会うなり、俊典はそう言って笑った。
誕生日は君の希望をなんでもかなえてあげるよ、と、俊典に言われたのは先週のことだ。
「なんでもだなんて、当日海外リゾートに行きたいって言い出したら、どうするつもり?」
と、からかうようにそう告げたわたしに、俊典は「かまわないよ」と笑った。
まったく、プライベートジェットを所有している人間の言うことは恐ろしい。きっと彼がその気になれば、五つ星ホテルですら簡単に予約が取れてしまうのだろう。ラグジュアリーホテルには、かならず一つ、超VIP向けに空けてある特別室があるというから。
「で、どうする? どこに行くか決めた?」
「ええ。でもちょっと準備が必要なんだけど……大丈夫?」
「かまわないよ。なんでも言って」
「あのね……」
わたしに向かって大きくかがみ込んだ長身にそっと耳打ちをすると、彼は、お安い御用さ、と破顔した。
***
暗闇の中に、ぽつりと小さな火がともる。
着火剤に引火した炎の赤ちゃんを守るように、俊典が焚き火台に細い薪をくべた。火の通り道を意識しながら、少しずつ。
わたしが提案したのは、焚き火ができるキャンプ場に一泊することだった。
「あなたって、本当になんでもできちゃうのね」
簡単に思われがちだが、火おこしは存外難しい。ところが俊典はそれをさらりとやってのけた。都会派なのだとばかり思っていたのに。
「大学の頃ね。向こうでちょっと」
しれっとそう告げながら、俊典が新たな薪を台に乗せた。ぱちぱちと音を立てながら、炎が少しずつ大きくなってゆく。
「そうか、アメリカはアウトドアの本場だもんね」
うん、と微笑んだ彼の、肉の薄い横顔をみつめる。と、俊典が不思議そうな顔をしながら、口を開いた。
「ところで、どうしてキャンプだったんだい? ほかにもいろいろあっただろうに」
「うーん。どうしてだろう。わたしもね、ドバイのホテルでゴージャスな一夜を、なんて贅沢なプランも考えてはみたんだけど、なんかしっくりこなくて……。今まで一番楽しかったおでかけってなんだろうな、って考えたとき、子どもの頃、誕生日はいつもキャンプ場で過ごしていたことを思い出したの。父がアウトドア好きで、行き先はなんでもない普通のキャンプ場だったんだけど、いつもすごく楽しくてね。もしかしたら、わたしは今日、それを俊典と経験したかったのかもしれない」
すると俊典は、そうか、と言って視線を焚き火へと向けた。
「それはとても、光栄なことだな」
薪を嘗めるように、火が踊る。掘りの深い面が、炎の明かりに照らされて、より深い陰影を作り出した。低く落ち着いた声で、彼は続ける。
「焚き火ってさ」
「うん」
「愛を育むのと、少し似ている気がするよね」
唐突なようだが、俊典の言っていることもわかるような気がした。フェザースティックやほぐした麻の紐に着火して作った火種を、大事に大事に育てて、大きな炎にしていく。まだ火が育ってもいないのに太い薪をくべてしまえば、あっという間に消えてしまう。かといって、なにも入れなければ、やっぱりだめだ。
焚き火は単純に燃やすだけのものではなく、愛と同じように、育んでいくもの。
「ありがとう。君の中の大切な家族の思い出を、私に共有させてくれて」
「うん」
暗闇の中でゆらめく炎を見つめて、ちいさくうなずいた。
「誕生日おめでとう。来年も再来年も、いや、これから先もずっと、今日と同じように愛を育みながら幸せな思い出を増やしていこうな」
そう言ってやわらかく笑んだ俊典の頬は、赤く染まっている。照れているのか、それとも炎の熱にあてられたせいなのか、わたしにはわからないけれど。
これからも、こうして俊典と楽しい時間を共有し、大事な思いを育んでいきたい。揺れる炎を見つめながら、わたしは心の底から、そう思ったのだった。
初出:2022.8.21
くろさんのお誕生日に書かせていただいたお話です
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