。いつも大きな身体を屈めて、小さな花器を大きな指先でちまちまと整えるのだ。
 そんな姿が、とてもかわいくて。

 このかわいい人が数多のヴィランに恐れられ、内臓の一部を失い、毎日のように血を吐きながら、平和の象徴として闘い続けていたと思うと、嘘みたいだ。

 でも、こんな日が来たことが、わたしはとても嬉しい。

 ヒーローが前よりもちょっとだけ暇をもてあまし、元ナンバーワンヒーローがのんびりと窓辺でアイビーを育てられる世界で、大好きなこのひとと生きていけることが、本当に、なによりものしあわせ。

2025.8.1
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