からり、ころり

 からり、ころり。下駄を鳴らして君がゆく。
 からり、ころり。下駄を鳴らして私も進む。

***

 それは、ひと月ほど前のこと。

「浴衣を着て、縁日にいきましょう」

 君の誕生日をどう過ごそうかとたずねた私に、そういらえた君。
 それは近隣の神社で年に一度開かれる、小さな縁日。

「せっかくの誕生日なのに、縁日なんかでいいのかい?」
「うん。わたし、あなたと縁日にいきたいの」

 そう答えながら、向日葵のようにあの日の君は笑ったのだった。

***

 からり、ころり。下駄を鳴らして君がゆく。
 からり、ころり。下駄を鳴らして私も進む。
 君も浴衣、私も浴衣。この日のために急ぎで仕立てた私の浴衣は、芥子色の地に黒の縞。君がかつて好きだった、私のスーツと似た柄だ。

「俊典さんは浴衣も似合うね」
「ありがとう。だが、それは君のほうこそだ」

 本当に、君こそ浴衣がよく似合う。白地に撫子が描かれた柄は、君のイメージにぴったりだ。きれいに結い上げられた長い髪と、そこに揺れる撫子の簪。揺れる小花の向こうに見える、白いうなじが色っぽい。私がそこに釘付けになっているように、他の男も同じようなな目で君を見るんじゃないかと思うと、おじさんは正直気が気ではない。それを口にしたらきっと君は、俊典さんはおじさんじゃない、と言ってくれるのだろうけど。

「林檎飴買って」
「ハイハイ」
「金魚すくいしよう」
「ハイハイ」
「次はヨーヨー釣り」

 君は夜店を次から次へと渡りゆく、花の間を踊り渡る蝶のように。

「……次は綿菓子にしよう。あっちに大きな綿菓子機を置いた屋台があったよ。わたがしきだ……わたしがきた! わーたーがーしー」
「…………綿菓子じゃなくて焼きそばにしましょ。ビールも欲しいな」

 渾身のジャパニーズジョークを華麗にスルーし、君が焼きそばの屋台の前で立ち止まった。オーケイ……と小さく呟いて、私は焼きそばを二つと、そしてビールとオレンジエードを一本ずつ、屋台の店主にオーダーする。

「あっちで食べましょ。いい場所があるの」

 そう言って君が案内してくれたのは、神社の境内の裏手にある石段だった。なるほどたしかにここは穴場だ。
 プラスチックのパックに入れられた焼きそばと飲み物を手に、私たちは石段の上に腰掛けた。まるで、ティーンネイジャーの恋人たちのように。こんなふうに、外で、しかも椅子ではないところに座ってものを食べるのなんて、いつぶりだろうか。

「こういうところで食べる焼きそばって、どうして美味しいんだろうね」
「たしかに。同じものを家に持ち帰って食べると、そうでもないんだよな」
「縁日って楽しいよね。子どものころに戻ったみたいで。今日はわたしのお願いにつきあってくれてありがとう」
「だって今日は君の誕生日じゃないか。希望をきくのは当然だよ。それよりいいのかい? 誕生日のディナーが屋台の焼きそばだなんてさ」
「うん。なんかね、今年はまったりした感じで過ごしたかったの」
「そうか」

 ありがとう、ともう一度私に向かって微笑んで、君は空になったの焼きそばのパックに視線を落とした。下を向くと、ほんの少し抜いた襟からのぞく白いうなじがまた際立つ。境内裏の小さな灯に照らされた、撫子の柄の浴衣と、撫子の簪と、それから、君のうなじ。

「お誕生日おめでとう」

 告げながら君の腰に手を回し、白いうなじに唇を落とした。少し強めに吸いつくと、白い肌にぽつりと、赤い花が咲いた。

「もう!」

 君が慌てて首筋を押さえる。

「ごめん、あんまりかわいかったから」
「いきなりはやめてよね、びっくりするから」
「ハーイ」

 子どものように答えた私に軽く眉を下げながら笑みを返して、君が立ち上がった。

「そろそろ帰るか」

 ぽつりと呟いて、私も静かに立ち上がる。

「ねぇ」

 甘えた声で、君が私の帯を引いた。君がなにを望んでいるのか、もちろん私は知っている。
 だから私は、君に向かって身をかがめる。君は目を閉じて、ほんの少しだけ背伸びをする。軽く触れるだけのキスをかわして、私たちは手をつなぐ。

「俊典さん」
「ン?」
「ほんとうに、今日はありがとう」
「こちらこそ。お誕生日おめでとう。家に帰ったらすっごいプレゼントが待ってるからね」
「嬉しい。なんだろうな」
「それは家についてからのお楽しみだよ」

 からり、ころり。下駄を鳴らして君がゆく。
 からり、ころり。下駄を鳴らして私も進む。
 二人で暮らす、家に向かって。

2021.8.21

くろ様のお誕生日に

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