まるで別の世界に来たような、白銀の景観。雪に覆われた参道や灯篭は、普段とはまた違う静謐な空気を醸し出して。
雪に弱い東京は、数センチの積雪でも交通機関がマヒしてしまう。
今日の参列者は、少ないが皆無ではない。わざわざお越しいただく方々には申し訳ない話だが、この清廉な景色の中で、同じ色の衣装を着て神の前で愛を誓えることを、梨央はとても幸せに思った。
梨央サイドの列席者は、両親と家元夫妻のみ。
オールマイトの側は、彼の師匠の親友であり元担任でもある老人――グラントリノ――と、雄英の校長先生と、リカバリーガール。
新郎新婦を含めても十人に満たない、小さな挙式。
雄英のある県内ではなくこの神社を式場に選んだのは、宮司が若月家の遠縁にあたるからだ。若月家の者が婚姻する際は、こちらの神社で式を挙げるのが代々の慣習になっている。
「とても綺麗よ」
家元夫人である伯母にそう告げられて、梨央は鏡に映った自らの姿をゆっくりと眺めた。
島田に結いあげられたかつらに、綿帽子。かつらにさした簪は鼈甲のもの。これは一族伝統の品だ。普段は宗家の蔵にしまってあるが、若月家の娘の婚礼時に、代々使われてきたものだった。
裾には厚みのある綿をつめた、真白なふき。
自らの望みであった純白の婚礼衣装は、想像していたよりも少し重たい。
重厚な錦織の白打掛と、上質の正絹特有の、ひんやりとしたすべらかな肌触りの白い振袖。緞子の帯に施された、吉祥文様の豪奢な刺繍。ほぼ白一色しか使われていないというのにこんなにも豪華に見えるのは、婚礼衣装ならではだ。
白で統一された婚礼衣装であったが、懐剣の房の一筋にのみ、赤い色を取り入れた。
我が国では古来より、白は神聖な色とされている。だが、それと同時に死装束の色でもあった。花嫁衣裳の白は、花嫁がこの世のものではないことをあらわしているとの説もある。
婚礼衣装の白は、一度死んで生まれ変わり、これから婚家で生きるため。綿帽子然り、角隠し然り。
そういった説話からだろうか、若月家では婚礼衣装のどこかに赤い色を使い、穢れをはらうというのが古くからのしきたりになっていた。
くだらないと一蹴しようとした風習。けれどそれに、オールマイトが待ったをかけた。
「縁起物だし、君のおうちに代々伝わる風習であるなら、それを大切にしたいな。西洋の結婚における、サムシングブルーのようなものだろう?」
そう言って、オールマイトは笑ったのだった。
「梨央、支度はできたかい?」
長い首を伸ばして花嫁控室に顔を出したのは、平和の象徴オールマイトだ。
「なんだい、みっともない。アンタ、嫁さんが出てくるまで待てないのかい」
「は! すみません!! どうしても我慢できなくて」
「それぐらい我慢せんかい。早漏か、オマエは!」
「あ、イエ、グラントリノ。そっちはちゃんと相手に合わせて辛抱できます」
「アンタ、そんなことまで真面目な顔して答えるんじゃないよ!」
「あ、イタタ……リカバリーガール、痛い。ぶたないで!」
黒紋付きを着た大きな背中をばしばしと叩いているのは、リカバリーガールとグラントリノだ。
あんなに大きなオールマイトが、自分の半分くらいしかない老人たちに頭が上がらないのだから、なんだかおかしい。
「もう支度はすみましたから大丈夫です。よろしければ皆さんもどうぞ」
そう声をかけると、オールマイトがほっとしたように微笑した。
「……とても綺麗だ」
「あなたも素敵よ」
「中にいろいろ詰められててさ、苦しいんだけどね」
紋付きの襟を左右に開く真似をしながら、オールマイトがおどけて笑った。男性の和装は、恰幅があるほうがさまになる。そのため、肉の薄い彼の胸元やお腹まわりには、たくさんのタオルや綿が詰められているに違いない。
「その赤い房、アクセントになっていていいね」
「そう?」
「うん。白一色の中に一筋の朱赤っていうのが、神秘的でとてもいい。君の清楚な雰囲気に、よく似合ってる」
「ありがとう」
「しかし君は本当に白が似合うな。空から天女が下りてきたのかと思ったよ……神々しいくらいだ……」
「歯が浮くような賛辞はふたりきりになってからにせんかい! 聞かされるこっちが恥ずかしいわ!」
舞い上がったオールマイトをばしりと叩いて制したのは、やっぱりグラントリノだった。
***
「では、ご新郎さま。ご新婦さま。こちらへ」
縁起物の桜湯を飲みきったころ、巫女さんから声がかかった。
案内に従って、梨央たちは緋毛氈の敷かれた廊下を通って社殿へと向かう。歩調に合わせて、厳かに力強く鳴り渡るのは太鼓の音。外へとつながる回廊の空気は凛としてつめたく、頬を刺した。
冬の吉日。この佳き日に、ふたりは神様の前で誓いを立てる。
社殿についたので、ご神殿に向かい着座した。神職が大神様に捧げものをし、祝詞を奏上する。
二人共にご神前へと進み、オールマイトが誓詞を広げて、それをゆっくりと読み上げた。
落ち着いた低い声が、しんと静まり返った社殿に響いてゆく。朗々と鳴り渡る低音は、緩やかに、梨央のこころに染みわたっていく。
これで名実ともに、梨央はオールマイトの妻になる。
オールマイトと一緒に暮らすようになってから、もうずいぶん経つ。籍を入れてからも、数か月。
けれど婚礼衣装を来て神様の前で誓いを立てるということは、それらとはまた違う、新たな始まりを梨央に意識させた。梨央はそう信心深い方ではないけれど、十分すぎるくらい、厳かな気分になっている。
「……夫、俊典」
厳粛な式の雰囲気にのまれていた梨央は、オールマイトが自身の名を読み上げたところで我に返った。
すぐに「妻、梨央」と付け足したけれど、慌てていたせいか声が裏返ってしまった。
隣のオールマイトが、愉快そうにくすくすと笑う。
ああ、と、梨央はそっと目を閉じる。
まさかほんとうに、こんな日がくるなんて思いもしなかった。
オールマイトに救けられ、淡い恋心をいだいていたあの日の自分が今のようすをみたら、どんな顔をするのだろうか。
どうしたの?というように、オールマイトがこちらを覗き込む。なんでもないの、と目だけで答え、ちいさく微笑む。
このひとは今年の夏、オールマイトとしての力を失った。
すべての力を使い果たしたのだと、彼は言った。それでも私は生きるのだと、そう続けた彼。それについていくのだと、決めた自分。
だからこそ、梨央は色打掛でも引き振袖でもなく、白無垢にこだわった。
白い花嫁衣装にはあなたの色に染まるという意味もある。
オールマイトは普通の男性ではない。どんなに愛してくれても、ヒーローを引退した今となっても、このひとは、おそらく自分だけのものにはならない。
平和の象徴であったひとの妻になるということは、オールマイトの色に染まるとは、きっとそういうこと。
だからどんなときも、笑顔で彼を送り出そうと思う。
なにがあってもこのひとは、絶対に帰ってきてくれる。
これから先もずっと、それだけを信じて。
2016.4.5(2019.2.24改稿)
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