「なまえ、今から出てこられない?」
電話の主は、わたしの大好きな人。ちなみに、彼は忙しすぎて、ここ数日家に帰ってきていない。だから唐突なお誘いは嬉しいけれど、ちょっとした抗議と甘えを込めて、わざとつれない返事をした。
「……いまごはんできたところなんだけど」
「そうか」
声に笑うような気配があった。どうやらわたしの考えなどお見通しなのに違いない。それならばと、こちらも意地をはるのをやめて、素直に応えることにした。
「どうしたの? もしかして、もう帰ってこられる?」
「うん。今、下にいるんだよ。じゃあ、クリスマスマーケットに寄って、なにかお土産でも買って帰ろうか? かわいいオーナメントがいっぱいあったよ」
彼が言う『下』とは、わたしたちが暮らすタワーと連結した商業施設のことだ。そこではこの時期になると、こぢんまりしたクリスマスマーケットがたつ。
規模は小さいが、おしゃれな雰囲気だし店構えもかわいいので、ずっと俊典さんと行ってみたいと思っていた。
けれど、平和の象徴様は多忙だ。だからいつも人で賑わうマーケットの横を、ひとり通り過ぎてきた。本当に目と鼻の先にあるというのに、今まで一度も、彼と行けたことはなかった。
「……クリスマスマーケットならわたしも行きたい!」
「ごはんはいいのかい?」
「ちょっとのぞくだけでもいいかなと思って。夕飯はロールキャベツだから温め直せばいいし」
「そうか」
「すぐ支度するね」
「ああ。庭園に面したカフェで待ってるよ」
うん、と答えて通話を切った。
***
庭園についた瞬間、設えられた電球が一斉についた。時刻は五時半ちょうど、ライトアップの開始時間だ。くらい木陰が、一瞬にして白と青の電球に彩られる。あかりに照らされた小さな池の中には、金色のハートのオブジェが静かに輝いている。
これってちょっと感動的、と内心でひとりごちて視線を転じると、池の向こうに見えるテラス席に見慣れた長身痩躯を見つけた。
長い手足をもてあますようにしながら、コーヒーを傾ける俊典さんはとても絵になる。かっこいいなあと思いながら手を振ると、わたしに気づいた彼が笑顔で席を立った。
***
ドイツのクリスマスマーケットをイメージした会場は、人でごった返していた。
思っていたよりたくさんのお店が出ている。いかついお顔が逆にかわいいくるみわり人形が飾られたショップや、スパイスをつかったリースやツリーのお店。ガラス細工やツリーのオーナメントの店。スノードームもとてもかわいい。
わたしと俊典さんは白いオーナメントだけを売っているお店で、ハートモチーフのオーナメントをふたつ買った。
フードを扱うお店からはソーセージの焼けるいい匂いがしていた。カウンターの上にあるボードには、フードだけでなく飲み物の写真が飾られている。今日は寒いから、温かいものが飲みたいなあと思っていたら、隣にいた俊典さんが、ごくりと喉を鳴らした。
「飲み物も買う?」
「あ。ばれちゃった?」
恥ずかしそうに笑う俊典さんにうんとうなずく。
「わたしも喉渇いちゃった。グリューワインが飲みたいな」
目だけでちいさく笑んだ彼はカウンターにまっすぐ向かって、自分のココアとわたしのワインを買ってくれた。
「君は本当に赤い色の飲み物が好きだよね」
「言われてみればそうかも」
わたしはいつも、家でカシスソーダを飲む。俊典さんはお酒がほとんど飲めないのにカクテルを作るのがとても上手だ。
「まあ、グリューワインはこの季節ならではでしょ」
「それもそうだ」
ふふ、と笑って受け取ったマグを口もとへと運ぶ。シナモンやクローブの香りがする、甘い甘いホットワイン。
「ひとくち飲む? あったまるよ。一口くらいなら飲めたよね?」
「いや、残念だけどやめておくよ。今日は一口でもぶっ倒れちゃいそうだ」
軽く眉をさげて苦笑した彼を見て、不意に心苦しくなった。そういえば、顔色があまりよくない。
「……もう帰る?」
「おや、もう満足したのかい?」
「……うん」
わたしは小さな嘘をついた。本当はもう少しだけ、俊典さんとホリデーシーズンに浮かれる街を歩きたいけれど。
すると俊典さんは肉の薄い頬を柔らかく緩めた。
「じゃあさ、ちょっと寄り道してイルミネーションを見てから帰ろう」
ああ、やっぱりわたしの考えていることなんて、俊典さんにはお見通し。
「私もね、なまえと一緒にイルミネーションをみたり、クリスマスで賑わう街を歩いたりしたいんだよ」
そういって頭を撫でてくれた彼の優しさに甘えて、ブランドショップが並ぶ大通りへと足を伸ばすことにした。
白を貴重にしたイルミネーションと、ビルの合間から覗くオレンジ色の東京タワーが、とてもきれい。
見慣れているはずの六本木の街がこんなにも美しく見えるのは、十万球を超える電球によるイルミネーションのためだけでなく、俊典さんと一緒に見ているからだ。
「ゆっくり時間がとれなくてゴメンな」
ううん、と首を振った。
人々が浮き足立つ年末年始は事件が増える。それだけでなく、人気者のオールマイトはテレビ番組のゲストにも呼ばれる。それだけに、この時期の彼は常にも増して忙しいはずだった。
本当はすぐに帰ってゆっくりしたいだろうに、わたしのために、クリスマスマーケットやイルミネーションを見よう提案してくれた、その優しさが嬉しかった。
「きれいだね」
「そうだね」
イルミネーションを見ながら、どちらからともなく手をつないだ。俊典さんの大きな手に、平均的なサイズのわたしの手はすっぽりと包まれてしまう。安心できる、温かな手に。
たくさんのあかりに照らされた掘りの深い横顔を見上げながら、ちいさくささやく。
「あのね、今日はロールキャベツなんだけど、俊典さんが好きなチーズソースも作ったよ」
「嬉しいな。なまえの作る料理はどれもおいしいけど、チーズソースがかかったロールキャベツは絶品だ。あのソース、チーズの味がしっかりするのに不思議とくどくないんだよな」
それは三種のチーズを豆乳で伸ばしているからです、と心の中で答えて、うふ、と微笑む。
これは他の人から見たらきっと、なんてことない冬のひととき。けれどわたしにとっては、なによりもの幸福な時間。
「そろそろ帰る?」
そうだな、と俊典さんが応じて、ざわめく通りを、ふたり足をそろえて歩き出す。わたしたちの暮らす、部屋に向かって。
2023.12.22
- 77 -