バースデー
パーティー

「欲しいものは特にないんだけど、お願いをひとつ聞いてもらってもいいかな」

 お誕生日のプレゼントはなにがいいかとたずねたわたしに――なぜって、彼はなんでも持っていそうだから――俊典さんはそう告げて、柔らかく笑ったのだった。

***

 そうして迎えた六月十日は、あいにくの雨。

「……やまないよねえ」

 しとしとと降りしきる雨を見ながら、ちいさく独りごちた。
 なまえの作ったお弁当を持ってピクニックに行きたいな、と、あの日俊典さんは言った。
 だがこのお天気では、ピクニックはできない。俊典さんもそう思ったのか、朝一で「うちでお弁当パーティをしよう」という連絡が来た。
 超高級マンションのペントハウスで食べる庶民的なお弁当の絵面はちょっぴりシュールだけれど、ふたりならきっと楽しいだろう。

***

「いらっしゃい」

 インターフォンから俊典さんの声が響く。それを合図に、ペントハウス専用の扉が開いた。中にはオールマイトの愛車として有名なエルクレスがとまっている。その脇を通って、専用のエレベーターに乗り込んだ。
 エレベーターの階数ボタンは一階と最上階の二つしかない。だからあっという間に上階に付く。扉が開いた先は玄関だ。いつ見ても、豪華な家。

「雨の中来てくれてありがとう」
「どういたしまして。俊典さん、お誕生日おめでとう」

 そう告げると、ありがとうと答えた彼が、大きくかがんでにこりと笑った。わたしの年上の恋人は、催促すらもスマートだ。だからこちらもにこりと笑んで、肉のそげ落ちた頬におめでとうのキスをした。

「さあ、お姫様。こちらへどうぞ」

 俊典さんが、わたしの持っていたバスケットをさりげなく受け取って、空いたその手を優しく引いた。そのまま廊下を抜けて、わたしたちはリビングの中にあるらせん階段へと進む。階段を昇った先にあるのは、広いルーフバルコニーだ。

「雨なのにバルコニーに出るの?」
「そうなんだよ」

 階段を昇りながら、俊典さんがウインクをした。きっとなにか企みがあるに違いない。ブルーアイズをいたずらっぽく輝かせながら、俊典さんがルーフバルコニーへと続く扉を開いた。

「……すご……」

 予想のさらに上を行く光景に、思わず声を上げてしまった。
 広々としたルーフバルコニーにセットされていたのは、グランピング用の立派なテント。ご丁寧に、ウッドデッキまで設えてある。それは雑誌やテレビで見かける、都会の屋上にあるグランピング施設とよく似た光景。

「週はじめに雨の予報が出たからさ、グランピング用のテント買っちゃった」

 いや買っちゃったじゃないよ、と心の中でツッコミを入れた。
 買っただけではないはずだ。一部がガラス張りのドーム型テント――と呼んでいいものなのかももはや不明だ――を素人が組み立てるのは無理だろう。百歩譲ってテントはどうにかなったとしても、ウッドデッキまでは不可能だ。専門の業者さんに短期で施工してもらったに違いない。
 それだけでなく、中のインテリアも凝りに凝っているのだろう。目に浮かぶようだ。
 元ナンバーワンヒーローの道楽にかける情熱、恐るべし。

「わがまま言ってゴメンネ」

 無言になってしまったわたしを気遣って、俊典さんがすまなさそうに眉を下げた。

「お弁当作るの、たいへんだっただろ?」

 ううん、と慌てて首を振った。本日の主役に謝らせるなんて、とんでもないこと。

「ぜんぜん。だって今日は俊典さんのお誕生日じゃない。今呆然としちゃってたのはね、このテントがあまりに素敵だったから。おうちの中にこんな立派なテントが建てられるんだね。あまりにすごくてびっくりしちゃった」

 するとしかられた大型犬のようにしおれていた俊典さんが、満面の笑みをうかべた。

「そうなんだよ。いい世の中になったよなあ」

 あなたはその平和な世界を作ったヒーローの一人でしょうに、と心の中でつぶやいた。
 あの絶望的な戦況の中、ヒーローとしての力をすべて失ってなお、巨悪と対峙した平和の象徴。

「なに?」

 怪訝そうな顔をした俊典さんに、なんでもない、と静かに応えた。このひとにそれを告げたとて、黙って微笑むだけだろう。そういうひとだ。だからわたしは話題を変える。

「このお弁当、グランピングテントの中で食べるの? すてき」
「ああ。この雨だけど、中はエアコン完備で除湿もできるし、思った以上に快適だよ。ワインセラーで君の好きなワインも冷やしてある」
「ありがとう。あなたのお誕生日なのになんだか悪いわ」
「なに、お弁当を作る手間に比べたらこんなのなんでもないよ。それになまえと過ごせることが、私にとっての最大の幸福なんだ」

 ウインクをひとつ飛ばして、彼は続ける。

「さて私のお姫様、お弁当の中身はなにかな?」
「ええとね」

 バスケットに詰めた料理を思い出しながら、わたしも答える。

「サンドイッチはシンプルなハムレタスと、ボリューミーなてりたま、それからサーモンとクリームチーズの三種」
「おいしそうだ」
「おかずはブロッコリーのバター炒めと、鶏の唐揚げと、えのきベーコン。ハンバーグとアスパラの肉巻き、それから野菜のグリル」
「そんなに作ってくれたのかい? 食べるのが楽しみだな」
「デザートにパイも焼いてきたよ。アメリカ留学時代に食べたって言ってたレモンメレンゲパイ」
「うわあ、そんな些細な一言まで覚えててくれたんだね。嬉しいよ」

 そうよ、あなたの言葉はぜんぶ覚えてる。そう応えるかわりに、しずかに笑んだ。

「今日は俊典さんのお誕生日だもん、頑張っちゃった」
「ありがとう、なまえ」

 俊典さんが優しく微笑んで、わたしの額にキスを落とす。

「さあどうぞ、お姫様」

 俊典さんがドームテントの扉を開け、もう一度、わたしに向かってかがみ込んだ。わたしは少し背伸びして、普段ははるか高みにある唇にキスをして、先ほどと同じ言葉を告げる。

「俊典さん、お誕生日おめでとう」

 本当におめでとう。今年もあなたのお誕生日を祝えてよかった。
 どうかあなたがこれからも、ずっとずっと幸せでいてくれますように。

2023.6.10

2023年 オールマイト誕
最終決戦後の平和になった世界で幸せに暮らして欲しい……推しよ生きて!という気持ちを込めて

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