恋する伊達男

 花の女王とも言われる薔薇は、少量でも場を華やかにする。梨央は一輪の赤い薔薇に、丸く形作った蔓と濃緑色の柊の葉をあわせた。
 はらりとおちた一枚の花弁を見つめて、小さくため息。

「どうしたんだい? 元気がないね」
「実はね……」

 宗家から梨央のところにその連絡が来たのは、先週のことだ。
 この秋、東京の歴史あるホテルで、いけばなの祭典がおこなわれる。
 会場は昭和時代の初期に建設された旧館内の、七つの部屋だ。各部屋の細部には黒漆による螺鈿細工が、柱や欄間には精巧な彩色彫刻が、天井には緻密な描写の日本画が、そして襖には金箔が施されていた。部屋の装飾だけでも歴史的、芸術的な価値があるといわれる。
 その七つの部屋とホテルのエントランスを週替わりでいくつもの流派が飾り、妍を競う。数年に一度開かれるこの展示会に参加できることは、華道の世界では、とても名誉なこととされる。

「呼ばれたのか! すごいじゃないか!」
「……そうなの」
「それにしては浮かない顔だね」
「ええ」

 試されている、と梨央は思う。
 来年から、梨央は小さな教室を任される。地方都市のショッピングモール内にある、カルチャーセンターだ。だが、たとえいくら小さくても、流派の看板を掲げさせてもらうことにかわりはない。
 梨央が宗主――家元――の意思にさからって家を出たことを、幹部たちは知っている。閉鎖的な世界だ。家元の姪であるからといって、一度流派を離れた人間が再び講師に納まることは、あまり歓迎されない。いや、家元と血のつながりがあるからこそ、そのあたりのけじめはつけなくてはならない。また、これは非常に理不尽なことだが、敵に拉致された過去がある梨央を未だによく思わない人物も、少なからずいる。
 そういったうるさがたをだまらせるためには、相応の力があるところを見せつけるのが最善の策となる。おそらく、そういうことなのだ。それは梨央も承知していた。

「だからわたしも、年があけたらなにかの展示会に参加させてもらおうとは思っていたんだけど……」
「それが思っていたより早まったってわけか」
「ええ。担当する予定だった人が急病になってしまって、空いた枠にわたしが抜擢されたの。展示会の規模が大きいだけじゃなく、あまりに時間がなさすぎる……」
「いつからなんだい?」
「……再来週。しかもいただいた枠は、会場内で三つ目に大きなスペースなの……」

 エントランスロビーを飾るのは、もちろん家元の作品だ。それに次ぐエレベーターホール前のスペースは、次期家元と目されている宗家の長男のもの。ここまでは妥当だ。宗家の長男は、感性、精神、表現力、どれをとっても、時期宗主に相応しい実力の持ち主でもある。
 その従兄に次ぐスペースを、梨央は与えられた。この責任は重大だった。

「それだけ君が期待されているということだよ」
「……そうかしら」
「そうだよ。家元は君の花に関する才能に一目置いているみたいだし」
「そんなの初耳よ」
「そうなのかい? でも私にはそう言っていたよ」

 本当だろうか。
 だが、オールマイトは都合の悪いことに対しては口をつぐむが、嘘はつかない。宗主も無駄なおべんちゃらを使ったりはしない人だ。自信を持ってもいいのだろうか。
 いや、と梨央は首を振る。いずれにせよ、決まってしまった以上は――。

「……やるしかないのよね」
「そうだよ。頑張れ」
「あとね、一つ気がかりなことがあって」
「なんだい?」
「展示の前々日に東京入りして、展示が終わるまではあちらにいないといけないの。花はいきものだから水やりもあるし、枯れたり萎れたりもする。日々、細かな調整が必要なの。それはどうしても他の人にはまかせられなくて……」
「ああ。まあ……そうだろうな。私は大丈夫だよ。行っておいで」
「あなたと離れて暮らすのはさみしいわ」
「なに、離れるといっても、展示の一週間プラス数日だろう? こっちは大丈夫だから、安心して行っておいで。最終日までには、必ず私も都合をつけて見に行くよ」

 そう言って、オールマイトはほんのりと薔薇の香りがするリビングで、太陽のように笑んだのだった。

***

「……見栄っ張りめ!」

 一人で寝るには大きすぎるベッドの上にごろりとねそべり、オールマイトが悪態をついた。むろんこの声は、己に向かって吐かれたものだ。心の中で、オールマイトは続ける。
 大丈夫だ。なんて、我ながらよく言ったものだ。ぜんぜん、まったく、大丈夫じゃない。梨央、君の不在はさみしいぞ。早く君に会いたいよ。

「まだ二日目かよ……長いな」

 展示会は明日から。ということは、梨央はまだまだ帰ってこない。
 自分は家を空けることもあるというのに、向こうの都合で離れ離れになるのがこんなにさみしいなんて、我ながら勝手なものだと思いもするが、さみしいものはしかたない。
 梨央の枕を抱きしめると、ふわりと花の香りがした。香水と対のシャンプーだかヘアミストだかは不明だが、この凛としたフローラルは、梨央の香りだ。
 残り香のする枕を抱きしめたまま、ベッド上をごろごろ転がることしばし。

「なにしてるんだ、私は」

 二メートル越えの男が枕を抱えて悶えている姿の間抜けさに気がついて、オールマイトは体を起こした。

「しかし」

 と、オールマイトはひとりごちる。
 一つ気づいたことがある。梨央は案外、クールだ。彼女は一度も電話をかけてこない。それどころか、夜の十時を回ると、メッセージすら送ってこない。
 それだけ真剣に、作品と向き合っているということなのだろう。そうなのだろうが、梨央にとって自分がその程度の存在だったのかと思うと、それもやっぱりさみしかった。

 自分は活動中、梨央のことを思い出しもしなかったのに、己は彼女の哀しみも顧みず、平和の象徴として生きてきたのに、梨央には自分だけをみてもらいたい。彼女の意思を尊重したい、仕事の成功を応援したいと、心から思ってはいるけれど、それに矛盾した子供じみた独占欲も抱いてしまう。まったく、自分はどこまでもエゴイストだ。

「寂しいなぁ」

 せめて声でも聞けないだろうか、と携帯を取りだし。結局やめた。
 今回の展示は、花にうといオールマイトも聞いたことがある有名なものだ。梨央は今回、多くの人を納得させるような作品を作らなくてはならない。その重責を思うと、邪魔になるようなことはしたくなかった。
 それにしても、梨央はどんな花をいけるのだろう。一番好きだと言っていたトルコ桔梗だろうか。それともこの季節に相応しい、落ち着きのある菊だろうか。いずれにせよ、梨央のおっとりとした静かな美しさに似合うような、可憐な花に違いなかった。

***

「先生、本日も盛況でしたね」

 閉会寸前、若い弟子のひとりがそう声をかけてきた。ありがとう、といらえ、自分の作品を見やる。
 幸いにして、この作品は評価を得ている。自分でも、自分の中にあるものすべてを表現できたと、梨央は思う。
 実におまえらしい、家元からもらったこの評価は、おそらく最大の褒め言葉だ。

「やっと明日で終わりですね」
「そうね」

 この一週間あまり、オールマイトからの連絡はほとんどない。
 初日に電話がかかってきたが、悪いことに開会後のパーティーの最中だった。きちんと話ができず、申し訳ないことをしたと思う。
 もちろん、メッセージは毎日送りあっている。けれどやっぱり、声が聞きたい。
「私が来た!」「プルスウルトラ!」などの音声が入ったオールマイトのスタンプはまめに送られてはくるが、それは梨央の愛した「俊典」の声ではなく、あくまでも営業用の「オールマイト」の声だった

 けれど会の合間に電話をしようと思っても、なかなか時間があわない。こちらの空き時間はオールマイトにとっての就業時間中であることが多く、また、引退しても未だに忙しい彼の日常を踏まえると、声が聞きたいなどという理由で電話をすることは憚られた。

 もしかしたら疲れきって寝ているかもしれない。少しでもいい、休んでほしい。そう思ってしまったら、十時以降にメッセージを送る事すら躊躇してしまう。
 それでも、あと一日の辛抱だ。明日の最終日、きっと彼は来てくれる。だって約束してくれたもの。

 そうむりやりに口角を引き上げた瞬間、来場者に声をかける弟子の声が聞こえてきた。

「すみません。もう閉会時間になりますので、これを見たら出てくださいね」

 たしかに閉会時間が迫っているが、もう少し言いようがあるだろう。あとで注意しなければ。梨央はそう心の中で呟いて、来場者に頭を下げた。

「申し訳ございません。お気になさらず、ごゆっくりご覧になってくださいね」

 告げながら顔をあげて、驚いた。
 目の前には、髪を後ろにくくってマスクをつけた、二メートルを超える大男。
 頭にはハットをかぶり、メガネまでかけている。これならまず、オールマイトとは気づかれまい。

「来ちゃった」
「……来ちゃった……って、今日は学校があったはずでしょう?」
「ウン。早く君に会いたくて、終わってすぐ新幹線に乗っちゃった」
「びっくりしたわ」
「だろう?」
「今日、どうするの?」
「ここに泊まろうと思っているよ。君、今夜は一緒に食事できそう?」
「ええ」
「それはうれしいな」

 そう言いながら目じりを下げたオールマイトが着ているのは、上質な生地で仕立てられた、美しいシルエットのシングルスーツだ。あいかわらずの伊達男ぶり。
 しばらく離れていたせいだろうか、それともそのファッションのせいだろうか。見慣れているはずのオールマイトが、いつもよりもずっと素敵に見える。

「今日のあなた、ステキね」
「おや、嬉しいことを言ってくれる。でも、君の和服姿ほどじゃない」

 一つ紋の無地に身を包んだ梨央を見おろして、オールマイトが微笑んだ。

***

 ホテル内のレストランで食事を済ませて、オールマイトのとった部屋へと向かった。
 なにが食事だけだ、と梨央は思う。
 八十平米は軽くありそうな部屋は、洋室の中に畳敷きのエリアを有した和洋室だ。部屋にジェットバスやスチームサウナもついている。部屋のあつらえが豪華なのはこのホテルの特徴でもあるけれど、和洋ある中で、わざわざ和洋室を選んだところに彼の意図が感じられ、身体の奥が熱くなった。

「思い出さないかい?」
「最初に泊まったホテル?」
「そう、初めて君を抱いた場所。あそこも和洋室だった」

 抱いた、という言葉にどきりとした。
 このひととは何度も夜を重ねてきたはずなのに、こんなちょっとした言葉に、いつまでもどきどきさせられてしまう。本当に困ったものだ。

 けれど、長く一緒に暮らしていると、夜の行為は日常のものになってしまう。そして人は、日常にときめきを感じられなくなる生き物だ。そこで生まれる心地良い慣れと、倦怠。
 倦怠が何を生むか、おそらくオールマイトは知っている。だから彼は、たまにこうした演出をする。

「ねぇ、梨央」

 低く囁きながら、オールマイトがネクタイを緩めた。大きな手。上下する喉仏。筋張った首。そのどれもがセクシーすぎて眩暈がしそう。

「君の作品さ」

 と、彼は急に話を変えた。
 気を引いたり、そらしたり、これもまた、オールマイトがたまにするかけひきのひとつ。
 いきなり花の話をされて、梨央は思わず背筋を伸ばした。
 梨央の作品は、薄緑色の毛氈の上に大きな花器を一つ置き、そこにアジアンバンブーとストレリチアを大胆にいけたものだった。

「素晴らしかったよ。花に関して、私はまるきり素人だけど、圧倒された」
「ありがとう」
「ストレリチアとバンブーをあんなふうに合わせるなんて。とにかくダイナミックだった……ちょっと意外だったけどな」
「そう?」
「ああ、思いのほか男性的で驚いた。……いや、だけどきっと、あれが本当の君なんだな」

 そうかもしれない、と梨央は思う。
 人からはおとなしいと思われているし、自分でも近年まではそう思いこんでいたが、実は違うのかもしれない。出会ったばかりの男――八木――の家に転がりこむなど、よくよく考えたら、普通の神経ではできることではないだろう。
 普段は静かだが、一度腹を決めると豪胆になる。たしかに自分には、そんなところがあるようだ。

「細く頼りなげに見えて内面にしなやかな強さを秘めたバンブーは、まるで君だな」
「ストレリチアは?」
「そりゃ、君の隣には私だろ?」

 顎に手を当てられて、やさしい口づけを落とされた。ん……と、合わせた口唇のすきまから、ごくごく小さな声が漏れる。
 そう、ストレリチアはあなた。
 ストレリチアの花言葉は「万能」「恋する伊達男」そして「輝かしい未来」。
 全能の名を持つこのひとの未来が、どうか輝かしいものになりますように。当代一のこの伊達男が、ずっとわたしに恋をしていてくれますように。
 愛するひとの口づけを受けながら、梨央はひそかに、そう祈る。

2017.3.21

2017春の夢本市にて頒布した既刊につけた、おまけのお話です。

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月とうさぎ