恋人はパイレーツ

 久しぶりに泊まりに来ないか、という嬉しいお誘いを受け、うきうきしながら俊典さんの家に出向いたわたしを迎えてくれたのは、痩せた背の高い海賊だった。

 俊典さんはサービス精神がとても旺盛。彼はとても忙しいはずなのに、二人の記念日にはレストランを借り切ってくれたり、抱えきれないほどの花束をくれたり、七夕やクリスマスにも、ちょっとしたサプライズを用意しておいてくれたりする。つまり、今回の海賊衣装もそういったサービスの一環なわけで……疎いわたしはこのとき初めて、今夜がハロウィンであったことを思い出したのだった。

「かっこいい」

 ありがとう、と笑った俊典さんの頭に巻かれているのは、縞模様のターバンだ。胸元の開いたバッカニアふうのシャツ、革素材のベスト、腰のサッシュベルトには、伸縮式の望遠鏡が挟まれている。

「これね、先日雑誌の撮影で着たんだよ。なかなかいいだろう? 気に入ったから、すべて買い取りさせてもらっちゃったんだ」
「似合ってます。とても」

 パアアと大輪の花が咲くように、俊典さんがまた笑う。ずいぶんと年上のひとだけれど、彼のこういう屈託のないところ、本当にかわいいと思う。だが、かわいいだけではすまさないのが、このひとの怖いところでもある。

「じゃあさ」

 と、俊典さんがトーンを落として、ゆっくりと両の口角をあげた。

「今夜はハロウィンだし、お決まりのあれをさせてもらおうかな」
「あれ?」
「トリック・オア・トリート!」

 大きく両手を広げて、彼が言った。ああ、そっち、とわたしも微笑む。
 手土産を甘い物にしてよかった、と後ろ手に持っていた白い箱を俊典さんの前に差し出した。中身は彼の好きなお店のパンプキンパイだ。
 だがしかし、どうぞとお菓子を手渡すと、俊典さんは、すこし微妙な顔をした。

「あれ? かぼちゃお嫌いでしたっけ?」
「いや、好き嫌いはないし、ここのパンプキンパイは絶品だ。大好きだよ」

 じゃあなんで、と続けようとしたところに返されたのは、いたずらっぽい低い声。

「だってほら、お菓子をもらってしまったから、もうなまえにいたずらができなくなっちゃったじゃないか。それが少し、残念でね」

 俊典さんは広げていた両手を下ろし、わたしを見おろした。そうして、ふたたび彼の口角がゆっくりとあがる。それは先ほどまでの無邪気な笑みとはやや異なる、大人の色気を含んだものだ。
 そうか。今のって、ハロウィンにみせかけたえっちのお誘いだったんだ。こういう遠回しなお誘いにわたしはいつまでも慣れなくて、これがおしゃれで物慣れた大人の女性ならもっと上手く返せるんだろうなと思ったら、なんだか悲しくなってきた。
 ……失敗しちゃった。お菓子はあとで渡せばよかったな。
 しゅん、と肩を落として下を向く。と、頭上から静かな声が追いかけてきた。

「どうしたの?」
「なんでもないです」

 あわてて顔をあげると、コーンフラワーブルーの瞳がこちらをのぞき込んでいた。透明感のある青い瞳のその先に、ちらちらと金色の焔のようなものが揺らめいている……ように見えた。
 わたしの頭をなでながら、俊典さんがささやいた。低く、そして甘く。

「ところで、私はお菓子を用意し忘れてしまったんだが」
「……はい……はい?」
「君から私に、言うことはないかい?」

 俊典さんがいたずらっぽく片目をつぶった。至近距離で平和の象徴様のウインクを浴びてしまい、くらくらとめまいがした。同時に、彼の手のひらの上で転がされてしまったことに気がついて、顔に朱が昇る。この年上のひとには、わたしの考えていたことなんか、すべてお見通しだったというわけだ。

「トリック・オア……トリート?」

 ふ、と笑って、彼がわたしに向かって大きくかがみ込んだ。目の高さが、同じ位置になるまで。

「そうしたら、いまから存分にいたずらしてもらわないとね」
「……ハイ」

 十月末日。今宵はハロウィン。
 思っていたよりも熱い夜になりそう、と内心で呟いて、わたしは肉の薄い頬に手をあてて、乾いた唇にキスをした。

2022.10.30
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月とうさぎ