昨夜の飲酒がたたったのだろう。
ダイニングに顔を出したのは、青白い顔をした長身痩躯のスーパーヒーロー、オールマイトだ。
胃袋を失ってからお酒は飲まないようにしている彼だが、スポンサーとの飲み会では、酒杯に注がれた酒を断りきれないこともある。
「大丈夫?」
コップの水を一息で飲み干し、二日酔いの英雄様は大きな溜息を吐きながらダイニングチェアに腰掛けた。
「なまえ。悪いけど、いつものアレ作ってくれない? 朝食はいらないから」
「はいはい」
「ウオッカ入れないでね」
「はいはい」
テーブルにつっぷして頭を抱えている彼に微笑んで、わたしはトールグラスとトマトジュースを用意する。
彼が所望するのはイギリスで二日酔いの迎え酒にはこれ、と言われるカクテルの、アルコール抜きのドリンクだ。
「昨日……っていうか、今朝だったわね、帰ってきたの」
「ウン」
「スーツの上着から、甘い香りがしたわ」
「……連れて行かれた店にね、女性がいたんだよ。銀座のクラブ」
「ああ、だからフランスのメゾンブランドの香りだったのね」
「まいったな、そんなことまでわかるのかい?」
「もちろんよ」
レモンとセロリをカットしながら微笑みかけると、彼は軽く肩をすくめた。
「あのさ、わかってると思うけど、浮気なんかしてないよ」
「わかってるわよ。あんなにへべれけの状態でそんなことできるわけないもの」
もちろん、彼が浮気するなどとは思っていない。
心変わりをしたならば、わたしとの仲をきちんと精算してから次に行く。オールマイトはきっとそういう人だろう。
「……その割に、今朝の君、なんだか機嫌が悪くない?」
当たり前だ。
わたしが普段からあなたの身体をどれだけ心配しているか。
いくら今日がオフだからって、無理をしすぎなのだ。
普段ヒーロー活動であんなに無茶をしているのだから、酒の席くらいうまくかわしてほしい。そう思うのはわたしのわがままなのだろうか。
グラスに氷とトマトジュースを入れ、レモン汁と塩、こしょう、ウスターソース、そしてタバスコを入れてステアする。
「なまえ、なんか怒ってない?」
「そうね、ちょっと怒ってる。だから血まみれマリーの代わりに、赤いお目々にしてやろうかと思っているわ」
「勘弁してくれ。今はビールだって無理だ」
ステアしたドリンクのグラスに、レモンの串切りとセロリを飾ってできあがり。
このカクテルはウオッカを入れて作るブラッディ・マリーがその元祖だ。多くのプロテスタントを処刑したことから血まみれマリーと呼ばれた、かの女王からきたカクテル。
ちなみにウオッカのかわりにビールを入れるとレッド・アイ、ジンを入れるとブラッディ・サムと呼ばれる。
そしてアルコールなしのドリンクは、その名もバージン・マリー。
アルコールを抜いただけで、マリーは血まみれから聖母へと格上げされるのだから驚きだ。
「はい、聖母マリーとよろしくどうぞ」
「ありがとう」
目の前にグラスを置いたと同時に、その手を掴まれ引き寄せられた。
わたしの体つきは普通サイズだから、彼の長い腕の中にすっぽりと入ってしまう。
「私の聖母は、なまえ、君だよ」
またそんなこと言って、甘い言葉なんかにごまかされないから。
それでも額にひとつキスを落とされると、わたしはこのまま流されてしまう。
昨日、あんなに心配しながら彼の帰りを眠らず待っていたことも。
今でも、彼の身体を案じていることも。
すべてキスひとつでなかったことにしてしまうのだ。オールマイトは本当にずるい。
いや、この場合は惚れた私の負け……きっとそういうことだろう。
「ねえ、あなたお酒臭いわよ」
「ン。知ってる」
「バージン・マリー、飲まないの?」
「飲むよ、だけど君が先」
明るいダイニングで合わせる唇。
これまでも、何度こうしてきたことだろう。
このままベッドに戻ることも、一度や二度のことではなかった。
幾度も繰り返された、濃密で幸せな時間。
歯列を割って侵入してきた舌に応えながら、わたしは彼の骨ばった背に手を回す。
オールマイトはしばらくわたしの口腔内を蹂躙していたが、やがてゆっくりと解放した。
「もう、ホントお酒臭いんだからね」
「だから知ってるって」
バージン・マリーを一口飲んで、スティック状のセロリをかじりながら彼が言う。
「これ飲んだら、シャワー浴びるから」
「え?」
「そしたら二人で出かけよう。せっかくのオフなんだから」
オールマイトは、わたしに対してもこうしてときたま無理をする。
だからわたしは後ろから彼を抱きしめてささやく。
「でかけなくていいから、今日は二人でゆっくりしましょう」
「なまえ?」
「あなたご自慢のシアタールームで、あなたお勧めの映画でも観ながらのんびり過ごしたい」
「シアタールームじゃなくてベッドルームでのんびりする?」
「のんびりできるの?」
「……できないな」
振り返りながら、オールマイトはもう一度わたしに口づける。
ちゅ、と小さな音を立てながらする、ついばむような軽いキス。
挑発するように彼の下唇を甘噛みすると、悪い子だね、と今度は深く口づけられた。
「とりあえず、先に聖母様を飲んでしまったら」
「ン、確かに」
彼は笑ってバージン・マリーを飲み干して、シャワールームへ向かう。
わたしは自分のためにブルーマウンテンのおかわりを淹れる。
この後のわたしたちがどの部屋でくつろぐのかはわからないけれど、わたしの位置は決まっている。
わたしはオールマイトの膝の上に乗って、細長い腕に包まれて、優しい彼を見上げるのだ。
筋張った首を、肉のない頬を、落ち窪んだ眼窩をそっと愛撫しながら。
わたしは彼といられるだけで、それだけで幸せ。
彼も同じ気持ちでいてくれるといい。
わたしはひっそり微笑んで、ほんのり甘いコーヒーの優雅な香りを楽しみながら、彼を待つ。
2015.10.5
原作94話より先に書いた話なのでオールマイトが飲酒できる設定になっています
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