笑顔のままで

オールマイトと焼き林檎



 徐々に暗くなっていく山際を、ひとり見つめた。素晴らしい夕焼けだ。雄大で、そしてどこかもの悲しくて。

 大勢でのキャンプもいいけれど、たまにはソロもいい。ソロでの野営は穴場に限る。最低限の設備しかない、人も少ない、けれども自然は豊かな、そんなキャンプ場。
 少し離れた場所に大きなテントが張ってあるが、なぜか誰もいないようすだった。駐車スペースに、ド派手なアメリカ製のSUVがとまっていた。どこにいったのかは知らないが、きっと同じひとだろう。

 設営を見るに、テントのサイズはファミリー向けだが、おそらく向こうもソロキャンプ。どんなひとだろう。自分はさておき、こういうところでソロをキメるのは、たいていにおいて男性だ。できれば紳士的な人が望ましい。女がひとりでいると、いろいろ面倒なことがあるからだ。

 まあ、一次の隣人について考えてもしかたない。そろそろ夕飯の支度をするかとテントに向かった、そのときだった。

「やあ、かわいいテントだね」

 背後からかけられた、壮年男性の声。きっと隣のひとだ。いつのまに来たのだろう、ぜんぜん気がつかなかった。

 面倒くさいなとひそかに思った。なぜおじさんという生き物は、若い女にいろいろ指導したがるのだろう。あからさまなナンパならまだあしらいようがあるが、向こうは親切のつもりで声をかけてくるのだから、始末がわるい。

「はあ……」

 と、わざとため息をつきながら振り返り、そして、わたしは絶句した。

 なぜって。この国の人間ならば知らぬもののない英雄が、目の前に立っていたから。
 筋骨隆々と表現するにふさわしい堂々たる体躯をカーゴパンツとTシャツに包み、爽やかに笑うそのひとは、平和の象徴。

「オールマイト……」
「驚かせてしまってすまないね。君のテントが、あまりにもかわいかったものだから」
「いえ……」
「それ、ワンポールのベルテントだよね。チェリーピンクの切り替えとフラッグラインが、またかわいいねえ」
「ありがとうございます。グランピング施設で使用して以来、ずっと憧れていて。でもベルテントって大きいものが多いじゃないですか」

 相手が有名人だとわかったとたん饒舌になる自分は、現金な人間だと思う。けれども、仕方がないだろう。わたしの職業でこのひとに憧れない人間など、おそらくいない。

「ああ。そうだね。大人数向けのものが多い」
「でもやっと、このサイズを見つけたんですよ。お一人様向けの」
「うん。それ、めちゃくちゃかわいいけど、設営はどう?」
「楽ですよ。ドーム型のワンタッチほどではないですが、ペグ打ちしてからポールを立てるだけなので、簡単で早いです」
「ポールがひとつ、っていうのは大きいよね」
「そうですね」
「ほんと可愛いよね。私も欲しいなぁ、ワンポールテントは天井が高いものが多いし。ホラ、私、この図体だろ? 身長に合わせるとどうしてもテントが大きくなっちゃうからさ」

 オールマイトのテントは家型の大型テントだ。高さ二メートル半、幅も五メートル近くはあるだろうか。

「そうですね。これも高さが二メートル近くありますよ。ただ、高さはあってもこのテントでは、横になったとき、はみ出ちゃうかもしれませんね」

 それなんだよなぁ、と頭をかいた偉丈夫を見上げた。近くでみるとやはり大きい。高校の同級生に二メートル半の大男がいたが、その彼よりも大きく感じる。

「ちょっと入ってみます?」
「えっ? 女性のテントに、いいのかい?」
「サイズを体感してもらうだけですし、まさか、平和の象徴がこんなところで変なまねをするはずはないでしょうから」

 ああ、とオールマイトが苦笑した。

「じゃあ、失礼するよ」

 大きな身体が、小さなベルテントのなかに収まる。膝を丸めて座る姿がなんだか妙にかわいらしくて、笑ってしまった。

 平和の象徴、そんな二つ名を持つすごい人なのに、どこかユーモラスで愛らしい。けれどきっと、こうした愛らしさもオールマイトの魅力のひとつなのかもしれない。戦闘においては鬼神の如き活躍を見せるのに、普段は明るくきさくで、常に笑顔をたやさない。そんなところが。

「わあ、ポールの色もチェリーピンクなんだね。ホントかわいいなあ」

 と、大きな身体からハートをいっぱい飛ばしている、我らが英雄。その表情はまるで乙女だ。だが、次の瞬間、乙女の笑顔がしゅっとしぼんだ。

「ただ……やっぱり横にはなれなさそうだな」

 しょんぼりするようすが雨に打たれた大型犬のようだったので、思わず携帯端末を取り出してしまった。たしか、同じメーカーでサイズ違いを出していた気がする。

「あ、同じメーカーでもう一回り大きいのが出てますよ。ホラ」

 と、出てきた画面をオールマイトの前に差し出した。まったく同じデザインだが、高さ二メートル半、径も約四メートルある。これならオールマイトが横になっても余裕があるだろう。今のテントと似たサイズになってしまうが、そこは妥協してもらうしかない。

「ホントだ。付属品でマスタードイエローのフラッグラインもあるね」

 ありがとうと言いながらテントから出てきたオールマイトに、いいえ、と返した。

「ところで、君」
「はい?」
「無粋なことを言うようだけれど、こういう管理人のいないキャンプ場で女性がひとりでいるのは、危険だと思うよ。できれば管理人が常駐しているところか、ファミリー向けのところがいいんじゃないかな」

 オールマイトの心配も当然だ。わたしも同じようなことをしている女性を見かけたら、同じ注意をするだろう。しつこくつきまとったり、暗闇に乗じて女性のテントに忍び込んだりするような輩は、どこにでもいる。

「ありがとうございます。でも、たぶん大丈夫だと思います。民間人相手に遅れをとることは、おそらくないかと」

 わたしはその変な輩を確保する側の職業ヒーロー。
 個性はナイトビジョン、暗視だ。つまり暗闇こそがわたしの独壇場。

「ああ、なんだ。同業者か。それはすまない」

 わたしが掲示したヒーロー許可証を確認して、オールマイトが続ける。

「ノクターヌスか」

 ヘビーメタルバンドのような名前だが、これにもきちんと意味がある。ラテン語で「夜に属するもの」という意味だ。

「はい。名前の通り、主に夜間に活動しています」
「個性も夜向けの?」
「はい、ナイトビジョンです」
「いい個性だ」
「ありがとうございます。まだ二年目なので、自分の事務所は持っていないんですが」
「なに。最初はそんなものさ。出身は?」
「士傑です」
「……士傑で二年目というと、ファットガムと同期かい?」
「そうです」

 ちり……と、胸がうずいた。オールマイトに認識されている同期が誇らしくもあり、同時に妬ましくもある。だがあちらは大柄な身体を活かしたゴリゴリの武闘派だ。比べてこちらは夜間専門で、しかもサポート的な依頼が多い。だから、オールマイトに知られていなくても、それはしかたないことなのだけれど。

***

 持ち込んだバケットとスキレットで作ったアヒージョを楽しみ、一息ついたところで、偉大なる隣人の端末から聞き覚えのある音が響いた。このせかすような機械音は、間違いなく、出動要請。

「うるさくして、すまない」

 申し訳なさそうに、オールマイトがこちらをみやる。職業がら、急な呼び出しは仕方のないことだ。けれど。

「……オフなんですよね」
「オフなんだけどねぇ」
「もしかして、先ほどテントを離れていたのも?」
「まあ、そんなとこ」

 オールマイトが濃い眉を下げる。

「現場は近いんですか?」

 どうかなと呟きながら端末を確認して、オールマイトがまた、困ったように笑った。

「……保須市だね」
「保須って、ここからかなり距離あるじゃないですか」
「まあ、二十三区よりは近いよ」
「そうですが、近場ならまだしも、こんなに遠い場所にいるオフのヒーローを呼び出すなんて……」
「それでも、私でなければならない案件なら、行かなくては」

 まっすぐな瞳、まっすぐな言葉。
 と同時に、オールマイトがまとっていた雰囲気が、がらりとかわった。優しげな紳士から、魔物を屠る鬼神の如くに。

「じゃあ」

 文字通り飛び立っていくオールマイトを見送りながら、やっぱりあのひとはヒーローの鑑なのだとしみじみ思った。人々のためなら、自身の休みがなくなることなど厭わない。それはとても素晴らしいことだけれど、ずっとそれで疲れないのだろうか。

 いや、と、静かに首を振った。
 我々とオールマイトは違うのだ。身体のつくりも、その精神構造も。平和の象徴は、特別な存在。

***

「ちょっと多かったかな……」

 独りごちながら、カッティングボードを見つめた。木製のボードの上には、櫛形にスライスした林檎がたくさん。

「でもいっぱい作った方がおいしいんだよね」

 スキレットで作る焼き林檎はキャンプでよく見るシンプルなデザートだ。スキレットにバターを落として、溶けたら林檎を入れて、シナモンとシュガーを振りかけて焼くだけ。

 オールマイトは、まだ戻らない。

 都会の喧噪からは遠く離れた山の、静かなる夜。聞こえるのは虫の声だけ。あたりにはあかりひとつない。
 わたしは夜を怖いと思ったことがない。この目は暗闇のただなかであっても、ものの姿形をはっきり捕らえてしまうから。多少見え方がかわるだけで、夜も昼もわたしにとってはたいした違いはない。きっとオールマイトにとっての世界もそうなのだろう。わたしが暗がりを恐れぬように、疲れ知らずの最強の英雄には、怖いものなどなにもない。疲れ知らず、負け知らずの英雄が見る世界は、いったいどんなものなのだろう。

 と、息をついた瞬間、目の前の藪に見慣れた巨体が飛び降りた。
 だが、どうしてだろう。我々の誇るナンバーワンは、先ほどより心なしか顔色が悪いように見える。表情もさえない。大丈夫だろうか。

「あの……」

 声をかけると、オールマイトははっとしたようにこちらを見て、次に大きく破顔した。それはいつものように力強い、太陽のような笑顔。
 その時わたしは、悟ってしまった。

 ……そういうことか。そういうことだったんだ。

 オールマイトの笑顔は作られたもの。彼はいつでも笑っている。たとえなにがおころうと。けれどそれは、人を安心させるため。
 オールマイトはたしかにすごい。けれどもどんなにすごくても、彼は神ではない。人が人である以上、疲弊しないはずがない。

 湖の上で優雅にたたずむ白鳥は、たえず水面下で足を動かしている。それと同じように、このひとは無様な姿をひとには見せない。それがたとえ、同業者であったとしてもだ。
 今、彼が見せた疲れた表情は、ここが暗闇であったから。わたしの個性がナイトビジョンでなければ、絶対に見ることができなかった、わずかなほころび。

 常に笑顔のオールマイト。完全無欠のオールマイト。
 それを貫き続けることは、どれほどの覚悟が必要なのだろう。

「君、大丈夫かい?」
「!」

 声をかけられて、我に返った。

「どこか調子でも悪い?」

 英雄の問いに、涙がこぼれそうになった。このひとは、自分がどんなにつらくても、こうして他人を優先する。自然に。

「いえ、大丈夫です」

 偉大なる英雄にならって、わたしも笑った。
 オールマイトがそうかと呟きながら、手元のランタンをつける。

「オールマイトさん」
「ん?」
「甘いものはお好きですか? 焼き林檎とか」
「いいね、大好きだよ」
「よかったら一緒に食べませんか。ちょうど今、焼き林檎を作ろうと思っていたところなんです。独りじゃ食べきれないと思っていたので、よろしければ」
「ありがとう。いただくよ。じゃあ、私は君にコーヒーをいれよう」

 いそいそと自身のスペースに戻って、オールマイトがパーコレーターを取り出した。わたしもスキレットを熾火にかけて、バターを落とす。
 じゅうじゅうと音がして、バターがたちまちとけてゆく。すかさずそこに林檎を並べ、少し待つ。林檎から水分が出て、しんなりしてきたら、ひっくり返していいしるし。

 その頃になると、あたりにはバターと林檎の焼けるいい匂いが漂い始める。裏に返した林檎にシナモンとシュガーを振りかけて、蓋をした。
 林檎の酸味と甘みは、疲れた身体にいいだろう。

「いいにおいだな。シナモンとバター」

 話しかけられて、焼き林檎の匂いに、うっすらとコーヒーの芳香が混じっていることにわたしは気づく。

「もうすぐできますよ」
「ちょうどコーヒーもはいったよ。よければ」

 アルミのカップに、オールマイトがコーヒーを注いでくれる。
 ありがとうございます、と受け取って、スキレットの中身をお皿に盛り付ける。

 ランタンのあかりのした、オールマイトは笑み続けている。これが真実の笑みなのか、それとも巧妙に演じられたものなのか、わたしにはわからない。

 わからないけれど。いつかわたしもなれるだろうか。笑顔をたやさぬ、このひとみたいなヒーローに。

 森の中にぽつりとともった、ランタンのあかり。そこにはシナモンとバターと焼けた林檎と、コーヒーの香りが漂う。そして偉大なる英雄は、彫りの深いおもてに柔らかな笑みをたたえている。
 キャンプ場の夜は、静かにそしてゆっくりと、更けていく。

初出:2021.3.20

プロヒーロー夢本「My Sweetie〜プロヒーローと軽食を〜」より再録したネームレスのオールマイト夢です。原作時間より十年ほど前のおはなし

- 61 -
prev / next

戻る
月とうさぎ