晩秋のメロディ
〜Autumn Leaves〜

 夜の街を、木枯らしがゆく。

 足元の枯葉を巻き上げて踊る風は、身をすくませるほどつめたい。
 秋の終わりを感じながら、襟元のストールをかき合わせた。

 目的の場所は、江戸時代から続く日本庭園の向かい側にあった。わたしたちが大好きな、小さな中庭を持つ、瀟洒でしずかなレストラン。

 通りを渡り、蔦の絡まる門をくぐる。石畳を踏みしめながらすすむと、隠れ家めいた入り口にたどり着いた。
 いつきても、ここはしずかだ。都会にいるとはおもえないくらい。
 壁面には床の間をイメージした空間がひとつ。
 そこにモダンないけばなが飾られていた。人の顔ほどもありそうな大ぶりの南国花を、丸めたり曲げたりしたハランでぐるりと囲った、斬新で大胆なデザイン。

 俊典は、まだ来ていないようだった。ストールとコートをクロークに預け、案内された席につく。

「君の誕生日に、レストランをリザーブしておいたよ」

 俊典からそう連絡が来たのが、先週のこと。
 「席」ではなく「レストラン」と俊典が言った理由が、ここに来てわかった。
 店内のテーブルでセッティングがされているのは、わたしがすわるこの席だけ。他に客は誰もいない。
 ベーゼンドルファーのグランドピアノも、客が他にいないさみしさのなかで奏者を待っているように見える。
 おそらくは、店ごと借り切ってしまったのだろう。相変わらず、彼はやることが大仰だ。

 こうした演出が嬉しくないといったら、もちろん嘘になるけれど。

「お連れ様は少々遅れるとのことです。それまで、なにかお飲み物でもお持ちいたしましょうか」

 軽く一礼しながらわたしにそう告げたのは、ギャルソンではなくメートルだった。
 他に客がいなくとも、俊典の名前を出さず『お連れ様』と言うあたりはさすがだ。
 なぜって。どこで誰が聞いているかわからないから。
 一般人ならともかく、著名人……ことにまだまだ敵が多いオールマイトの場合、こうした配慮はやはり必要だった。

「そうですね、ではミモザを」

 飲み物を頼み、息をついた。
 ヒーロー業を引退した俊典だけれど、まだまだどうして、元平和の象徴は多忙だ。こうしたことも、未だよくあることではあった。
 誕生日なのになどと、こどもじみたことを言うつもりはない。こうして店を借り切って祝ってもらえる、それだけで充分なはずだ。

 ただ、そう……と、中庭の木々を眺めて、心のなかでひとりつぶやく。
 あの木の葉がひとひら落ちる時に生じるような、ほんの少しのさみしさが胸をよぎることくらいは、許してほしい。
 と、二度目のため息をついたとき、テーブルにミモザが運ばれてきた。
 鮮やかな黄色がうつくしい。最も贅沢なオレンジジュースとも言われる、シャンパンベースのカクテルだ。
 ギャルソンにかるく会釈して、口をひらく。

「入り口に飾られていたお花、とてもすてきでした」
「ありがとうございます。とあるヒーローのイメージでしつらえさせていただきました」
「ヒーロー……」
「はい。平和の象徴とも呼ばれていた、我が国が誇るヒーローでございます」
「……」

 これが店としてのサービスであるのか、それとも単純なオールマイトへのリスペクトなのか判断しかね、微妙な表情をしてしまった。
 俊典の真の姿が知られてしまったいま、ギャルソンはわたしの待ち人がオールマイトであることを、知っているはずだから。

「あの大きな花はキングプロテアといいます。その堂々たる花ぶりに、王者の風格、という花言葉がつけられた花でございます」
「……本人がきいたら喜ぶでしょうね」
「そうであって欲しいと願っております。我々は、みな、彼のファンですから」

 ギャルソンの言葉に笑みを返して、俊典の反応を思い浮かべた。
 そう、きっと彼は喜ぶことだろう。少しはにかみながら――あの大男は少女のようにはにかむのだ。またそれがかわいかったりするのだから、ほんとうにまいってしまう――破顔する。そんな気がする。

 つめたいミモザをひとくち飲んで、窓の向こうに広がる中庭をみつめた。
 ライトアップされた秋の木々が、木枯らしにゆれている。ひとつ、ふたつと落ちてゆく葉は、やはりどこかもの悲しい。
 それは、晩秋によくある光景だけれど。

 と、その時、かたり、と背後で音がした。

 音のした方に視線を転じると、グランドピアノの前に立つ、背の高い男の姿がみえた。
 黒いタキシードを身にまとった輝かしい金髪の男は、優雅にこちらに向かってお辞儀をし、席に着く。

「俊典?」

 思わず、ちいさな声をもらしてしまった。

 ひょろ長いその姿をわたしがみまごうはすがない。ピアノの前に座る男は、どこからどうみても、わたしの待ち人。
 彼は照れたようにわたしに向かって微笑んで、鍵盤の上に指を下ろした。

――枯葉――

 それは、あまりにも有名なシャンソンをジャズアレンジしたピアノソロ。

 緊張しているのだろうか、弾きだしはややタッチがかたいように思われた。だが演奏がすすむにつれ、徐々に音が柔らかになっていく。

 長い指がキーを叩くと、細やかな音の粒たちが楽しげに踊る。
 俊典そのもののような、伸びやかでまっすぐな、美しい音色。
 それにベーゼンドルファーらしいまるみを帯びた柔らかなさが重なる、実に心地の良い演奏だった。

***

「すてきだった」

 席に着いた俊典を拍手で迎える。
 すると彼はほんのすこしはにかんだのち――ほら、やっぱりかわいい――嬉しそうに破顔した。

「ありがとう。君に一曲プレゼントをしようと、ふと思い立ってね」

 俊典はさらりとそうこたえたが、ふと思い立ってできるような演奏ではなかった。
 このひとはきっと、なにごとにおいてもそうなのだろう。努力の跡などおくびにも出さず、さらりとなんでもこなしてしまう……ように見せる。
 オールマイトが長年平和の象徴と呼ばれ続けたゆえんを、今さらながらに垣間見たような気がした。

「誕生日にはふさわしくないかもしれないけれど、どうしても秋らしい選曲にしたくてさ」
「アレンジが軽快だったから気にならなかったわ。それに今の季節にぴったり。だってほら」

 と、わたしは中庭へと視線をうつす。彼もまた、わたしにならってそれをみつめる。
 木枯らしが葉を散らし、巻き上げ、輪舞を踊らせるさまを。

「ああ。本当だ」
「風は強いけれど、いい夜だわ」
「まったくだ」

 俊典がグラスの中身を傾けながらいらえた。
 お酒がのめないこのひとは、食事中、アルコールの代わりにミネラルウォーターを飲む。水の豊富な我が国で、ただのお水を干す姿がここまでスタイリッシュに見える男性はそういない。

「それから、プレゼントがもうひとつ」

 と、俊典が小さな青い箱を取り出した。
 箱の中身は、シンプルなソリティアのネックレス。地金はプラチナ、石は俊典の瞳と同じ深い青の……サファイアだった。

「なまえ」

 と、彼はわたしの手をとった。甲にキスしながら、彼はつづける。

「お誕生日おめでとう。この一年が君にとってすばらしいものになりますように」

 ありがとう、といらえた瞬間、また中庭の落葉樹が、はらはらと葉を落とした。

 地面の落ち葉を巻き上げて踊る風は、おそらく身をすくませるほどつめたいだろう。それでもきっと今夜は寒くはない。
 だって、隣に彼がいる。

 あとで、さっきのお花の話もしてみよう。そうしたらもう一度、このひとのはにかむ笑顔が見られるだろう。
 ああ本当に、今日は最高の誕生日。

 夜の街を、木枯らしがゆく。

2020.11.14

秋にうまれたあなたへ

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