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「いい風」
「まったくだ」
夜空に浮かんだ中秋の名月を見上げて、俊典が微笑んだ。彼の前にはお団子を乗せた三方と、ススキがいけられた花瓶。それはお月見のしつらえだ。三方とススキを用意したのはもちろん俊典。このひとは存外、そういう細かいことに凝る。
かわりにお団子を用意するのは、わたしの仕事。
「それに、このお団子とてもかわいいね」
関東の月見団子は白い丸だが、関西のそれは楕円だという。中秋の名月を芋満月と呼んだなごりで、お団子を里芋に見立てているのだと。
けれどわたしはそのどちらでもない、かわいらしい形のお団子を選んだ。楕円のボディに赤いおめめと薄桃色の長いお耳が描かれた、キュートなうさぎのお団子を。
月といえば、やっぱりうさぎだ。そして俊典の長い前髪もどこかうさぎを彷彿とさせる。マッスルの時はフレミッシュジャイアントを、トゥルーの時はロップイヤーを。
「ほんとうにかわいすぎて、食べるのがもったいないくらいだ」
「そうね」
彼の意見に賛同しつつ、わたしはかわいいうさぎのお団子を自分の口に放り込む。
「まったく、君は存外残酷なことをする」
微笑みながら俊典がわたしの手を取って、指先にひとつキスを落とした。
「ちょっとかわいそうだったけど、おいしかったわよ」
「そうか。じゃあ、私にもひとつくれないかい?」
耳元に流し込まれたその声は、常よりも甘く低かった。
わたしはそれに軽くうなずいてから、俊典に捕らえられていないほうの手で小さなうさぎさんをひとつつまんで、彼の口元へと持っていく。開かれた唇から、形の良い歯と赤い舌がのぞいた。そこに白いお団子を入れてあげると、うん、と俊典がうなずいた。
「たしかにおいしい」
「でしょう」
そよ……と、ススキの穂が風に揺れた。九月の半ばに吹く夜風は、心地よいやわらかさに満ちている。まるで、わたしと俊典の関係のように。
「もうひとついただけるかな?」
「もちろんよ」
小さなうさぎをもうひとつつまんで、俊典の口元へと運んだ。満足そうに微笑んでから、彼が大きく口をあける。
わたしたちの前には、かわいいお団子が乗った三方と月明かりをうけてきらりと輝くススキの穂。頭上からは中秋の名月が、わたしたちふたりを見おろしている。
お月見はお月様を見る行事のはずなのに、なんだかお月様に見られているような、そんな気がした。
「なまえ、どうしたの?」
わたしの甲にくちづけながら、二個目のお団子を食べ終えた俊典がささやく。
「いいえ、なんでも」
そう答えながら、わたしは心のなかで小さくつぶやく。
なんだか少し恥ずかしくって――と。
だってほら、睦まじいわたしたちのことを、お月様が見てるから。
2022.9.10
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