「笑顔のひまわり」「花海棠の樹の下で」続編。事情により原作とは時間の流れ方が異なります。大丈夫な方だけ先にお進みください
なまえの肩を抱きながら、目を細めた。
目の前に広がるのは、色とりどりの花々が絨毯のように敷き詰められた光景だ。
短い命を主張するように咲いているのは芝桜。赤い花は夕焼け空のように。ピンク色は夕焼けに生える桃色の雲のように。白は淡雪のように。
それは見事な群生だった。
「芝桜の花言葉ってたくさんあるんですね」
はしゃぎながら、なまえが芝桜の里のパンフレットを広げた。どれどれ、と、小さな冊子を覗き込む。
なるほど、たしかにたくさんあるようだ。
『白は燃える恋。濃いピンクは私を拒否しないで。薄いピンクは臆病なこころ。他にも希望、忍耐、誠実な愛』などといくつかの言葉が記載されている。
「芝桜ってもっと素朴なイメージがあったんですけど、こうしてみると圧巻ですね。まるで天鵞絨の絨毯みたい」
「そうだな。でもひとつひとつは小さくてかわいい花だよね。少し、君に似ている」
「えっ……ありがとうございます」
嬉しそうに笑みながら、なまえが私を見上げた。
つき合いはじめてひと月たつが、なまえは未だに、私に対する敬語がぬけない。
それどころか、私を『先生』と呼ぶことすらある。
いい加減、先生と呼ぶのはやめてほしいものだ。
だってホラ、通りすがりのカップルが振り返ってこっちを見ている。教師と生徒の禁断の恋とでも思われたのだろう。
まあ、そう思われても仕方がない。ついこの間までなまえは高校生だったのだから。
中年男と十代の女性という組み合わせは、見ている側に背徳感を抱かせるには充分だ。
私自身、このまま彼女とつき合っていていいのかと、自問自答してしまうことがある。
「ねえ、なまえ。本当に、今日は君を家に連れて帰ってもいいのかい?」
駐車場に向かう道すがら、私はたずねた。
なまえは今日、このまま我が家に泊まることになっている。二人で過ごす初めての一夜だ。
私にとっては遅い進展だが、自分がなまえの年齢のころ、付き合っていた女性と寝るのに三か月近くかかった。それを思うと、なまえにとっては早い展開であるのかもしれない。
しかも、私はなまえに大事なことをまだ伝えてはいなかった。自分がオールマイトであるということをだ。
秘密を持ったまま、なまえを抱いてもいいのだろうか。
親子ほどのこの年齢差は、社会的にも人道的にも、許されないことではないだろうか。
けれどそんな私のひそやかな躊躇を知りもせず。なまえは小さくはいと答えた。
芝桜を思わせる、可憐な微笑を浮かべて。
***
「先生、今日はとても楽しかったです」
風呂上りのなまえが、ソファでくつろく私の隣に腰掛けながらそう言った。
「君、そのふわふわでもこもこした部屋着、とても似合うな」
「ありがとうございます」
「でも、先生と呼ばれたのは心外だな」
不服であることをあらわすために、私はなまえを自分の膝の上に座らせて、やや強引に唇を奪った。
「もう先生じゃないだろう?」
唇を解放して、わざと耳元でそうささやいた。なまえはこうしてやると、かならず小さく反応する。
「……ごめんなさい……」
「いい子だ」
はやる気持ちを抑えつけ、もう一度唇をあわせた。先ほどよりも深く、強く。
なまえの唇は、いつも甘くてやわらかい。
「あ……あの……俊典さん」
「ん?」
ふわふわの上着の中に己の手を忍び込ませようとしたその時、なまえが遠慮がちな声を上げた。
「その……ひとつ聞きたいことがあるんです」
「なに?」
頬に唇を落して、なまえの言葉を待つ。
「俊典さんの……担当教科はなんですか?」
「え……」
「……ずっと気になっていたんです。まだ教えてはもらえませんか?」
とうとう聞かれてしまったか。しかもこのタイミングで。
いや、今までよくも聞かずにいてくれたものだ。
対外的に発表されている雄英の教師名の中に「オールマイト」の名はあれど、私の本名の記載はどこにもない。式典の類も、この姿では出席しない。
出会った場所が雄英であったとはいえ、いったい何をしている人間なのかと、気にならない方がおかしいだろう。
しかし、本当のことを言ってもいいものか。
なまえ、君は真実を知っても耐えられるだろうか。
事実は君を不安にさせはしないだろうか。
なまえはとてもかわいらしい。まるでピンクの芝桜のように。
ピンク色の芝桜の花言葉は、濃いほうが「私を否定しないで」で、薄いほうが「臆病な心」だっただろうか。
まったく、否定されたくなくて、臆病なのはいったいどちらの方なのか。
「………………学…………」
「は?」
「私の担当教科は、ヒーロー基礎学だ」
「ちょっとまって。あれはオールマイトの担当のはず」
「ウン。ソウダネ」
「ヒーロー基礎学はオールマイトの担当ですよ?」
そのままじっとなまえをみつめる。
「そうだね。ヒーロー基礎学の担当はオールマイトだ。そして私の担当教科もヒーロー基礎学……そういうことだよ」
「えっ……」
困惑し、理解しかねているなまえを前に、私は全身に力を込めた。説明するよりも見せてしまった方が、話が早い。
立ち上がる髪、増大し張りつめる筋肉。おなじみのヒーローの姿に、私はなった。
なまえの顔に、驚きの表情がまず浮かんだ。そして次に浮かんだのは、何ともいえない、悲しそうな表情だった。
裏切られたように思ったのか。それともトップヒーローとの付き合いは重いと感じたのだろうか。
「今まで黙っていてすまない」
ぶんぶんとなまえが必死で首を振る。それでもその表情はかたい。泣きだしそうな顔のままだ。
そして少しの沈黙の後、なまえが静かに口唇をひらいた。
「……これは……わたしが知ってもいいことだったんでしょうか」
「君になら知られてもいいと思ったから、教えたんだよ」
ああ、やはり引かれてしまったか。
だが問われたことに応えずに、なまえを抱くのはフェアじゃない。
「すみません、先生」
呼び方がまた先生になってしまっていることに気がついたが、私はそのままなまえの言葉を待った。
「正直、とても驚いています……」
「……そうか……だよね……」
「先生がオールマイトだったなんて、本当にびっくりしました……あの……本当に私なんかとつき合ってもらっていいのでしょうか」
「いいもなにも…私は君がいいんだよ」
「でもこれだけは言えます」
「……うん……」
するとなまえは、私の手をきゅっと握りしめて微笑んだ。
「わたしは先生が誰であっても、大好きです」
「ありがとう」
意外な言葉に我慢しきれず、トゥルーフォームに戻ると共に、なまえを強く抱きしめた。
「先生じゃなくて、俊典だよ」
サクランボのような唇が謝罪の言葉を紡ぐ前に、己の唇でそれを塞いだ。そのままソファの上に、そっとやさしく押し倒す。
甘い香りと共に脳裏に蘇ったのは、丘一面のモスフロックス……芝桜。
大地を守るように優しく彩るその花は、なまえによく似た花だった。
2016.4.29
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