「……目的もなく冬の街を歩くのが好きだって聞いたとき、ちょっとかわったお嬢さんだなって思ったけど、なかなか悪くないもんだな」
「きれいでしょ? でもね、これって夜に限るの」
「うん。わかるよ。街のあかりがとてもきれいだ」
そう言って、俊典さんは遠い目をした。彼の考えていることがなんとなくわかるような気がして、そっと目を伏せた。
今、俊典さんがきれいだと言った街のあかりのひとつひとつに、人の命が息づいている。
世の中には、「オールマイト以前」という言葉がある。ひとりのヒーローが彗星のごとく現れる前の、暗い時代のことだ。敵が暗躍し、人々が夜明けを待ち続けたその時代は、女性がひとりで夜道を歩くことなどできなかったと聞いている。
平和の象徴と呼ばれた一人のヒーローが、身体を張って、命をかけて、守り続けた人々のくらし。戦うことが出来なくなったいま、俊典さんは、このあかりのひとつひとつを、どんな気持ちで見つめているのだろうか。
どうしたらいかわからなくなって、俊典さんの胸に頬を寄せた。本当は肩に頭を乗せたかったのだけれど、二メートルを超える俊典さんの肩に頭を乗せられるほど、わたしの身長は高くはないから。
「どうしたんだい? 今日は甘えんぼうだね」
わたしは答えず、ただ微笑む。ああそうか、と心の中で呟きながら。
きっとこの優しい人は、自らの身を挺して人々を守ったことを、かけらも後悔していないに違いない。それどころかきっと、誇りを持って街のあかりを見守っている。
だからあえて、まったく関係のない話を振った。
「ね、なにかスイーツ買って帰ろ?」
「いいよ。なにがいい?」
このあたりは、スイーツのお店が豊富だ。洋菓子だけでなく、和菓子のお店も。
「俊典さんはなにが食べたい?」
「おいおい、言い出しっぺは君だろう?」
「今日はね、俊典さんの食べたいものが食べたい」
なんだいそれ、と応えながら、俊典さんが落ち窪んだ眼窩の奥の目を細めた。やわらかく、そしてやさしく。
「じゃあ、ひとくちサイズの羊羹がいいな。この先においしい和菓子屋さんがあったろう? そこで黒砂糖入りの羊羹を買って、濃いめにいれた緑茶といっしょに食べよう」
「うちのこたつで?」
「そう、君んちのこたつで」
アメリカナイズされたしぐさやトークでならしたオールマイトと、こたつと羊羹と渋いお茶、なんて不思議な組み合わせ。でも、きっと悪くない。
「わたし、紅茶入りのも食べたいな」
「いいね、ついでだからはちみつ入りと和三盆のも買っちゃおう。もちろん定番の小倉もね」
「ふたりで?」
「そう、ふたりきりで」
「うわあ、贅沢」
「おいおい、羊羹程度のことで大げさだな」
楽しげに笑う俊典さんに、ちがうよ、と心の中でちいさく応えた。
ふたりしかいないのに、一つ三百円もするひとくち羊羹を十個買うのも贅沢だけれど、わたしにとって何よりもの贅沢は、あなたとこうしていられることだ。常に誰かのために命をかけていたあなたを、みんなのオールマイトを、八木俊典という一人の男の人としてひとりじめできる時間こそが、なによりもの贅沢。
もちろん、そんなこと、絶対口にはださないけれど。
「だって、嬉しいんだもん」
と応えると、俊典さんが立ち止まり、わたしに向かって大きくかがみ込んだ。
「私にとっての贅沢もね、君と同じだ」
耳孔に直接注ぎ込まれた彼の声は、低くそして甘かった。
「君とふたりで過ごす時間が、私にとって何よりもの贅沢だよ」
なんだ、ぜんぶお見通し。照れくさくて、ほかにどうしようもなくて、いたずらっぽく笑う彼に、微笑みを返した。そしてわたしたちは繋いだ手をいったん離して、ゆっくりとからめていく。互いの指と、そして心を。
常よりも美しく見える夜の街を、わたしたちは歩いてゆく。この世で一番贅沢な時間を楽しみながら。
2022.冬のBOOSTお礼文
サイト初出:2022.4.26
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