わかっていて、わたしはのこのことオールマイトに会いに行ったのだ。
わたしは自分が何をしたいのかよくわからない。
彼への想いが再燃してしまっているのはたしかだ。
だから声をかけられれば会いに行く。
けれど、オールマイトとそういう関係になれるのかと問われると答えに困る。
愛しているからこそ、彼に抱かれるのが怖い。
オールマイトが知っているのは、十六歳から二十二歳までのわたし。女が一番初々しく美しい、人生の春を謳歌していたころのわたしなのだ。
比べて今のわたしは人生の夏を過ぎて秋に差し掛かった、いわゆるふつうの中年女だ。
綺麗だと言われることもあるけれど、それは年相応の美しさだろう。若い頃とは比べられようはずもない。
わたしは当時からほとんど体重が変わっていない。スリーサイズもほぼ変化ない。服のサイズも変わらない。
けれどもやっぱり、違うのだ。
肉は重力に負けるものだ。そして加齢と共に、肌からは水分と油分と張りが抜けていく。
湯を浴びるとぱちりと弾いた、勢いのあるあの頃の体とは比べ物にならない。
なにより困ったことに、オールマイトは今のわたしを見ていない。思い出の中のわたしを追い求め、思い出の中のわたしを手に入れたがっている。そんな気がする。
二十二の頃のわたしを求められても、四十を過ぎたわたしに渡せるものはなにもなかった。
正直なところ、わたしは怖いのだ。
衰えた身体を彼に見られて、失望されてしまうのが。
あの夜、やや強引に口づけられたあと、わたしは彼を押しのけた。
「悪かった。もう、しないよ。」
すまなそうにわたしを見おろした、忘れな草色の瞳。
謝らなければいけないのはわたしのほうだ。
ああなるだろうことはわかっていたくせに。
彼がわたしとどうしたいのかわかっていたくせに。
それに応える勇気もないくせに。
それでもオールマイトに会いたいと思ってしまうわたしはずるい。
結局あの夜は、なんの言葉もないまま別れた。
そんな雰囲気だったというのに、オールマイトはちゃんとわたしを家の前まで送ってくれた。
彼はどこまでも優しい、かなしいほどに。
オールマイトが優しいのは、それだけではない。
あれは二度目に食事をした時のことだっただろうか。
中華料理を楽しみながら桂花陳酒を傾けていたわたしに、彼がいきなり問いかけてきた。
「なつめ、別れたご主人はどんなひとだったんだい?」
どう答えるべきかとわたしは迷った。
あなたによく似た、金髪碧眼の大柄な人だったと言えば良かったのだろうか。
わたしは元夫にオールマイトの面影を重ねていた。
それでもあれはあれで、最初の四年間はそれなりに幸せだった。優しくて鷹揚な、アメリカ人の夫との穏やかな暮らし。
「優しい人だったわ。あと、よく笑う人だった」
「……なぜ別れたの?」
「ほかに女性を作ったからよ」
「は? 女性? 君のほかにか!?」
オールマイトが急に声を荒らげた。珍しいことだ。
本人も自分の声に驚いたのか、少し恥ずかしそうに肩をすくめた。
「……そうよ。でもあなたがそんなに怒る事じゃないわ」
結婚して五年経った頃、元夫はわたしに隠れて若い女と会うようになっていた。
わたしはそれに目をつぶっていたが、ある日元夫からこう言われた。キミは、嫉妬すらしてくれないんだな、と。
それでもわたしはその挑発には乗らなかった。感情にまかせて言ってはいけない事を口にしてすべてを台無しにするのは、一度きりでたくさんだった。
だがそんなわたしの姿勢は、元夫の気に入らなかったようだった。浮気をしておきながら、彼はわたしを日々責めたてた。
そして最後に、元夫は悲しげにこう言ったのだ。
キミは僕を通していったい誰を見ていたんだい、と。
元夫は気づいていた。わたしと元夫の間にある、温度差を。
わたしは元夫のことがとても好きだったが、おそらく愛してはいなかった。
「なつめ?」
オールマイトが心配そうにわたしの瞳を覗き込んだ。
忘れな草色の瞳にわたしの顔が映っていた。もう若くない、今のわたしが。
「……ごめんなさい」
「いや、私が悪かった。嫌なことを思い出させてしまったね」
「いいえ、大丈夫よ」
オールマイトは、本当に優しい。
***
「……今週末に、また食事でもどうだろうか……」
受話器から聞こえてくる遠慮がちな低い声。
この間のことを、彼はまだ気にしているのだろうか。
悪いのはわたしのほうなのに。
臆病なわたしは、オールマイトとの関係をこのまま引き伸ばしたいと思っている。体の関係を持たない、プラトニックな関係のままで。
わたしが望むのは性を伴わない心だけの恋。
けれど彼の求めている関係は、きっとそうではないだろう。
心だけの関係で満足できるほど、オールマイトは枯れてはいない。
そして性を伴わない恋などと言いながら、心の奥底で彼に抱かれたいと思っている度し難いわたしも、確かに存在するのだった。
「ごめんなさい……今週末は予定があるの」
わたしは初めて彼に対して嘘をついた。オールマイトはそうか、と言っただけだった。 だがその口調があまりに静かすぎた気がして、わたしはぎくりとした。
ひやりとした夜風に頬を撫でられたような気がした。
春とはいえ、まだ夜は冷える。だから窓は閉まっているはずなのに。
わたしたちはこのまま終わるのだろうか。
あれほど会いたいと、あれほど思い続けていたひとと再会できたというのに。
「……待って……来週の水曜あたりなら大丈夫かもしれないわ……」
「水曜は職員会議があるんだ」
「そう、残念ね」
「……また……折を見て連絡するよ」
「ええ、また……」
そう囁いて電話を切ったと同時に激しい後悔に襲われた。もう彼からの連絡は来ない。そんな気がする。
どうしてあんな嘘などついてしまったのだろう。例のコンクールはとうに終わり、金曜も土曜も日曜も、夜は何の予定も入っていないのに。
わたしは何をしているのか。会いたくて仕方がないくせに。
それでもきっとわたしは、彼に求められたら拒むのだ。
拒むくせに、会えなくなると途端に不安になる。
臆病でずるいわたしは、ここで立ち止まったまま、もうどこにも行けやしない。
雄英高校の生徒たちがヴィランに襲われたとの報道が流れたのは、それから数日したある日のことだった。
オールマイトをはじめとする雄英教師陣の活躍により殆どの生徒に重大な被害はなかったと、他の多くのニュースとともにさらりと流された話題だ。
だが、なんだか嫌な胸騒ぎがした。
不安に飲まれそうになりながら、オールマイトの番号をプッシュする。
受話器の向こうから流れてきたのは、抑揚のないアナウンスの声。
―おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか電源が入っていない為、かかりません―
わたしは脱力しながら電話を切った。
翌朝もう一度電話をしたが、同じアナウンスが流れただけだった。昼も、夜も同じだった。
着信拒否をされているのかとも思ったが、その場合のアナウンスはまた違ったものになると聞いたことがある。それに彼の性格上、いきなりそういうことをするとは考えにくい。
なにかあったのだろうか。
ニュースでは今日もオールマイトの活躍を告げている。けれど……。筋肉隆々の活動時のオールマイトと、痩せ細ってしまった普段のオールマイト。
わたしは彼がどうしてああなってしまったのか、まったく知らない。
嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
オールマイトの家は駅を隔てて向こう側にある高級マンションだ。最初に食事をした夜に、彼が教えてくれた。
我が家からは歩いて二十分ほど。行けない距離ではない。
……行ってみようか。尋ねられて困るようなら最初から住居など教えはしないだろう。
今日は日曜、おそらく学校は休みのはずだ。
もしも元気であれば、近くまで来たからと言って外でお茶でも飲めばいい。
そうでなければ……それはその時にまた考えよう。
身支度をして、家を出た。
***
手土産に茶菓子でもと駅前の百貨店をのぞいていると、花屋の店先で懐かしい花を見つけた。この花の盛りは二月から四月の頭。盛りを過ぎているというのに、店頭の花は元気に花を咲かせている。
この花は母が好きだった花の一つだ。クロッカスやムスカリ、水仙と共に、寄せ植えにして育てていた。水栽培で有名だが、鉢植えや路地栽培にも向いている。長い花径に小さな花をいくつも咲かせる綺麗な花だ。
盛りを過ぎても綺麗でいる花にあやかりたい気持ちで、わたしはそれで花束を作ってもらうことにした。
色ごとに異なる花言葉を思い出しながら、選んだのはピンク、紫、白、青、そして黄色。
男性に花なんて喜ばれないかもしれない。けれど昔、彼はこの花が好きだと言っていた。少しでも慰みになればいいのだが。
***
オールマイトの家は、駅から五分ほどの距離にある高級マンションだった。
教えられた部屋の番号を押して、反応を待った。
誰も出ない。
もう一度番号を押して待つことしばし……やはり何の反応もなかった。
残念に思う反面、どこかほっとしている自分に気づいて苦笑した。
花など持って、わたしは何しに来たのだろう。
彼とのこれからをはっきり決められもしないのに。
今日会えなかったということは、きっと縁がなかったのだ。そう自分に言いきかせ、小さく溜息をつく。
さっさと帰ろうと身体を反転させて顔を上げたわたしは、そのままの形で動けなくなってしまった。
目線の先に、驚いた顔でこちらを眺めているオールマイトが立っていた。
「なつめ?」
それにしても最悪のタイミングだ。ここに来た言い訳をいくつも用意していたというのに、この一瞬ですべて忘れてしまった。
オールマイトの手にはわたしが先ほど花を買った百貨店の、デリの袋とバケットの入った紙袋。
ちょうど買い物に出ていたタイミングだったと、そういうことか。
相変わらずかりかりに痩せてはいるが、その顔色は悪くなかった。
よかった、こちらの取り越し苦労であったのか。
安心と、この場をどう取り繕ったらいいものかという思いが入り混じる。
ああ、こんな時、大人の女はどういうふうにするんだっけ。
年齢ばかり重ねたけれど、結局わたしはたいして進歩していない。彼の後ろをついて歩いて、自分の都合でわあわあ泣いたりわめいたりしていた少女の頃と。
「……ちょ……ちょっと近くまで来たものだから……」
明後日の方向を向きながらやっとのことで絞り出した声。
正面切って、彼の顔など見られやしない。私に会いに来てくれたのかい、などと言われたらいたたまれない。
ところがオールマイトは、特にそこには言及しようとしなかった。
「よかったら寄っていかないか」
そうわたしに告げた彼の声は、とても低くて柔らかかった。
***
オールマイトの部屋に入ってすぐ、わたしは彼に花束を渡した。彼は照れたような困ったような顔をして笑んだ。
「ありがとう。でもうちには花瓶がないんだ。色気がないけど、バケツでも大丈夫かな」
しまったとわたしは思った。
よく考えたら男性の一人暮らしで、花器など持っているはずもない。
オールマイトは洗面所から花束を入れるのにちょうどいい大きさのブリキのバケツを持ってきて、そこに花を入れた。
プラスチックではなく、ブリキというのが彼の女子力の高さを物語る。下手な花器よりよっぽどお洒落ではないか。
「この花、君の家の庭にあったよね。いろんな花があったけど、これは君のお母さんと一緒に球根を植えたことがあるから、よく覚えてる」
「それならわたしも覚えてるわ。学校から帰ってきたら、あなたが母と一緒に花壇で格闘していて」
「肥料とか新しい土とか、やたら重そうに運んでいたからさ。つい手を出しちゃったんだよ」
「あなたらしいわ。ガーデニングは意外と体力を使うのよね。わたしには無理」
「そういえば、薔薇のアーチも撤去してしまったみたいだね」
「薔薇はね、綺麗なんだけど本当に手がかかるのよ」
「そうなんだ」
「ええ」
ああ違う。きっとオールマイトが言いたいのは、こういうことではないのだろうに。
けれどわたしはどうしていいかわからない。
未だにわたしは、彼とどうしたいのか、はっきり答えが出ていない。
「いきなり来ちゃってごめんなさいね。電話したんだけれど、つながらなかったものだから」
「ああ、ゴメン。携帯ね、こないだの襲撃事件の時に壊しちゃったんだ。今日新しいのにしてきたよ。ホラ」
見せられたのは、オールマイトの手にちょうどいい大きさの新機種だ。故障……その可能性を失念していた。わたしはほっと息をついた。
「なつめ」
淹れたてのカフェオレをわたしの前にことりと置いて、とても静かにオールマイトが口を開いた。彼は自分のコーヒーを手に、私の正面ではなく隣の椅子に腰かけた。
「君がここに来てくれたことを、私は肯定的にとらえてもいいのだろうか」
わたしは返す言葉が見つからなかった。彼の気持ちに応えたい。
けれど……失望されてしまうのがやっぱり怖い。
「ん、じゃあさ、言い方を変えようかな。君がここに来てくれたと言うことは、多少なりとも私のことを気にかけてくれていたということだよね」
「まあ、そうね」
「それはこのあいだの雄英襲撃事件が原因?」
「……」
「こんな身体になってしまった私だから?」
それはオールマイト本人が言い出さない限り、自分からはけして聞くまいと思っていたことだった。
痩せ細ってしまったオールマイトと、ヒーロー活動時のオールマイト。それに対して疑問や不安を抱かないことはなかった。
思っていることが顔に出たのだろう。
オールマイトがにこりと笑って、わたしの頭をくしゃりと撫でた。かつて、よくそうしてくれたように。
「だからまず、私はそのことについて君に語らねばならないね」
そうして彼の口から聞かされた言葉は、とてもつらいものだった。
六年前の戦闘で失った臓器と、衰えていった肉体。
ヒーロー時の姿は気合で維持しているだけにすぎず、その姿でいられる時間も日に日に減っているという。
気張りすぎると、血を吐くこともあるらしい。それは吐血でもあり喀血でもある。つまりは呼吸器と内臓、どちらの状態も悪いということ。
それでも彼はオールマイトであることをやめようとはしない。
それは彼に残された時間があまり多くないであろうことを、暗に物語っていた。
「この話をしていいかどうか、とても迷った。話してしまって、君に私の側にいてほしいと願うことは、とても卑怯な事だから」
「ひきょう?」
「そう。先がないことを黙っているのも卑怯だけど、先がないけど側にいてくれというのは、それはそれで卑怯だよね」
言わないずるさと、言うずるさ。
秘密を聞かされた側は、その荷を共に背負うことになる。
オールマイトがそれを望むと望まざるとにかかわらず、秘密を知るということにはある種の覚悟がついてまわる。そういうものだ。
「さてなつめ。このやり方は我ながらちょっと卑怯だとは思うけど、私は君が好きだし、今の君をもっと知りたい。だからそろそろ君の気持ちを聞かせてくれないかな」
わたしは躊躇した。
オールマイトは重大な秘密をわたしに話して聞かせたのだ。それに対して偽りの言葉でごまかすことは、卑劣極まりないことだろう。
手のひらにびっしょりと汗をかいていた。
なんだか彼の思う方向に誘導されてしまったような気がする。
「……あなたは好きよ。でも今のわたしはあの頃のわたしとは違うのよ」
「何も違わないよ」
「あなたは四十代の女を抱いたことがある?」
「え?」
「体の線が緩んだ身体よ。スリーサイズは昔と同じでも、肌の質感や肉質は全然ちがうわ」
「なに? もしかして君が気にしていたのはそんなことか」
そんなこととは言ってくれるものだ。女にとってはとても重要なことなのに。
オールマイトは頭をばりばりとかいて続ける。
「……あのね、あまり私をみくびらないでくれないかな。私だってそれなりにモテるんだよ」
「知ってるわ。あなたがその気になれば、女優だってモデルだって国中の美女が思いのままになるってこと」
「思いのままかどうかはわからないけどね、体つきや若さがどうこう……っていう話なら、最初からそういう女性に声をかけているよ」
オールマイトはテーブルの上においていたわたしの手に自分の大きな手を重ねた。
先日もそうだったが、このひとは唐突にこういうことをする。そのたびにわたしがどれだけときめいているか気づきもしないで。
少女のように胸をときめかせている中年女なんて、気持ち悪いことこのうえないのに。
そんなわたしの気持ちなどお構いなしに彼は続ける。
「私は君がいいんだ。もっと言ってしまえばね、君じゃなきゃ嫌なんだよ」
「あなたは、昔のわたしの思い出に恋しているだけよ」
「そうかな」
「そうよ。だから今のわたしを知ったら幻滅するわ」
「ウーン、でもさ、それはお互い様じゃないかな。ほら」
オールマイトがいきなり着ていたシャツをめくった。
男性の裸を見て目を覆うほどうぶではないが、わたしはごくりと息を飲んだ。
目の前にさらされたのは、彼の左側の腹から胸にかけての痛々しい傷跡だった。これがオールマイトから臓器と力を奪った傷なのだろうか。
大きな筋肉で覆われていた胸は見る影もないほど薄く細く、骨が浮き出たあばらがますます痛ましかった。
「変わってしまったとか言い出したら、私の方がひどくないか?」
「あなたは、痩せてしまってもあなたよ。それにその気になればいつでもあの筋骨隆々の身体になれるでしょ?」
「それでも、私の真実の姿はこれさ。それに今、君も言ったね。どれだけ見た目が変わっても私は私だって。それと同じだ。どれだけ年齢を重ねても、君は君だろ」
返す言葉を失い、わたしは思わずオールマイトを見つめた。ふふ、と笑いながら、わたしをぐいと抱き寄せる。
「私は今の君と新しい関係を築きたいんだ。君が買ってきてくれた、風信子の花言葉のような関係を」
わたしの髪に口づけを落として彼は続ける。
「なつめ。私は今夜このまま君を帰してあげる気はないんだが、いいかい?」
ずるいひと、論破した勢いで畳みかける気なのね。
トップヒーローはこういう場面ですら、相手の逃げ場を奪うのがかくもうまいものなのか。
「……昔とは、違うわよ……」
「そりゃ私もだ。昔のように、一晩に何度も君を抱くことはできないよ」
ひょいと腕の力だけで抱き上げられて、骨っぽい膝の上に座らせられた。
ああ、本当に昔とは違うのだ。見た目も、中身も。
以前のオールマイトは、とても優しかったけれども、ここまで会話に余裕がなかった。
わたしがいろんな意味で変わってしまったように、きっと彼もこの歳月で変わった部分があるのだろう。
それはある部分では歳月を経た衰えであり、またある部分では年齢を経た成長だ。
「なつめ」
名を呼ばれて彼をふり仰ぐと、そこに唇を落とされた。触れるだけの優しい口づけ。
少女の頃に戻ったみたいでなんだかとてもこそばゆい。だからわたしは薄い胸に顔をうずめた。その間にも、大きな手がわたしの頭を撫でてゆく。
格好のいい大人になりたいと思っていたけれど、わたしはやっぱりまだまだだ。
結局ひとは、格好いい未来の自分を夢見ながら、あがき続ける生き物なのかもしれない。
「ところでさ」
わたしを膝の上に乗せたまま、オールマイトが耳元でささやく。
「どうして私をヒーローネームで呼ぶんだい?」
「だって、いまさら昔のように呼ぶのも変でしょう? お互いいい年なんだし」
「ムム、辛辣。だったら名前を呼んでくれればいいじゃないか」
「だって……」
「なんだい?」
「ちょっと……気恥ずかしくて……」
「なんだソレ、かわいすぎだろ」
オールマイトがわたしを抱く腕に力を込める。
「よし、今夜中に必ず名前を呼ばせてみせるぞ」
そう告げられながら再び唇を寄せられた時、ブリキのバケツに無造作に活けられた風信子の花が目に入った。
風信子は花色で花言葉が変わる。だからわたしはあえて赤を避けたのだ。
風信子……ヒヤシンスの花言葉を、彼はどれだけ知っているのだろうか。
赤は、嫉妬。ピンクは、しとやかなかわいらしさ。
紫は、ひたむきな初恋。白は、控えめな愛らしさ。
黄色は、あなたとなら幸せ。青は、変わらぬ愛。
そしてヒヤシンス全色を通した花言葉は、悲しみを乗り越えた愛。
冬を乗り越え、まだ寒い初春に花茎を伸ばして穂状の花を咲かせるヒヤシンス。
その花のようになれるだろうか、私たちの関係は。
そう思いながら、わたしは彼の広い背中に手を回して、その唇を受け入れた。
2015.10.14
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