「どうしたの?」
コーヒーを片手に黙りこくっていた私を案じたのか、なまえが不安そうにこちらを見上げた。それに「なんでもないよ」と微笑みを返し、気を落ち着けるため、互いの手元にある飲み物を見つめる。
彼女の手には甘いフラペチーノ、私の手にはアーモンドラテ。
「あ。もしかして、これ、ひとくちほしいんでしょ?」
私から滲み出ている重たい空気を変えようと思ったのだろう。なまえが私の目の前に、クリームたっぷりのスプーンを差し出した。
正直な話、胃袋のない私にこの量のクリームは今の空気よりよほど重い気がする。しかしせっかくのご厚意だ。思い切って、ぱかりと口を開けた。
「おいしい?」
「うん。甘くておいしいよ」
「よかったあ」
なまえが心から安堵したように、笑みを浮かべた。なんということだろう。それだけで、私の緊張は一気にほぐれ、心があたたかいもので満たされてしまう。
これが人を愛するということだ、と、しみじみ思った。君の笑顔を見ているだけで、私は世界一幸福な男になれるのだ。
私はいままで、「オールマイト」として、世のため人のために己の人生を捧げてきた。けれど巨悪を倒すことができた今、「八木俊典」というひとりの男として、私のすべてを君に捧げたい。そして君のこれからの人生を私に預けてもらえたならば、どれほど嬉しいことだろう。
「大事な話があるんだ……」
「なあに?」
こちらを見つめる彼女の瞳は、五月の空のように明るく、そして優しい。
「私の妻になってもらえないだろうか」
なんとか言葉を絞り出し――だが余裕ぶって――彼女の左手を取り、薬指に唇を落とす。するとなまえは頬を染め、うんと小さくうなずいた。
テラス席を渡る風は柔らかく爽やかで、萌える若葉は陽光を弾いてきらめいている。そんな幸福な、五月の昼下がり。
初出:2025.5.18
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