長いこと無言で鏡を見つめていたオールマイトが、ぼそりとひとこと呟いた。
思いつめた瞳でそんなことを言われても、返す言葉に困ってしまう。
「ねえなまえ、ワイプシにあって私にないものって、なんだと思う?」
ワイプシことワイルドワイルドプッシーキャッツは山岳救助を得意とする、四人のヒーローチームだ。
夕方のことをまだ気にしているのだと気がついて、わたしは密かにため息をつく。
あなたは本当にあの子に夢中なのね。
「さあ……なにかしらね」
「……猫っぽさを出せばいいのかな?」
「うーん……プッシーキャッツはほら、女の子から見てかわいいと思うようなコスチュームを着ているから……あの子には魅力的にみえるんじゃないかしら」
「いや……あの子は猫が好きだろう? クリスマスに欲しがったのも、猫のぬいぐるみだったじゃないか……」
「あの子はあの妖怪アニメそのものが好きなのよ。あの猫はアニメのメインキャラなの」
さりげなく否定をしてみたものの、猫にこだわってしまったオールマイトはまったく聞く耳をもたない。
「……前髪を切って、ネコ耳でもつけてみるか……」
「……ねえあなた。それはどうかと思うわよ」
ことの発端は、出版社から届けられたヒーロー雑誌を見た娘の一言だった。
***
オールマイトがらみの記事が掲載された雑誌は、たいていにおいて出版社から事務所へと無料で届けられることになっている。発端になった雑誌も、その一つだった。
いつものようにオールマイトは娘の前で自身が掲載されている雑誌を広げた。
けれど彼最愛の娘がくいついたのは、オールマイトの写真が掲載された表紙や巻頭ページではなく、普通のカラーページでポーズを決めていた、プッシーキャッツの写真だったのだ。
「ぱぱ! このねこちゃんみたいなひーろーはなんていうの?」
「ああ、これはプッシーキャッツだよ」
「とってもかわいい! ひらひらすかーと!!」
「そうかい?」
「あたち、ぷっしーきゃっつ、しゅき!」
「へえ」
「ぷっしーきゃっつ、いちばんかわいい。いちばんしゅき!」
「えっ? オールマイトよりかい?」
「うん。あたち、おーるまいとよりぷっしーきゃっつがしゅき!!」
「え……」
まずい展開だな、とそのとき思った。
オールマイトは娘を溺愛している。その愛娘にプッシーキャッツが一番好きだなどと言われたら、さぞかしショックであるに違いない。
案の条、彼は娘を膝に乗せたまま、青天の霹靂といった表情で固まってしまった。
けれどそれもある程度は仕方がないことではあるのだ。娘は大好きなパパがオールマイトだなんて、微塵も思っていないのだから。
「ど……どうして? 前はオールマイトが大好きって言ってたじゃないか」
「だって、おーるまいとかわいくないもん。ひらひらすかーとじゃないもん。ねこちゃんたち、かわいい。しゅき」
「オールマイトは……かわいくない……」
娘がぴよん、とオールマイトの膝から降りた。それと同時に、膝を抱えて小さく―といってもたいして小さくはなれないのだが―丸まり、いじけてしまった平和の象徴。
オールマイトはこういうところがめっぽうかわいい。でもそのかわいさは、娘にはまだわからない。
今年四歳になる娘の「かわいい」は、美少女アニメや少女アイドルに向けられるのと同じ方向性の「かわいい」だ。
オールマイトは美少女でも美女でもない。だから「オールマイトのかわいさ」と「娘の求めるかわいさ」とは、まったくもって別物である。
「ははは……そう……そうか……かわいくないか……オールマイトはかわいくないんだ……」
「ねえ、パパ泣いちゃってるよ!」
がっくりとうなだれて鼻を啜りあげているオールマイトがかわいそうで、思わず娘にそう声をかけた。
「えー?! なんでぱぱが泣くんでしゅか? ぱぱはせわがやけましゅねえ」
仕方なさげに父親の元に戻ってきた娘は、首をかしげて少し考えるようなしぐさをした後、もちもちとした手を伸ばした。
丸まってみても、オールマイトは娘よりもだいぶ大きい。娘は慣れた様子で背伸びをし、ずずずっと鼻水をすすったオールマイトの頬をよしよしと撫でた。
「……ありがと……」
「あのね、ぱぱはかわいくなくてもいいんでしゅよ。かわいくないけど、ぱぱのことはだいしゅきよ」
「ウン……ウン……」
ずるずると鼻をすすりながら、オールマイトが顔を上げる。
こういう時は、正直、溺愛されている娘がちょっとうらやましい気分になる。
オールマイトは再び娘を抱き上げて、そのふわふわした頬に肉の削げ落ちた頬を擦り付けた。
「やめてぱぱ! おひげがちくちくする!!」
ゴメンねと笑いながら、オールマイトが娘の頭をくしゃりと撫でる。
わたしがそれすらもうらやましいと思っていることなど気づきもしない二人は、顔を見合わせてへへへと笑った。
***
「本当にあなたはあの子に夢中ね」
「まあね。娘は男にとっての最後の恋人っていうからな」
かわいくなる方法を見出すことを諦めたのか、オールマイトがわたしの隣に腰をおろした。
「あら、あの子が最後の恋人だったら、わたしはあなたのなんなのかしら?」
「君は私の大切な妻だよ」
「じゃあ、最後の恋人と大切な妻の二人がおぼれていたら、あなたは先にどっちを助ける?」
「もちろん、ふたり同時に助けるさ」
「まったくもう、本当にあなたはずるいわね」
返ってきた答えは予想通りの模範解答。でも、この問いに対する答えはこれでいい。
娘が先と言われても面白くないけれど、妻であるわたしが先と言われても「娘を先に助けてよ」と、きっとわたしは言うだろうから。
「かわいくなるにはどうすればいいんだろうか」
「は?」
まだ諦めていなかったんだ……呆れて返事が少し遅れた。
そんなところがこの人のかわいいところでもあるけれど。
そういえばあの子に慰められているときも、二度ほど「ぱぱはかわいくない」と言われていたものね。
「どうすれば私は、ワイプシよりかわいくなれるのかな」
「……あのね、あなた……ちょっと考えればわかるでしょ? どうあがいてもあなたは彼女たちよりかわいくはなれないわよ」
「でも……虎くんのポジションには入れるんじゃないかと思うんだよ…」
ああ……そっち……と納得しかけて、わたしは慌てて首を振る。
いやいやいやいや、やめてちょうだい。
わたしはミニスカをはいたオールマイトは見たくない。
いや、見たくないこともないけれど、オールマイトのヒーローとしての方向性は絶対そういうものじゃない。
「オールマイトは、今のままがいいと思うわよ」
「かわいくなくてもかい?」
「平和の象徴にかわいさは必要?」
「……ないね……」
オールマイトは心底がっかりしたように、大きな背中を丸めてうな垂れてしまった。
ああ、もう。本当にこのひとは。
「でもね。わたし、あなたほどかわいい人はいないと思うわ」
「そうかい?」
するとナンバーワンの英雄様は、きらめく太陽のような笑みを見せた。
他愛ない一言でこんな笑顔を見せてくれるあなたは、本当に誰よりもかわいいひとよ。
「ただ、そのかわいさはわたしだけのものだから、どこがどうかわいいかは言わないわ」
「なんだい、それ。教えてくれよ」
「だめ」
「いいじゃないか」
低く甘い声でささやきながら、オールマイトがわたしを後ろから抱きしめた。
だめよ、教えない。
だってあなたの可愛さは、わたしだけが知っていればいいと思うの。
娘が夢の世界へと旅立ったこの時間、オールマイトはやっとわたしだけのものになる。
この世で一番かわいいひとがくれる、春の夜のひととき。
それは儚い夢じゃなく、幸せすぎる現実だ。
***
実はこの話には、ひとつ後日談がある。
どうしても愛娘にかわいいと言われたかったオールマイトは、チアガールの衣装を身につけた写真を撮ってもらっていた。マッスルフォームの姿でだ。
妻であるわたしは、かろうじて「……カワイイワネ……」と棒読みで告げることができたが、幼女にそんな気配りができようはずもなく。
「ぱぱ、おーるまいとはすかーとをはいてもかわいくないんだよ」と冷たく返されたオールマイトがしばらく立ち直れなかったということは、家族だけの、内緒のおはなし。
2016.4.9
hrks先生のチアの格好をしたオールマイト(Twitter 2015.2.24)からヒントを得て書いたお話
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