花海棠の樹の下で

「笑顔のひまわり」続編
こちらは原作92話より前に書いた話なので、オールマイトが雄英高校就任して一年後の話であるにもかかわらず正体が一般には知られていない設定になっています。以上が大丈夫な方だけ、先にお進みください



 期待に胸躍らせながら、夕闇の街をゆく。
 少しでも大人っぽくみられるようにと、春っぽい色合いのワンピースに淡い色のパンプスを合わせてみたけれど、この格好はどうだろう。先生と並んでもおかしくないだろうか。

 今年は急に温かくなったせいか、桜が終わるのが早かった。
 四月一日に満開になり、この週末にはもう葉桜だ。桜が終わってしまったのは少し残念。けれど街を彩る木々は桜だけじゃない。
 街路に沿って植えられた樹には、薄紅色の小さな花が咲いている。

 高揚する気分のまま、手元の腕時計をちらりと眺めた。時刻は六時四十五分。待ち合わせの七時には少し早いけれど、待たせるよりはよほどいい。
 わたしは胸を高鳴らせて、大きな時計の下で先生を待った。

***

 先生から電話がかかってきたのは、桜が満開になった四月朔日のことだった。

「みょうじくん?」

 電話の向こうから聞こえてきたのは、聞き覚えのある渋めの低音。
 当然のごとく、心臓が大きく跳ね上がる。

 バレンタインに、わたしは先生にチョコレートを渡したのだ。
 一件普通の義理チョコに見える地味なラッピング。けれどわたしは、その中に自分の連絡先を書いたメモを忍ばせた。
 国立大の受験の合間によくもまあそんなイベントをと我ながら呆れるが、どうしても先生に気持ちを伝えたかった。

 やっぱりというべきか、当然というべきか。卒業式もホワイトデーにも、先生からはなんのリアクションもなく。それどころか、卒業式に先生の姿はなかった。

 だからこのまま諦めようと思っていた。
 夏にかわした「卒業したら会いにおいで」という言葉など、社交辞令にすぎなかったのだと。
 それだけに先生からのこの電話は、わたしを天にも昇る気持ちにさせた。

「まずは、入学おめでとう。入学式、今日だったよね」
「ありがとうございます」
「実はバレンタインの時のお返しをしたいんだ。一緒に食事でもどうだろうか」
「はい、大丈夫です!」
「一か月くらいして落ち着いてからの方がいいかな? サークルとかいろいろあるよね」
「わたしはいつでも大丈夫です! 先生はいつがいいですか」
「んんー、私はできれば週末がいいんだよね。とりあえず都合がつく中で一番近いのは次の土曜の夜だけど……」
「じゃあ、その日で! 夜で!」
「え? 本当に大丈夫?」
「だ……大丈夫です。わたし、なにがあっても行きますから!」

 電話の向こうでくすりと笑う気配がした。あっ、どうしよう。食いつきすぎと思われただろうか。

「あの……」
「ああ、ごめん。みょうじくんは苦手な物とかあるかな? 和、洋、中で何か食べたいものある?」
「え……じゃあ洋食で」
「ん、じゃあ場所と時間がわかりしだいまた連絡するよ」
「はい」

 こんなことってあるんだろうか。これ以上ない幸福感に包まれながら、わたしは電話を切ったのだった。

***

 これはデートと思ってもいいのだろうか。
 髪形は崩れていないだろうか。メイクは濃すぎないだろうか。ドキドキしながら約束の時間が来るのをひたすらに待つ。
 やがて地下鉄の方角から、こちらに向かって歩いてくる背の高いひとの姿が見えた。
 濃いグレーのスーツにベージュのトレンチ。いつもはぶかぶかのスーツを着ているのに、今日は珍しくジャストサイズの服を着ている。
 かっこいいなぁと穴が開きそうなくらい見つめてしまった。
 初めて会った時には「悪の組織の科学者っぽい」なんて思ったくせに、我ながら現金なものだ。

「せんせ……」

 振りかけた手を、わたしは途中で引っ込めた。
 先生には連れがいたのだ。
 
 先生の隣にいたのは、美しき18禁ヒーロー、ミッドナイト先生。
 ミッドナイトはヒーローの時と違って、露出が少ない服装だった。それでもスタイルの良さは充分わかる。しかも彼女は背が高い。ハイヒールをはくと、180センチを軽く超える。
 二メートルを超える先生と並んでいても、まったく違和感がなかった。
 そしてなにより、ミッドナイトは大人の女性だ。年齢も身長も、わたしなんかよりずっと先生には相応しい。

 わたしはショーウインドーにうつる自分の姿をながめた。
 精一杯おしゃれをしてきたつもりだけれど、ミッドナイトに比べるとやっぱりどこか野暮ったい。ごくごく普通の女の子、それがわたし。

 反射的に柱の陰に隠れてしまった。
 やっぱり、わたしと先生ではつりあわない。

「みょうじくん?」

 隠れるのが少し遅かったようで、柱の向こうから聞き覚えのある低い声が響いた。柱の先からにょっきり伸びる長い首。

「えー!?」

 先生の隣にいたミッドナイトの眼鏡のレンズがきらりと光った。
 
「えー、えー、えーーー? あなた、普通科のみょうじさんじゃない? え? マイトさん。えー?」
「あれ、香山くん、みょうじくんのこと知ってるの?」
「そりゃ知ってますよ。普通科をトップで卒業した才媛だもの」
「あー、そういうことか。しかしなんだい? その『え』の連呼は」
「だって……いつからつきあってたんですか。まさか在学中から? 意外。マイトさんそういうひとだったんだ」
「君ねえ……」

 先生は否定も肯定もしなかった。
 わたしは少し心配になった。先生の立場からしたら、卒業したての生徒とつきあっているなんて噂が流れたら困るだろうに。
 実際に、ミッドナイトはにやにやしながら先生のことを見上げている。そんなことしないと信じたいけれど、もし変な噂をたてられたりしたら先生に迷惑がかかってしまう。

「あ……あの、違うんです。つきあってないです。わたし、先生のお名前も知りませんし」

 身振り手振りで必死にそう説明した。
 それにこれは本当のこと。先生は最後まで秘密だらけだった。担当教科も名前も教えてくれなかったのだから。

「あなた、名前も知らない人とデートするの?」
「で……デートじゃないです……あの……そんな風にみたら先生に迷惑がかかりますから……」

 するとわたしと先生の顔をかわるがわる見ていたミッドナイトに、満面の笑みが浮かんだ。

「あんた、いい子ねー」
「だろう」

 ミッドナイトの言に先生が得意げに呟いた。
 美しい18禁ヒーローは一瞬呆れたような顔をして先生を見上げた。そして軽く頭を振ってから、わたしに向かって嫣然と微笑んだ。

「邪魔してごめんね。それじゃ」

 長い髪をなびかせてミッドナイトは立ち去った。鮮やかだなぁと見惚れてしまう。わたしもいつかあんなカッコいい女性になれるだろうか。

「ごめん、じゃあ行こうか」

 先生の大きな手が、ぽんとわたしの頭に置かれた。それだけなのに、またも心臓が跳ね上がる。まったくこのひとは心臓に悪い。

「はい。でもミッドナイト先生はいいんですか?」
「ん? 彼女はこれから友人と会うみたいだよ。待ち合わせ場所がこっち方面みたいでね、ついてこられちゃったんだ」
「そうだったんですか」

 四月の頭に吹く風はまだまだ冷たい。だが、なんだか心が温かかった。
 先ほど先生がミッドナイトの言葉を否定しなかったこと。「いい子ね」という言葉に「だろう」と返してくれたこと。それがわたしの心に小さな花を咲かせていた。

「予約の時間には少し早いけど、行こうか」

 先生はすたすたと歩きだした。

 歩道と道路を隔てているのは、薄紅色の花をつけている街路樹だ。桜とはまた一味違う、花色がとても綺麗。
 この花はちょっと不思議なのだ。蕾の色は赤なのに、開花すると淡いピンク色になる。わたしはひまわりの次にこの花が好きだ。

***

 先生の連れて行ってくれたお店は、おしゃれなイタリアンだった。気取りすぎず、明るい雰囲気のお店。

「美味しかったです。わたしブルーチーズって苦手だと思い込んでたんですけど、けっこうイケました」
「そりゃあよかった」

 そんなとりとめのないことを話しながら、駅へと向かった。
 ふと、先生が道を間違えているような気がして、声をあげた。

「あの……公園の中を通っていった方が早いですよ」
「え?」

 先生は眼を大きく見開いた。
 なんだろう? どう考えても目の前の公園を突っ切ったほうが駅までは近いのに。かなり大きな公園だ。ここを迂回したら、結構歩くことになる。

「ン、君がいいならそれでいいけど」

 先生は少し困ったような顔をして、黄金色の頭をかいた。

***

 わたしはパニックを起こしかけていた。

 何故なら、公園内はカップルだらけ。
 ベンチを占拠している彼らは、こっちが気恥ずかしくなるほどの熱々ぶりだ。
 キスどころか、それ以上のことをしている人たちもいた。物陰から、草むらから、時折聞こえる甘い声。
 わたしにそういう経験はないけれど、なにをしているのかはなんとなくわかる。

 どうしよう、さっき先生がこの公園を避けようとしたのは、きっとこれが原因だったんだ。
 「誘っている」と思われただろうか。
 先生は呆れてしまったのか、さっきから無言のままだ。
 あまりに周りが開放的なので、目のやり場に困ってしまう。しかたなく、下をむいて自分のパンプスをみながら歩いた。まったく顔が上げられない。

「なまえ」

 公園の真ん中あたりまで来たときに、急に先生が立ち止まってわたしを呼んだ。名字ではなく、下の名前を呼び捨てにして。
 渋めの低い声がなぜか少し甘く聞こえて、返事すらできずにわたしはその場で立ちすくむ。その肩を、ぐいと先生に抱き寄せられた。

「君がこんなに積極的だとは思わなかったよ」

 えっえっ、違う。そんなつもりじゃなかったのに。
 先生とそういうことになったらと妄想したことも確かにあるけれど、妄想と現実の間には、大きく深い溝がある。
 どうしよう。どうしよう。
 そうこうするうちに、先生の顔はどんどん近づいてくる。

 どうしていいかもわからずにぎゅっと目をつぶると、額を指でトンと押された。
 慌てて見上げた先には、おかしそうに笑いをこらえる先生の顔。

「ゴメン。知らなかったんだろ? ここはね、夜になるとああいうカップルだらけになるんだよ」
「もしかして、からかったんですか?」
「うん、そうだね。あとは警告」
「警告?」
「あのね、君は可愛いから、気をつけないとこれからちょっと大変かもよ。男はみんなうぬぼれているからね。こういう悪いことができそうな場所に男と行くのは、とても危ない」
「はい」

 ん? 今、先生私のこと可愛いって言った?
 顔に朱が昇っていくわたしの頭上で、薄紅色の花の間を春の風がさらさらと流れていく。

「じゃあ、早くここから立ち去らないとね」
「えっ?」
「私もね、男なんだよ」

 私がその気になったら、君、困るだろ?そう耳元で囁かれ、心臓が破裂しそうになった。
 こういう時の低い声って、破壊力がすごい。
 男の人にも色気ってあるんだ。

 公園の出口の手前で、先生が立ち止まった。
 わたしは背の高い先生を見上げた。金色の頭髪より少し高いところで、薄紅色の可愛い花が揺れている。

 どうしよう、次の約束を交わすこともできなかった。
 ここで言わないと、もう会えなくなっちゃうのかな。
 だって今日のお食事は、バレンタインのお返しだって言っていたもの。

「あの……せんせ……」

 言いかけた唇に、長い人差し指があてられた。

「私から言ってもいいかな?」

 わたしはそのまま静かにうなずく。見上げる先に、少し照れたような先生の顔。

「近いうちに、また誘ってもいい?」
「はい」

 嬉しくて、ぽろりと涙があふれ出た。
 先生は慌てず騒がず、それをそっと指でぬぐってくれる。

「それから、先生と呼ぶのはもうやめようか」
「はい」
「私の名前はね……」

 大きな先生が私の方に屈みこむ。肉付きの薄い顔がさっきと同じように近づいてきた。
 どうしよう。
 でも今度の「どうしよう」は、さっきとは全く違う「どうしよう」だ。
 耳元に注ぎ込まれたのは、今風ではないけれど素敵な響きのお名前で。
 ドキドキしながらそのまま目を閉じていると、耳元から移動した優しい唇が、頬に軽く落とされた。

「今日はここまで」

 ゆっくりと目を開けた先には、晴れ渡った空と同じ色の瞳。
 これから少しずつ進展していけるのかな。先生と。

 わたしたちの頭上には、小さな花がその枝から垂れさがるようなかたちで咲いている。盛りを終えた桜のあとを追うように咲き乱れる、その花の名は花海棠。
 それはわたしがひまわりの次に好きな、薄紅色の可愛い花だ。

2015.9.1
- 9 -
prev / next

戻る
月とうさぎ