「天海の銀〜」シリーズ「祈り」を書いたらメンタルがぼろっぼろになってしまったので、回復のために書いた話。恋愛要素も夢要素もありませんが、カッコいい(と私が思う)オールマイトはいます。本誌展開とは違ってしまったので一旦消しましたが、好評でもう一度読みたいというお言葉をいただいたので再掲します。これはこれとして楽しんでいただけましたら幸いです。
夜が、泣いていた。
黒のスーパースポーツカーは、桜流しの雨を切り裂くように進んでゆく。
オールマイトはインパネのセンタークラスターを眺め、小さく息を吐いた。モニターの中で点滅しながら動いている、小さなあかりをみとめたからだ。
――まだ動いている。……少年……あまり寝てもいないだろうに。
窓の外で降りしきる四月の雨は未だ冷たいことだろう。弟子の身を案じながら、オールマイトは再び前方に視線を転じた。
夜の闇の向こうで、オールマイトのことを最期まで案じながら命を散らした相棒の姿が、浮かんでは消える。
――ナイトアイ……。
かつて己のもっとも近くにあり、そして今はもういない相棒の名をオールマイトが呼んだその刹那、鳴り響いた機械音。
青い瞳が再びセンタークラスターへと流れる。同時に漏れた「なんということだ」という小さな呟き。
少年のGPS反応が、消えていた。
「くそっ!」
まったく、事態は急速に変化する。
そうオールマイトが内心で呟いたのと、ピンの抜かれた手榴弾が煌めいたのが同時だった。当然のように起こる爆発。雨中に焔が立ち上り、轟音が夜の闇に鳴り渡る。粉砕されたアスファルトを竜巻のように巻き上げながら、砂塵が周囲を覆いつくした。
数秒の後、ごう、と音を立て煙幕の中から飛び出してきたのは、敵ではなく漆黒の車。特殊装甲を施されたつややかで美しいボディには、砂粒ほどの傷すらついていない。
「まったく、侮ってくれたものだ」
くつくつと喉を鳴らしながら、オールマイトがカーステレオのスイッチを押した。流れてきたのは誰もがよく知る作曲家の、誰もがよく知る交響曲だ。特徴的な動機で始まるこの第五番を知らぬ者はまずいない。ただしいま車内に流れているのは、もっとも有名な第一楽章ではなく第四楽章。
「この私がなんの準備もせず、この場に出てきているとでも?」
長い指がパネルに触れた。とたん、最大ボリュームの交響曲が、黒い車内を占拠する。
「さて……」
アクセルワークとブレーキングを駆使し、オールマイトが車を急旋回させた。肉付きの薄い顔に浮かんでいるのは、現役時代と何ら変わらぬ不敵な笑みだ。
「敵諸君。反撃の時間だ」
オールマイトが低く静かな声で宣する。両の口角をあげたまま。
***
「運命か……」
交響曲の終了と共に、オールマイトはステレオを切り、再び視線を前方へと向け、アクセルを踏み込んだ。腹に響く、エキゾースト音。次の瞬間にはもう、倒した敵の残骸は、はるか後方へと消えている。
桜流しの雨が泣くように降りしきる中、漆黒の車は進みゆく。やいばのように、夜の闇を切り裂きながら。
2021.5.12(Twitter初出)
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