そう内心で呟いて、大きなため息をもらした。
いや、今のため息は仕事のせいだけじゃない。最近はプライベートもいまいちだ。
わたしの年の離れた恋人は、多忙を極める超有名人。元ナンバーワンヒーロー・オールマイトといえば、この国で知らぬ者はない。引退してもう何年も経つというのに。
そんな彼はいろいろやることがあるらしく、未だに世界中を飛び回っている。月の頭はロンドンへ、今週の頭からはアメリカへ、次から次への渡り鳥。
明日はわたしの誕生日だというのに、彼は帰国する気配すらない。
「でもこれ送信したら、もう終わり!」
ターン、と音を立てて、パソコンのキーを叩いた。
時計の針は十一時半を示している。まったく冗談じゃない。誕生日が来る瞬間を会社で迎えるのはまっぴらだ。会社から家まではドア・ツー・ドアで三十分弱。日付が変わる瞬間は、せめて自宅で迎えたい。
そう思いながら、わたしは席を立った。
***
「あー……」
と、声を上げながら、アパートメントのエントランスで時計を眺める。
時刻は零時二分。どうやら家にたどり着く前に、日付が変わっていたようだ。まったくもって、残念無念。
ま、それはともかく、お誕生日おめでとうわたし。ありがとうわたし。
心の中で呟いて、キーを取り出し、自宅玄関の扉を開いた。その瞬間。
「ハッピーバースデー! なまえ!」
パーン、というクラッカーが弾ける音と共に、誰もいないはずの部屋から聞き覚えのある低音が響いた。
「俊典?」
「なまえ、お誕生日おめでとう!」
先ほどと同じ意味のセリフを今度は日本語で叫んだ俊典が、長い両手を広げた。
「……明後日まで帰れないんじゃなかったの?」
すると彼は、肉の薄い顔に笑みを浮かべた。
「サプライズでお祝いしたくてさ、帰ってきちゃった」
てへ、と舌を出す、その表情がなんともかわいい。これでもうすぐ還暦なのだから、平和の象徴おそるべし。
「帰ってきちゃった、じゃないよ。帰ってくるならちゃんとそう言ってよ。それにこんな時間にクラッカーならしたら近所迷惑じゃん」
「……それは……ごめん」
叱られた大型犬のようにしゅんとしてしまう、二メートル超えの大男。そんなしぐさですらかわいらしいのだから、このひとは、本当に。
「でも、帰ってきてくれてすごく嬉しい」
それがわたしの誕生日を祝うためというのならなおさらだ。
だからわたしは、両手を広げたまま待っていた俊典の胸に飛び込んだ。細いくせに体幹が強い俊典は、それをなんなく受け止めて、その長い腕の中にわたしを閉じ込める。
「ケーキも買ってあるんだ」
耳元で優しく響くのは、俊典の低くて甘い声。
「もちろん、プレゼントもあるよ。楽しみにしてて」
うん、と答えると、俊典はまた大きく破顔した。
品物も嬉しいけれど、こうして会えるのが一番のプレゼントだなあ、とわたしはひそかに思ったが、今は口には出さないでおく。
でも本当に、今年もわたしの誕生日を祝ってくれてありがとう。
これから先も、こうして一緒に祝ってね。
「ん? なんだい?」
大きく身を屈めながら目を細めた俊典に、なんでもない、と返して、薄いけれど広い胸に、顔をうずめた。
初出:2024.8.21
くろさんのお誕生日に書かせていただきました
最終決戦から数年が経過した世界のお話です
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