二 薄皮まんじゅうとお月さま

 意外なところで行きつけの和菓子屋の看板娘を見かけたのは、沖縄に潜伏していた凶悪な敵を確保した、その日のことだった。
 女性は着るものや髪型でかわるというが、その時の果衣菜は、店での姿とはまったく別人のようだった。
 シンプルなビキニの上に薄手のパーカーをさらりと羽織りフローズンマルガリータを啜る姿は、古い洋画に出てくる女優のような、毅然としたたたずまい。

 リゾート地の、それもプールサイドにあるバーで、酒を飲む姿がさまになる若い女性はそういない。不覚にも少しの間見とれ、その後声までかけてしまった。
 もちろん、恋愛や肉体的な関係を持つ気などない。食事だけしてそのまま別れた。それだけだ。 

 東京に戻ってから、八木は一度、果衣菜の店に顔を出した。むろん、リゾート地で出会った八木としてではなく、常連のオールマイトとして。

「お久しぶりです」
「ああ。このところ地方に行く予定が多くてね。あまり都内にはいなかったんだよ」
「ヒーローって大変ですね」

 練り切りを包みながら果衣菜が笑った。彼女の笑顔を目当てにここに通い詰めている男も多いのだと、噂に聞いたことがある。
 もっともなことだ。果衣菜の透明感のある爽やかな笑顔は、晴れ渡った青空のようで、見ていてとても気持ちがいい。

「まあ、やりがいはあるけどね。でも、どうしたんだい? 唐突に」
「オールマイトさん、先月の半ば、沖縄に行きませんでしたか? あちらの新聞で見ました。わたしもあの時、偶然沖縄にいたんです。オールマイトさんくらいになると、あんな遠くからも要請があるんですね」
「私を必要としてくれる人がいるなら行かないとね。君は沖縄へは旅行だろ? 楽しかったかい?」

 傷心旅行と知りつつ、そうたずねた。果衣菜には悪いが、話の流れ的にそうしたほうが自然だと思ったからだ。

「そうですね。ホテルのプールで、素敵なひととの出会いがありました」

 どきり、と、心臓が跳ね上がった。八木は自らのうちに生じた動揺を気取られないよう、細心の注意を払いながら、続ける。

「リゾート地でのアバンチュールってやつかい? おじさん、そういうのは感心しないな」
「違いますよ。プールサイドのバーでちょっとお話をして、食事をご馳走になっただけです」
「それだって、相手によっては危険だぜ」
「大丈夫です。オールマイトさんも知ってるでしょ? わたしの個性。よっぽどの相手でもない限り、殴り倒して逃げるくらいはできますよ。わたしたち民間人は個性使用を禁じられていますが、襲われそうになったなら、正当防衛が成立しますよね」

 そう言いながら、果衣菜が腕をまくり上げ、むん、と、二の腕に力を入れた。ほっそりとしていた腕が、倍ほどの太さに膨れ上がる。
 失念していたが、彼女は増強系の個性の持ち主だった。たしかに、相手が民間人の男ひとりであったなら、殴り倒すくらいできそうだ。
『一般的な女性の腕力の、五倍程度の力はあります。ここだけの話ですが、あんこを練る時に便利なんですよ』
 その細腕で餡を練るのは大変だろうと言った時、彼女はそう答えて笑ったのだった。

「でも、そのひととはそれきりです」
「ま、賢明だね」
「でも、お話の上手な人だったから、連絡先くらい聞いておいてもよかったかな」
「マジか……」
「マジです」

 そう、果衣菜はわらった。

 そんなやりとりがあったのが、先々週のことだ。
 真実の姿を「素敵」と言われて、正直まんざらでもないが、それだけだ。年齢差のことだけでなく、今の自分が置かれている立場を思えば、簡単に恋愛などできない。
 だからこのまま何もなかったようにやり過ごそう、そう思っていた。

 ああ、それなのになんということだ、と、オールマイト――八木俊典――はため息をつく。
 都会の夜空にぽっかり浮かんだ月は満月。爽やかな初秋の風は、あくまでも軽やかで心地よい。そんな過ごしやすい夜なのに。
 背を猫のように丸めた長身痩躯が歩くのは、六本木のすぐ隣。昔ながらの店と今風のショップが混在する、麻布十番商店街。

「『桂月』の菓子がたべたい……」

 『オールマイト』は、正義と人助けのためなら、あまり後先を考えない。今日も同様で、気づけば活動限界を超えてしまっていた。
 人は疲れると、甘い物が欲しくなる。そして今は『桂月』の菓子が食べたい気分だ。他の店では満足できない。しかし、活動限界を超えてしまったということは、今日はもう、マッスルフォームにはなれないということ。
 八木俊典の姿であの店に行ったら、果衣菜と再会してしまう。それはさすがに、不自然極まりないではないか。

 残念だが今日は諦めるかと、八木が自宅の方角にきびすを返した、その時だった。

「あれ? もしかして八木さん?」

 唐突に響いた聞覚えのある声に驚いて、あやうく吐血してしまうところだった。振り向くと、そこに立っていたのは予想通りの人物で。

「桂月さん」
「驚いた……こんな偶然あるんですね」
「……そうだね。まさかこんなところで会えるとは。私も驚いたよ」
「もしかして八木さん、この近くにお勤め……とか?」
「うん。あのタワーの上層階に、オフィスがある」

 商店街からも見える高層タワーを指差すと、果衣菜がかっこいい、と、にこりと笑った。
 そうかい、と顔がゆるみそうになるのをなんとか抑える。若くて綺麗な女性に褒められるのは、やっぱり悪くはないものだ。

「八木さん、すぐ近くにお勤めだったんですね。わたし、この近くの和菓子屋で働いてるんです」
「あっ、桂月って、もしかして和菓子屋『桂月』か」
「ご存知なんですか? 実はわたし、そこの娘なんです」
「へえ」

 自分でもわざとらしいなと思いながら、話を合わせた。

「で、今日は?」
「今日は定休日なんです。だから、これから飲みに行こうかと思って」

 そうか、今日は定休日か。すっかり忘れていた、と、八木は薄い肩をすくめた。なんのことはない、いずれにせよ『桂月』の練り切りは食べられなかったという訳だ。

「飲みにってお友達と?」
「いいえ、ひとりで」

 まじかよ、と、八木は心の中で突っ込みを入れる。若くて綺麗な女の子が六本木で一人で飲みとは、たとえ腕力に自信があろうとも、店を選ばないとやや危険だ。そういえば、果衣菜は沖縄でも一人だった。もしや、友達がいないのだろうか。

「あっ、今、友達いないの?って思ったでしょ」
「思ってないよ」
「いや、思ってるって顔ですよ。本当は友人と行く予定だったんです。だけど、急に体調が悪くなったらしくて……」
 悪い病気じゃないといいんだけど……と呟きながら、果衣菜が続ける。
「で、今日の今日だから、他に都合のつく友人がみつからなくて、でも二か月待ってやっと予約が取れた店だから、一人でも行きたくて……」
「ああ、そういうこと」
「そうだ!」

 果衣菜が嬉しそうに笑んだ。

「八木さん、よかったらご一緒にいかがです?」
「え?」
「本当は一人じゃさみしいなって思ってたんです。ちょっと変わったバーなんですけど、八木さんさえよければ」
「まあ…私はかまわないけど、こんなおじさんとサシで飲むなんて、君は嫌じゃないかい?」
「カジュアルなバーですし、八木さんが紳士なのは沖縄で証明されてますから」

 うまいな、とひそかに思った。紳士だなんて一石置かれてしまったら、男は安易に手出しできない。

「ところで、変わってるって、どんなふうに?」
「それはついてからのお楽しみです」

 にっこり笑って、果衣菜は鳥居坂方面に向かって歩き出した。

***

 店についた瞬間、まずいと思った。
 地下へ続く階段をくだり、店内に足を踏み入れて、八木の不安はますます大きくなった。
 ふたりを出迎えてくれたのは、ウエルカムボードを持った骸骨と、血をしたたらせた生首の映像。正面にはステージがあり、その天井から壁にかけて蜘蛛の巣のような網がかけられている。
 照明は嫌な感じに薄暗く、そこここに不気味な人形が置かれていた。黒い椅子に赤いテーブル。そのコントラストが、ますます異様な雰囲気を盛り上げている。
 そういえば、噂に聞いたことがある。怪談ライブを売りにしたバーが、六本木に進出したと。

 これはまいった、と、内心で呟いた。凶悪な敵と対峙するのは平気だが、物理攻撃で倒せないお化けの類は、とても苦手だ。

「なんか……不気味な感じだネ」
「そうですね。すごい楽しみ!」
「……ウン……ソウダネ……」

 笑顔がひきつる八木をよそに、果衣菜が嬉しげにメニューを広げる。

「わたし、ブラック・ルシアン。八木さんは?」
「私はウーロン茶かな」

 飲み物と同時にいくつか軽食を頼み、メニューを閉じた。

「八木さんって全く飲めないんですか? 昔から?」
「いや、はじめから飲めなかったわけではないよ。少し前に内臓を悪くしてね。以来、お酒は飲まないようにしているんだ」
「そうだったんですか……」

 申し訳なさそうに果衣菜が呟いたので、気にしないで、とにっこり笑った。
 少しして、注文した飲み物が運ばれてきた。こういう店は仕事が早い。

「君は和菓子職人なのかい?」

 怪談が始まるまで時間がありそうだったので、知っているけれど知らないことになっていることを、わざとたずねた。
 店内に流れているのは、おどろおどろしい音楽だ。ホラー系が好きな人にとってはムード満点でいいのだろうが、苦手な人間からしたらたまらない。なにか話をしていないと、耐えられそうになかった。

「ええ。店は五つ年上の兄が継ぐことになっているんですが、やっぱりわたしも和菓子が好きで、職人になりました」
「うん」
「といっても、まだまだなんです。餡を練ったり、包んだりさせてもらえるようになったばかりで」
「うん」
「日中は主に、接客を担当しています」
「『桂月』のお菓子は美味しいよね。甘さも上品で言うことないよ。練り切りなんかも、とても綺麗だ」
「うちのご贔屓さんだったんですね。ありがとうございます。練り切りをはじめとする上生菓子は、父と兄が作ってるんですよ。兄は指先をピンセットのように細くできる個性をもっているので、細かい作業にむいているんです」

 ごめんな、それも知ってるよ。と、また心の中で独りごちる。

「薄皮まんじゅうや豆大福は、君が作っていたのか。今度そっちも買わせてもらうよ」
「あら、薄皮まんじゅうならここにありますよ。友達に食べてもらおうと思って用意したものですけど」

 よかったらどうぞ、と、果衣菜が小さな紙袋をバッグから取り出した。
 ここのあんこは上品な甘さで美味しい。どうしても食べたいと願った和菓子を目の前に、危うく喉が鳴りそうになる。

「いいのかい?」
「ええ。ご迷惑でなければ」
「迷惑なんてことはないよ。嬉しいな。実は、君のところの菓子が食べたかったところだったんだよ」
「そうなんですか? こちらこそ嬉しいです。今後ともご贔屓に」

 老舗和菓子店の看板娘はにっこりと笑んで、酒杯をかぱりと干した。ブラック・ルシアンは飲みやすいが、グラスにウォッカとコーヒーリキュールを注ぎステアした、非常にアルコール度数の高いカクテルだ。
 そういえば、果衣菜は沖縄でもフローズンマルガリータを水のように飲んで、さらりとした顔をしていた。どうにも、この子は酒豪であるらしい。

「ところで、八木さんは何をされてるんですか?」
「ナイショ……でも悪いことはしてないよ」
「教えてくれないんですか?」
「その方が、ミステリアスでいいだろ?」

 軽く口の端をあげていらえると、果衣菜が口をへの字にまげた。
 その時、ふっと店内の灯りが落ちた。同時に細く輝くスポットライトがステージを照らし出す。くるり、と壁が反転して、そこから怪談師が現れた。
 それを横目で眺めつつ、どうか怖くありませんように……と、乙女のように、八木は祈った。

***

 やや気まずい思いで、八木は果衣菜と共に怪談バーを後にした。
 都会の狭い空には、先ほどまでと同じようにお月様がぽっかりと浮かんでいる。そのまるまるとした様子は、薄皮まんじゅうのようで。
 初秋の爽やかな風が、どこからか金木犀の香りを運んできた。透明感ある若い美人と、金木犀の香りと、こがね色に輝くお月様。
 あんなことがなかったら、鼻歌でも歌いたい気分であったろう。

 演出にしてもあれはいささかやり過ぎだ、と、八木はやや苦々しい気分で肩を落とした。
 怪談話が佳境に差し掛かった時、足元を冷気が駆け抜けたのだ。つい、うわっと声をあげてしまった。
 暗闇の中での小さな叫びは他テーブルからも聞こえてきたし、誰が声を上げたのか、断定できるものでもないだろう。だが、同じテーブルにいた果衣菜は気づいたはずだ。八木が声を上げてしまったことを。
 なんたる失態、と、軽く頭を振ってから、八木がため息をつく。

「前も思ったんですけど、八木さんってモテるでしょ?」

 と、果衣菜が、八木を見上げていきなり言った。
 気を使ってくれているのだろうか、優しいことだ。

「いや、モテないよ。だからいい歳をして、まだ独身なんだ」
「うっそだあ。だって」
「だって?」
「女性に対して、あまりがつがつしてない」
「それは、年齢的なものもあるんじゃない?」
「いいえ。八木さんくらいの男性が、一番積極的なんですよ。いままでも、父の目を盗んでいきなり口説いてくる男性が、何人かいました」
「和菓子屋でかい? そりゃお盛んだな。でも確かに、我々の世代は肉食系の男が多いかもね」
「だけど、八木さんはそういう感じじゃないですよね」
「草食系って言いたい?」
「そうじゃなくて、スマートってことです。博識で会話が上手くて、立ち居振る舞いが自然で……」
「でも、さっきは醜態をさらしちゃったけどね」

 なんとなくいたたまれなくなって、自虐的な言葉をはいてしまった。
 すると、果衣菜はまっすぐに八木を見つめてきた。こういう綺麗な顔立ちの子の真剣なまなざしは、ちょっと迫力があっていい。

「八木さん」
「なんだい?」
「わたしは足のない生物が苦手です。ミミズとか、蛇とか」
「ウン?」
「だからね、その植え込みから蛇がでてきたら、わたしも叫んじゃうと思うんですよ」
「……ウン」
「八木さんは怖いお話が苦手で、わたしは足のない生き物が苦手。同じことです。大人の男のひとだって、苦手なものがあっていいと思うんです」

 ね、とにっこり笑まれて、まいったな、と口の中で呟いた。
 これはちょっとやばいぞ。いまのはがつんときた。
 沖縄でも思ったが、この子は潔くて、賢くて、心が強くて、そして優しい。困ったことに、自分は昔から、こういう女に甚だ弱い。

「八木さん、今日は楽しかったです。今度お店の方にも来てくださると嬉しいです」
「こちらこそ楽しかった。君が作った豆大福を買わせてもらうよ」
「ありがとうございます。よかったら、連絡先を教えてもらってもいいですか」
「え?」
「ご存じかもしれませんが、うちの製品は、季節に合わせていろいろ変えているんです。新作が出たらお知らせします」
「ああ。それはうれしいな」

 そう答えると、果衣菜は花のように笑った。
 自転車にのった年配の女性が、せわしなくベルを鳴らしながらすぐ隣を通り過ぎてゆく。そんな人通りのある歩道で、互いの連絡先を交換したあと、それじゃあと手を振り、果衣菜と別れた。

 麻布十番大通りを歩く八木の右手には携帯、左手にはちいさな紙袋。
 八木の携帯端末に新たに登録されたのは桂月果衣菜という名前、紙袋の中には薄皮まんじゅうがふたつ。
 空には、饅頭と同じくらい丸々とした月が燦然と輝いている。
 冷たくなり始めた初秋の夜風は、やっぱりとても爽やかだった。

2016.10.14
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月とうさぎ