Happy b-day

 梅雨の晴れ間特有の、湿度も気温も高い昼下がり。
 色とりどりのスイーツを横目で見ながら、エスカレーターに乗った。目的地は紳士もののコーナだ。
 なぜって、今日は俊典さんのお誕生日だから。

 ふたりで過ごすお誕生日ははじめてではない。それでも、彼へのプレゼントはどうしようか毎回悩む。だって彼はなんでも持っている人であり、なんでも手に入れられる人だから。
 俊典さんは平和の象徴、いってみればスーパーセレブだ。それだけに彼の持ち物はハイブランドのものも多かった。

 わかってる。
 本当は、なにを用意しても喜んでくれる人だってこと。
 それでもより喜んでもらいたいと思ってしまうのが、恋する女というもので。
 出会ってから数年経つけれど、わたしはいまだに、俊典さんに恋い焦がれて続けている。
 彼もそうだといいのだけれど、と思いながら、紳士服売り場に足を踏み入れた。

 俊典さんはプレゼントされるより、することのほうが好きみたい。だからわたしは彼からいろいろなものを与えられてきた。
 ハイブランドのクローバーの形をした時計であったり、薔薇の花をかたどったネックレスであったり、華やかな香りのフレグランスであったり、ソールの赤いハイヒールであったり、オートクチュールのドレスであったり。
 それらはどれも美しく、そして洗練されている。身につけているわたしもそういう女性であると、勘違いしそうになるくらい。

 先日も、彼はわたしにとても素敵なナイトガウンを買ってきた。
 それはイタリアの下着ブランドのキモノガウン。袖口に豪奢な刺繍が施されたシルクの製品で、色は黒。丈は膝よりも少し上のセクシーなもので、淡いピンクや白い下着が多いわたしには、かなり刺激的なデザインだった。
 なによりも刺激的だったのは、これを差し出したときの彼のセリフだ。

「これからの季節、夜はこれ以外何も身につけてはいけないよ」

 そう言いながらいたずらっぽく笑い、俊典さんはわたしに向かってウインクをした。彼はほんとうにチャーミングでセクシーで、そして少しずるい大人だ。


「あ」

 ひとついいことを思いつき、声をあげた。
 プレゼントも渡し方も、いままでしたことのない、けれどきっと彼は面白がってくれるだろう、そんなすてきな思いつきだ。
 ひとり小さく微笑んで、わたしは目的の売り場へと足をむけた。

***

「ただいま」
「おかえり」

 言いながら、わたしは軽く背伸びをした。心得た俊典さんが、わたしに向かって身をかがめる。乾いた唇におかえりなさいのキスをすると、彼は黙ったままにこりと笑った。

「お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「あのね、今日のケーキはアイスにしたの」
「それはいいね、今日は暑かったし、アイス食べたかったんだ」

 優しい俊典さんは、いつもこうしてわたしを肯定してくれる。些細なことだけれど、それはとても嬉しいもので。

「わあ、きれいだね」

 クランベリーソースがかかった赤くてかわいいアイスのケーキを出すと、彼は嬉しそうに目尻を下げた。

 もう一度お誕生日おめでとう、と言ったあと、それぞれのお皿に取り分けた。我が家では、俊典さんの希望でロウソクを吹き消すあのイベントを省略している。
 そのかわりと言ってはなんだけど、はたから見たら少し変であろう食べ方を、わたしたちはおこなっていた。これも俊典さんの希望で、俊典さんのお誕生日の日だけにするお約束。
 それは――。

「はい、あーん」
「ん」

 それぞれのお皿のケーキを、こうしてそれぞれに食べさせるというものだ。

「はい、なまえ」
「ありがと」

 あーん、と大きく口を開けると、赤くてきれいなアイスが舌の上に乗せられた。あまずっぱいクランベリーが、口の中で溶けてゆく。

「おいし」
「うん」

 俊典さんが紅茶をひとくち飲んで、やわらかく笑った。この穏やかな微笑みを浮かべているひとは、我が国が誇るスーパーヒーロー、平和の象徴。
 そして、わたしのこの世で一番たいせつなひと。

 かつて彼は、「私の安らげる場所になってくれ」とわたしに言った。
 それから数年経ち、ひそかに考える。わたしはいま、彼の安らげる唯一の場所になれているのだろうかと。

 黙り込んでしまったわたしを案じてか、どうしたの、と俊典さんがたずねてきた。だから微笑みながら答える。しあわせなの、と。
 私もだよ、と応えた俊典さんの口元に、またアイスのケーキを運んだ。

 ところが、次の瞬間、「ん」と言いながら眉をしかめ、平和の象徴が眉間を押さえた。

「どうしたの?」
「……キーンってしちゃった」

 少し眉を寄せて、それでも笑う俊典さんは、年齢を感じさせないくらいかわいくて。

「大丈夫?」
「ウン」
「残りどうする? 食べられる?」
「ああ、食べるよ。ちょうだい」

 その言い方もが可愛くて、思わずふふっと笑ってしまった。

「なに?」
「なんだかかわいかったから」
「そうかい? 私は君のほうがかわいいと思うけどな」

 言いながらわたしの手を取って、俊典さんが甲に冷たい唇を寄せた。

 ああ、もう――。

 かわいいと思わせておいて、このひとはしれっとこういうことをする。
 おそらくわたしは、いま、真っ赤な顔をしているに違いない。

「ほらな、君のほうがかわいい」

 満足そうにゆっくりと微笑んだ彼は、すでに大人の余裕を取り戻している。それがなんだか、すこし悔しい。
 だけど今日は俊典さんのお誕生日、特別な一日。だから、いつもと違うことを仕掛けてみてもいいだろうか。そうしたら、彼から大人の余裕は消えるだろうか。

「なまえ?」
「はい、あーん」

 俊典さんの呼びかけに、微笑みと共に答えて、綺麗な赤いソースがかかったアイスを彼の口元へと運ぶ。彼も自分の皿からアイスをすくって、わたしの舌の上にのせた。

 口の中でアイスを溶かしながら、わたしは今夜の自分のもくろみを反芻する。
「今夜は、これ以外なにも身につけたらだめよ」
 プレゼントであるシルクのガウンを渡しながらこう告げたら、俊典さんはどんな顔をするだろう。

 困ったように眉を寄せるだろうか、それとも楽しげに笑うだろうか、それとも色香を吹くんだ青い瞳でまっすぐわたしを見つめるだろうか。
 どうも最後のような気がするけれど、実際は、その場になってみなければわからない。

 プレゼントを渡すまで、あと少し。
 果たして彼は、わたしにどんな答えを返すのだろうか。

2020.6.10

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